悪魔との戦い ─前編─

 松明たいまつの明かりを頼りにヴァルトルーデは静かな街の道を歩く。大通りから小道、小道から大きめの道へと進んでいった。途中から周囲の風景が店から倉庫へと変化する。そうして一つの倉庫の前にたどり着いた。


 倉庫の正面には二人の柄が悪い男が立っている。そのうちの一人がにやつきながら近づいて来た。体を洗っていないのか異臭がする。


「ヒュー! えらく上玉なヤツが来たな! オレたちと遊びてーんなら」


「グラーフ伯爵家から招待されたヴァルトルーデよ。アルはこの倉庫にいるわけ?」


「オメーがあの坊ちゃんの言ってた女か。ついて来な」


 一瞬怪訝な顔をした異臭のする男は踵を返した。倉庫正面の左端にある人間が出入りできる小さな扉を開けて中に入る。


 松明の火を消したヴァルトルーデも中に入った。中は広くがらんとしており、そして明るい。荷箱は一つもなく、四つの淡い光の玉が天井付近から室内を照らしている。


 その倉庫内には十人以上の人間が集まっていた。ほぼ柄の悪い男たちだ。一番奥に見知ったアルが立っている。また、誰かがその足下に横たえられていた。


 扉の近くで立ち止まったヴァルトルーデが周囲を見ているとオゥタが声をかけてくる。


『あるじ、アルのヤツなんかおかしいぞ。気配が二つある』


「二つ?」


『そうだ。一つはあのアルってヤツのもんだが、あーこれ、もう一つはあの悪魔じゃね?』


 頭の中に響くオゥタの声にヴァルトルーデは眉をひそめた。改めてアルへと目を向ける。いつも通りの笑顔だ。この非常事態ではむしろ違和感が強い。


 しかし、もしオゥタの言うことが本当ならばアルは体を乗っ取られていることになる。いつどこでということはわからないが、なぜという点には思い当たる節があった。


 更にオゥタが話す。


『前にあの娘っ子を調べてるっつーてたから、やり返されたんだろうな。前に見たときはそんなことなかったから、乗っ取られたのはここ数日だろうぜ』


「なんとかする方法はないの?」


『どんな方法で乗っ取ってるのかによる。悪魔の体と融合する形なら無理だが、憑依されてるだけなら方法はあるぜ、一応な』


 ほとんど口を動かさずに話すヴァルトルーデがわずかに顔を歪ませた。元から信用などしていなかったが、これで手紙の内容はでたらめであることが確定だ。


 その様子を見ていたアルがが満面の笑みで手を広げる。


「来てくれると思ってたよ」


「いつもならお屋敷でまず説明してくれるのに、どうして今回はいきなりこんな殺風景な場所なのよ。おまけに埃っぽいし」


「約束を果たそうと思ってね。以前僕にせがんでただろう、自分のための夜会を開いてほしいってさ」


「ここで? 夜会をするにしてはかなり殺風景な場所じゃない」


「何事にもそれにふさわしい様式というものがあるだろう?」


「どういう趣向かさっぱりわからないわね。それで、夜会だとして他の参加者は? 演奏家は? 簡単につまめる物も飲み物もないわよね」


「今回は時間がなくてね、男性しか用意できなかったんだ。でも、これだけいたら婿探しはできるだろう?」


「冗談言わないで。いくら何でもこんな品のない人たちは願い下げよ」


「そう贅沢を言うものじゃないぞ。いつも婿探しに苦労しているって言ってるじゃないか」


 二人の会話を聞いていた柄の悪い男達が下品に笑った。ヴァルトルーデに向けられる視線の粘度が高くなる。


「なぁ坊ちゃん。あいつ殺す前にヤっちまっていいすか?」


「お、いいねー。オレもヤリてー!」


「構わないよ。みんな仲良く喧嘩しないようにね」


「やったぜ! ヤル気出てきた!」


 何ともないような様子でアルが許可を出すと柄の悪い男達が一斉に喜んだ。もはやヴァルトルーデを見る目は獣と変わらない。


 嫌悪感を露わにするヴァルトルーデだったが、アルの足下に横たわる人物に目を向ける。よく見ると縄で縛られている女性で服に見覚えがあった。しかし、顔が向こうに向いているので確信がない。


 ヴァルトルーデの視線に気づいたアルが口元をゆがめた。左のつま先で女性の顔をゆっくりと反転させる。


「この子が気になるかい?」


「エイミー!? アル、あなた!」


「大丈夫、傷一つないよ。もちろん、この男たちだって触れていない。きれいなままさ」


「やっぱりあなたはアルじゃない。悪魔に乗っ取られているって本当なのね」


「ハハハ! やっぱりオゥタドンナーは厄介だなぁ。この体の持ち主の記憶を覗いたけど、結構いい線までこっちを探ってたじゃないか。決め手がなかったのが残念だね」


「よくもアルの体を好き勝手してくれたわね。許せない!」


「僕の方もきみを見逃せない。だからここで始末する。せいぜい僕を楽しませてくれ」


『あるじ、ここは殺っちまっていいよな!』


 頭の中に響くオゥタの声を聞いたヴァルトルーデの顔が厳しくなった。誰もが他人を傷つけることを喜んだり不幸になることを楽しんでいる。


 離れた場所にいるアルを睨んだままヴァルトルーデは右手を軽く振ると魔剣が現れた。柄の悪い男達は全員で十人、一般的には一人で相手をするには無謀である。


 十人の男達はそれぞれ自分の武器を手にしてヴァルトルーデを半円で囲んだ。魔剣を見てわずかに驚いた表情を見せたが、すぐに元のにやけ顔に戻った。


 倉庫の奥、エイミーが横たわるそばからアルが声を上げる。


「それじゃ、僕の用意した夜会を楽しんでくれ。さぁみんな、始めよう」


「イィヤッハァ!」


 笑みを浮かべながらアルがけしかけると、柄の悪い男達が次々と襲いかかってきた。


 最初は左右から二人が迫ってくる。右側から長身の男で長剣を突き出し、左側から短身の男が短剣くらいの金属棒を振り下ろしてきた。


 魔剣を右手に持ったヴァルトルーデは迷うことなく長身の男へと突っ込んだ。繰り出される突きを右にはじきつつ、切っ先を男の首元にねじ込む。


「ぐぇ」


「ははははぁ! いいねいいねぇ! やっぱこうでなきゃよ!」


 オゥタが叫ぶと同時に魔剣の剣身の中央にある赤黒い線が淡く輝いた。


 崩れ落ちる長身の男の脇をすり抜けたヴァルトルーデは続いて真正面にいる浅黒い男に突っ込む。両手に短剣を持ったその男より先に魔剣を小さく振った。すると、男の右手の短剣が根元から切り落とされる。


「なっ、ぎゃ!」


 いきなり武器を切断された浅黒い男は身を引こうとするが遅かった。その前に魔剣で短剣ごと左手を切り落とされて悲鳴を上げる。


 ここでヴァルトルーデの動きが止まった。すかさず筋肉質な男が左後方から突っ込んでくる。両手にナックルダスターをはめたその男はヴァルトルーデの左側頭部へ左拳を繰り出した。


 すんでのところで身を沈めたヴァルトルーデは左脚を軸に時計回りに回転する。そして、その勢いそのままに魔剣を横凪に払った。筋肉質の男の腹が裂ける。


「がっ」


「よっしゃ二人めぇ! この調子でガンガン行こうぜ!」


 剣身の赤黒い線を淡く輝かせながらオゥタが喜んだ。


 戦いが始まったばかりでいきなり三人を失った柄の悪い男たちが動揺する。


「逃げるのならば追いませんが?」


「そんなつまんねーこと言うなよ! 一度始めたんだ、最後までやろーぜ! テメーらだって、小娘にやられっぱなしじゃこの先ナメられちまうだろ!」


「オゥタ、あなたは黙りなさい!」


 魔剣によって活を入れられた柄の悪い男たちは目を怒らせて再び襲ってきた。今度は前後左右ほぼ同時である。


 左前方に体を丸めて転がったヴァルトルーデは立ち上がると、先程まで真正面にいた男へと踏み込んでその首を跳ね飛ばした。


 次いで背後から襲ってきた男に対し、振り向きざまに魔剣を上段から一気に振り下ろして右腕を切断する。痛みで膝をつく男の首筋を魔剣で半ばまで斬った。


 更には手近にいた異臭のする男へと突っ込み、恐怖ですくむ男の左胸を刺す。


 最後に左手を失ってうずくまっていた男がナイフを投げてきたので弾き飛ばし、近づいて切り捨てた。


 こうして、多人数で取り囲まれていたヴァルトルーデは間を置かずに柄の悪い男たち六人を斬り伏せる。


 残った四人の男達は恐慌状態に陥った。腰が完全に引けてしまっている。


「くそっ、なんだよ、なんなんだよ、コイツは! 聞いてた話と違うじゃねぇか!」


「貴族のお嬢ちゃんが相手だって聞いてたのによ、なんでこんなにつえぇんだ!」


「ちくしょう、やってられっか!」


「割に合わねぇ、逃げるぞ!」


 口々に叫ぶと四人の男たちはヴァルトルーデが入ってきた扉へと殺到した。


 そのとき、火の玉、氷の槍、風の刃、岩の礫が四人に直撃する。一人は焼かれ、一人は背中を貫かれ、一人は首を断たれ、最後の一人は頭を潰された。


 目の前の男たちの末路を見たヴァルトルーデが振り向く。そこにはにやにやと笑いながら右手を突き出しているアルがいた。

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