悪魔との戦い ─後編─

 天井近くに浮いている光の玉は倉庫内を照らしている。立っているのは肩で息をするヴァルトルーデと余裕の笑みを浮かべるアルのみ。


 額に汗が浮かび上がるヴァルトルーデはアルへと視線を突き刺す。しかし、睨まれているはずの当人はまるで意に介していない。


「前座は楽しんでもらえたかな?」


「ずいぶんと余裕じゃない。もう後がないでしょうに」


「後なんて必要ないさ。すべて計画通りだからね」


「そうなの。でも、これから先も計画通りにいくとは限らないわよね」


 落ち着いた態度で声をかけてきたアルをヴァルトルーデは睨んだ。倉庫の奥にいるアルとの距離は遠い。まずは近づく必要があった。息が整うとアルめがけて一直線に走る。


 そんなヴァルトルーデを楽しそうに眺めていたアルは右手を突き出した。その手のひらから火の玉、氷の槍、風の刃、岩の礫が順番にに飛び出していく。


 剣の届かない場所からの遠距離攻撃ではあったが、ヴァルトルーデはそれを一つずつ避けていった。厄介ではあったが直線に進むだけなので対処はやさしい。


 見た目は派手だがあまり効果的ではないアルの攻撃をかいくぐり、ヴァルトルーデは魔剣の間合いまで近づいた。


 魔剣の間合いに入ったアルが楽しそうに語りかけてくる。


「オゥタドンナーで僕を斬るのかい? この体は紛れもなくアルという者の体だよ? 傷付いて苦しむのはこのアルだが。なるほど、そういう趣向もあるな。結構、差し支えがない程度になら傷つけても構わないよ」


 魔法での攻撃を止めたアルがにやにやと笑いながら手を広げた。


 魔剣を振り上げたまま止まったヴァルトルーデは唇を噛む。無防備に体を曝すアルを目の前にして切っ先が震えた。


 その様子を見たアルが声を上げて喜ぶ。


「ククク、いいね。その様子が実にたまらない! 僕が見たいのはそうやって苦しむ人間の姿なんだ。その顔をもっと見せてくれ!」


「あるじ、なんでこいつには手加減しようとしてんだ!? バッサリやっちまえよ!」


「できるわけないでしょ!? アルは助けなきゃ」


「すばらしい苦悩だね! しかし、目の前でのんきに苦しんでいていいのかい?」


 機嫌良くしゃべるアルがかざした右手から氷の槍が飛び出した。


 回避が遅れたヴァルトルーデの右脇腹をかする。


「痛っ!」


「ほら見ろ、余裕なんてねぇだろ! まずは自分の身を助けろよ!」


「オゥタドンナーの言う通りだ。死んでしまっては助けられるものも助けられないよ!」


 一度離れたヴァルトルーデにアルが再び魔法で攻撃を始めた。その表情から遊んでるようにしか見えない。


 一方、ヴァルトルーデは右に避け左に転びながらアルの魔法を避け続けた。しかし、ついにアルの魔法がヴァルトルーデを捕らえる。風の刃が右腕をかすって服の一部を切り裂き、白い肌に赤い筋が浮かび上がった。


 苦痛に顔をゆがめるヴァルトルーデがアルを睨んだ。焦りの色を顔に浮かべながらも魔法での攻撃を避け続ける。次第に追い詰められていった。しかし、突然アルの顔が歪んで攻撃が止んだ。何が起きたのかわからないヴァルトルーデは見守るしかない。


 両手で頭を抱えてアルがうめく声だけが室内に響く。


「うう、ヴァルテ、逃げろ」


「アル?」


「長くは、抵抗できない。今だけ、なんだ。急げ、エイミーを連れて、早く!」


「でも、アル、あなたは」


「僕はいいから、こいつは、人間じゃ、無理なんだ」


 苦しむアルを見てヴァルトルーデは迷った。このままエイミーを連れて逃げ出せば確かに逃げ切れるかもしれない。しかし、アルはどうなってしまうのか。


 逃げるのをためらうヴァルトルーデだったが、助ける方法が見つからないのも確かだった。このまま対決していてもじり貧だ。


 そのとき、どうすべきか迷うヴァルトルーデにオゥタが声をかける。


「あるじ、ちょいと朗報だぜ。あのアルに取り憑いている悪魔、体ごと同化してるんじゃなくて憑依してるぞ」


「なんでそんなことがわかるのよ?」


「アルが悪魔に抵抗できたからさ。同化していたら精神も取り込まれているはずだから、あんな抵抗はできねぇんだ。恐らく霊体か幽体みたいなので支配してんだろうな」


「アルを助ける方法があるの?」


「わしの力を解放するんだ。そうしたらあの取り憑いてる悪魔だけを殺せる能力が使える」


「前に言ってたやつ? でもあれって危ないんじゃ」


「あいつも助けたいんだろ? どのみち選択肢なんぞねぇぞ」


 決断を迫るオゥタの声を聞きながらヴァルトルーデは苦しむアルへと目を向けた。


 息を荒げながらもアルがにやりと笑う。その顔はヴァルトルーデの知っている顔ではない。


「ハハハ! バカなヤツだ。この坊主が儂を足止めしている間に逃げればよかったものを。この坊主に情でも湧いているのか?」


「決めた。こいつだけは絶対に殺す」


「よっしゃあるじ、よく言った!」


 あれだけあったあった迷いがヴァルトルーデの瞳から消えた。両手で剣を持ち、切っ先を天に向けて詠唱を始める。


「我は命ず、血潮の赴くままに。汝、鮮血で道を開き、紅き雷鳴を轟かせよ!」


 唱え終わった瞬間、ヴァルトルーデの右手の甲に燃え盛るような赤黒い薔薇の刻印が浮かび上がった。続いて禍々しい黒濡れの剣身の中央に強く輝く赤黒い線が現れ、黒い風が吹き荒れる。


「ははははははははぁ! 久しぶりだなぁ、この開放感! 何でもぶった切れるぜ!」


 いつもよりもはしゃいでいるオゥタを手にしたヴァルトルーデが歯を食いしばった。しばらくじっとしたまま大きく深呼吸を繰り返す。その瞳は碧から深紅に変わっていた。


 最初は余裕の表情で眺めていたアルだったが、魔剣から吹き荒れる黒い風を浴びて眉をひそめる。


「思った以上だな。少し遊びすぎたか?」


 眉を寄せたアルが右手をかざして氷の槍と風の刃を連続して放った。


 迫る二つの魔法はしかし、魔剣の届く範囲内に入るとヴァルトルーデが片腕であしらうようにかき消す。


「オゥタ、これでどうやってアルを助けられるのかしら?」


「じっとヤツを見てみな。わしと同じように魔法や霊体の気配が見えるだろう?」


「ぼやけて見えるわね。見づらいったらありゃしないわ」


「二つの存在が重なってるのさ。一つはアル、もう一つは例の悪魔だ。その悪魔の方だけをぶった切れば助けられるぜ」


 剣身に赤い線を輝かせるオゥタが落ち着いた声でアル助ける方法を提示した。説明を聞いたヴァルトルーデが目を細める。


 次の瞬間、ヴァルトルーデは地を蹴って猛然とアルへと突進して距離を一気に詰めた。間合いに入ると、振り上げた魔剣を迷うことなくアルへと叩きつけようとする。ところが、次の瞬間分厚い氷の板が現れて魔剣を一瞬せき止められた。


 魔法で時間を稼いだアルが後退する。


「ちっ、オゥタドンナーめ、厄介な奴だな」


「ひひひ、悪魔を喰らうなんざ久しぶりだなぁ。楽しみだぜ!」


「誰が貴様なぞに喰われてやるか! しょせん人間に使われる分際でしかないくせに」


 吐き捨てるようにアルが言い終えた瞬間、明るかった倉庫内が真っ暗になった。光の玉がすべて消えてしまっている。


「人間は視覚に依存している生き物だからな。目が見えなくなれば動けまい」


「そうね、見えなければね!」


 一切の光がない暗闇の中でヴァルトルーデはアルへと再び一気に詰め寄った。そして、迷うことなく赤黒く輝く魔剣をアルの左胸に突き立てる。


「馬鹿な! なぜ儂のいる場所がわかる!? いや、これではこの体の持ち主も死ぬぞ!」


「ひひひ、わしと契約すると暗闇の中でも目が見えるのさ。そして、死ぬのはオメーだけだぜ。あるじ、その悪魔ごとわしを斬り上げろ!」


「はぁあああ!」


 動揺するアルを無視してヴァルトルーデは突き立てた魔剣を一気に振り上げた。すると、黒い人型の何かが魔剣に胸を刺されたまま現れる。同時にアルは床へと倒れた。


 黒い何かは魔剣から逃れようともがくが抜け出せない。それどどころか、わずかずつ魔剣の中に引き込まれているように見える。


「ぐぁぁ! そんな、これは一体なんだ!? 吸い込まれてしまう!」


「おいおい? お前、わしのこと知ってんじゃなかったのか? 倒したヤツの魂を喰らうんだぜ、わし。ひひひ、さすが悪魔、人間と違って喰い甲斐があるねぇ!」


「嫌だ、こんな死に方嫌だぁ!」


「今まで散々人を愚弄しておいて、自分の番になったらこれかよ。かーっ、情けねぇなぁ」


「嫌だ嫌だ嫌だ!」


「へぇ、お前ってこんな感じなのかぁ。さて、それじゃそろそろ喰いきろうかね」


「あー!」


 悲鳴を上げる黒い何かはそのまま魔剣の剣身へと吸い込まれて消えた。散々騒いでいたその声が消えると今度は静寂で耳が落ち着かない。


 剣を構えていたヴァルトルーデは黒い何かが消えると構えを解く。そうして大きくため息をついた。

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