招待状

 ここ数日、ヴァルトルーデは平穏に生活している。シュテラに襲われて以来、エイミーにまつわる話があったがヴァルトルーデ自身に危険が及ぶようなことはなかった。


 もちろんその間も日々の生活に追われている。ある日は貴族に雇われて、別の日は商人の手伝って、などと王都のあちこちを駆け回っていた。


 この日も西部区にある商店街まで出向いて帰って来たところである。二階の寝室に入って机の前に座るとすぐに帳面を開いた。小袋から取り出した貨幣を数えて記入する。


「やっぱり黒字ってすばらしいわね! 心が潤うわ!」


『ちまちま小銭を稼ぐのがそんなに嬉しいのか? 一発どーんと大きく当てた方がいいんじゃね?』


「小銭じゃなくて生活費よ! 生きていくためには必要なんだから。それに一発当てるって言っても、そんな当てなんてないじゃない」


『なーに言ってんだよ。お一人様おいくらでヤれるじゃねーか、ヒヒヒ』


「春を売れっていうの? 最低!」


『ちげーよ、殺しを請け負うんだよ。でなきゃわしが楽しめねーだろ』


「もっと最低よ! そんな後ろ暗いことなんて絶対しないんだからね!」


『えー、わしの存在意義をもっと活用しよーぜ』


「包丁としてまな板の上で大活躍したいっていうのなら、台所に案内するわよ?」


『同じ刃物でも使い方が全然違うじゃねーか! そっちじゃねーよ!』


 不満そうに抗議するオゥタを無視してヴァルトルーデは帳面を閉じた。貨幣も小袋に入れなおして席を立つ。ちょうどそのとき、部屋の扉をノックされた。


 扉を開けるとメイドから封筒を手渡される。封筒にはグラーフ伯爵家の家紋があった。首をかしげながら机に戻るとペーパーナイフで封を切る。


「わざわざ手紙? 今までそんなやり取りなんてしたことなかったのに」


『クビって連絡じゃね?』


「不吉なこと言わないの! いつまで拗ねてるのよ」


 封筒の中には一枚の手紙が収められていた。取り出して読んだヴァルトルーデの目が見開いて、すぐに眉をひそめる。


 内容は簡潔で、パオリーネの件で証拠を掴んだから指定する場所へ時間通りに来てほしいというものだった。


 何度か読み直したヴァルトルーデは顔をしかめる。


「なにこれ? 本当なのかしら」


『わしに言われてもなぁ。おかしなところでもあるのか?』


「全体的に変よね。屋敷に呼び出さないなんて初めてよ」


『それに、急いでんのならすぐに来いって言うよな。なんで証拠を押さえてんのに時間を指定するのかわかんねぇ。煮込むのに時間でもかかんのか?』


「料理じゃないんだから。それはともかく、深夜を指定しているのも変よ。こんな乙女に夜道を歩けって普段のアルなら絶対に言わないわ」


『乙女かどうかはわかんねーが、普通なら官憲に任せる件だよなぁ』


「蹴っ飛ばすわよ。官憲に任せられない理由はわからないでもないわ。証拠をもみ消されることを恐れているんだと思う。でもそれだったら、グラーフ伯爵家の人たちに任せればいいだけだし」


 机の上に置いた手紙をヴァルトルーデは改めて見た。上の部分に簡潔な一文が書いてあり、下の部分に略地図が描かれている。


『その地図にある倉庫って正確な場所はわかんのか?』


「前に在庫帳簿の仕事を引き受けたときに近くを通りかかったことならあるわ。だから行けると思うんだけど、この辺りって空き倉庫が結構多かったはず」


『へぇ、寂れてんだ。なんだかおあつらえ向きになってきたよなぁ、ええ?』


「嫌なことを言わないでよ。あーもう、アルのことだから何か考えがあるんでしょうけど、なんだってこんなことするのかしら? いつもだったらせめて屋敷に集合してから現地に向かうでしょう、に?」


『あるじどうしたんだ?』


「そうよ絶対おかしいわ。指定された倉庫に本当にアルがいるの?」


『いや知らねーよ』


「普通だったら例え自分で証拠を掴んでも一旦部下に任せて屋敷に戻るはず。私に見せたいんだったら屋敷に呼びつけてから行かせるはずよね。状況を自分で説明するために。なのに今回はそれもなしで直接真夜中に行けってある」


『なんだ? きな臭くなってきたのか?』


 嬉しそうな声で尋ねてきたオゥタの声をヴァルトルーデは無視した。しばらく黙ってから大きなため息をつく。


「アルって一体何をしでかしたのかしら?」


『さぁな。ともかく行ってみねーとなーんにもわかんねぇぜ』


「確認しないといけないことがあるから、まずはそれからね。あーもう、厄介な」


 渋い表情をしたヴァルトルーデが手紙を手にした。すぐに踵を返して扉を開ける。小走りに階下へと向かうとそのまま外に出た。




 深夜に眠っていないというのはヴァルトルーデにとって珍しいことだった。田舎ではやることがないので眠るしかなく、王都では昼間の学業と仕事で疲れ果てていたからだ。


 しかし、今晩は違った。誰もが寝静まる夜中に起きて袋を片手にそっと自宅から出る。


 服装はいつもとは異なり、黒のワンピースの下に同じく黒のズボン、それに編み上げブーツという出で立ちだ。長い金髪は丸めて後頭部にまとめている。


 夜の貴族の居住区を松明たいまつを持って歩くヴァルトルーデはどこか不安そうだった。オゥタはいつも通りに声をかける。


『なぁ、どうせならズボンだけじゃなくて上の服も借りたら良かったんじゃね?』


「丈が合わなかったのよ。あの子小さいから。このズボンだってたまたま予備でしまってあったやつだったんだから」


『そういや、しきりにあたしのじゃ絶対に入らないって言ってたよなぁ』


「このワンピースは作業服だから汚れても惜しくないわ」


『まぁそれならいいんだけどよ。ほら門だぜ。ここどうやって抜けるんだ?』


 一歩進む度に巨大な門が近づいて来た。


 王都は五つの部区という地域に分けられてそれぞれ城壁に囲まれている。この部区から部区へと移動するには内門と呼ばれる門を通らないといけない。そして、門は基本的に日没後は閉じられているのだ。


 今は真夜中なので当然門は閉まっている。アルが指定した場所は商業地区である西部区にあるので、貴族の屋敷が集まる北部区からは北西門を通らなければならない。


 巨大な内門の脇には門番のための宿直室が設けられていた。門に不審者が近づかないよう警備しているのだが、もう一つ役目がある。


「すいませーん。ここ通してほしいんですけど!」


「ヴァルトルーデ様ですか。こんな夜中にどうしたんです?」


「実は明日の朝一に必要な書類を取引先の方に渡し忘れてしまって、今届けないといけないんです」


「うわー、そりゃ大変ですねぇ」


「あ、これどうぞ。うちのメイドが焼いてくれたアップルパイなんです」


「これはどうも! おお、まだ温かい! おーいお前ら、食いもんが来たぞ! おい、小門を開けろ!」


「ありがとうございます! お仕事頑張ってくださいね!」


 持っていた袋を門番に手渡すと、ヴァルトルーデは笑顔を振りまいて商業地区である西部区に足を踏み入れた。


 小門が閉じられるとすぐにオゥタが話しかけてくる。


『なんつーか、あんまりにもあっさりしすぎじゃね? ここの警備どーなってんの?』


「私って夜に出入りすることがたまにあるから門番とは顔見知りなのよ。こんな夜中なのは初めてだったけど、アップルパイでダメ押しできたわね」


『だからメイドに作らせてたのか』


 若干呆れたような声がヴァルトルーデの頭の中に響いた。


 北部区全体は小高い丘の上にあるため、他の部区へと移るときは坂を下ることになる。そこから先は再び平坦な道となるわけだが、松明の炎では照らせる範囲外は暗いままだ。


 夜道を歩いているヴァルトルーデにオゥタが話しかける。


『しかし、アルってヤツ、本当に屋敷にいなかったな』


「お屋敷の人も困惑していたわね」


 手紙を受け取ったヴァルトルーデはそれを読むとすぐにグラーフ伯爵家へと向かった。アルの所在を確認するためだ。しかし、屋敷にはいなかった。夕方から出たままだという。


「でも驚いたわ。外出する前にエイミーとシュテラが屋敷に来ていたなんて」


『エイミーってのはあるじの友達なんだろ? だったらまだわかるけどよ、シュテラってヤツはあるじを嫌ってたヤツだよな。組み合わせがおかしくね?』


「組み合わせがおかしいのもそうだけど、その後三人で西部区の倉庫街に出かけたっていうのがもっと変よ」


『こうなると証拠っていうのも怪しくなってきたよなぁ』


「アルが何を考えているのか全然わからないわ」


『あの悪魔と契約した娘っ子に転んだんじゃね?』


「それはありえないわ。王太子様とものすごく仲がいいんだもの」


『どうだかねぇ』


 茶化すような口調が頭の中に響くがヴァルトルーデは無視した。奥歯をかみしめて松明の明かりが照らす先をじっと見る。


 暗い街の中をヴァルトルーデは歩き続けた。

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