悪魔の置き土産

 悪魔が魔剣に食い尽くされたあとヴァルトルーデは周囲を見渡した。寂れた倉庫内に死体が散乱している。


「もう大丈夫よね? 他に何もないわよね?」


「だといいんだがなぁ。なんかちっとばかしイヤな感じがするぜ」


「脅かさないでよ。悪魔はもう死んだんでしょ? それで終わりにしましょうよ」


「終わりにするかどうかはわしが決めることじゃねぇしなぁ」


「それじゃまだあなたを解放したままの方がいいってわけ? これすっごく疲れるから嫌なんだけど」


「斬る相手がいなけりゃ好きにしていいけどよ。とりあえず、アルの様子を見たらどうなんだ? たぶん大丈夫だと思うけどよ」


 オゥタに指摘されたヴァルトルーデは慌ててアルに駆け寄った。息をしていることがわかって安心するとゆっくりと揺さぶる。


「アル、ねぇアルってば、起きてよ」


「う、うう、ん。ここは、何も、見えない?」


「そっか、真っ暗だから何も見えないんだっけ。ごめんアル、早く起きて魔法で明るくして。私じゃできないから」


 自分は魔剣のおかげで暗闇でも見えるヴァルトルーデはアルを急かした。


 意識がはっきりとしたアルは上半身だけ起きて光の玉を頭上に出現させる。倉庫内がアルを中心にぼんやりと明るくなった。


 ぼんやりとしていた表情を次第に厳しくしていくアルがヴァルトルーデに向き直る。


「かなり迷惑をかけたね。まさかこんなことになるなんて」


「次からは気をつけてちょうだいよ。そう何度も助けられるとは限らないんだから」


「次なんてご遠慮したいね。巧妙に忍び寄ってきて圧倒的な力でねじ伏せられた。人間の力じゃ相手にならないってあの悪魔に言われたけど、その通りだったよ」


「ここまでしてくるなんて思わなかったものね。体におかしなところはない?」


「自分で確認できる範囲では。帰ってから医師に診てもらう必要はあるだろうけどね」


「よかった」


 自嘲するアルを見てヴァルトルーデは安堵のため息を漏らした。オゥタに指示されるままに剣を突き刺した悪影響をずっと気にしていたのだ。


 そんな安心するヴァルトルーデにアルが問いかける。


「そうだ、エイミーは無事かい? 縄で縛られているから早くほどかないと」


「私が行くわ」


 立ち上がろうとするアルをその場に残して、ヴァルトルーデは横たわっているエイミーに近寄った。しゃがんで魔剣の切っ先で縄を切って緩んだ縄を取り除く。エイミーを起こすべく揺さぶると、すぐに身じろぐ。


 その様子を見てヴァルトルーデの顔がほころばせた。ところが、そこへオゥタが真剣な声で警告してくる。


「あるじ、ちょい待った。こいつから妙な気配がするぜ。油断すんなよ」


「妙な気配?」


「あ、ヴァルテ?」


「よかった。エイミーも無事みたいね! あら大変、左目が真っ赤じゃな、い?」


 喜びながらエイミーの顔をのぞき込んだヴァルトルーデは、右の脇腹に何かが差し込まれたような感覚に気づいた。目を向けると、エイミーの左手に握られたナイフが根元まで差し込まれている。


 とっさにその手を左手で握ったヴァルトルーデはナイフを引き抜きながら後ろに下がった。右手の魔剣の切っ先を前に向けながら呆然とする。


「エイミー? どうして?」


「え? ヴァルテ? あたし今、何をしたの? え、血? うそ、なんで?」


 ヴァルトルーデとエイミーの二人がお互いを見ながら混乱していた。


 よろめきながらもヴァルトルーデに近づいたアルがその脇腹を見て目を見開く。


「ヴァルテ、刺された脇腹から血が! 平気なのかい!?」


「え? ええ、そういえば痛くないわね?」


「わしの力を解放している間は傷の痛みを無視できるぜ。傷自体は治んねーけどな。にしてもくっそ、あの悪魔の置き土産かよ。めんどくせーことしやがるぜ!」


「置き土産? もしかしてあの左目?」


「そーだよ。どーも植え込み式らしいな。だから悪魔がいなくなっても操れるんだ。しかも意識がないときはほとんど気配がしねーなんて芸の細かいこをしやがる」


「あの左目もあなたで切れば、エイミーは解放されるのよね?」


「他に何か仕込んでなけりゃな。ま、それはやってみねーとわかんねーけど」


「嫌なこと言うわね。でも、やらなきゃ」


 アルを下がらせたヴァルトルーデはエイミーと対峙した。目の前のエイミーは半狂乱している。


「うそ、なんで!? どうしてあたしがヴァルテを刺したの!? あああ、いや!」


「エイミー、落ち着いて。あなたは何も悪くないわ。悪いのはみんなあの悪魔のせいよ」


「ああ、ヴァルテ! 血がたくさん出てる! ごめんなさい、ごめんなさいぃ」


「平気よ。全然痛くないの。それより私の話を聞いて。今からあなたの左目に付いてる悪いものを切るからね。それが済んだら本当におしまいよ」


「あたしの左目に何かあるの?」


「あなたを操っているものがあるのよ。それを今から切るからじっとしていてほしいの」


「その黒い剣で? だ、大丈夫なの?」


「大丈夫よ。さっきアルを斬ったけどピンピンしてるでしょ?」


「思い返すと気持ちのいいものじゃないけど、無事なのは確かだよ」


 少し離れた場所で二人の様子を見ていたアルが肩をすくめた。それを見たエイミーが不安そうにうなずく。


「わかった。ヴァルテを信じる。痛くしないようにしてくれると嬉しいな」


「大丈夫、すぐ終わらせるから。ところで、そのナイフって手放せない?」


「さっきから捨てようとしてるんだけど、手がいうことをきかないの」


 血がべっとりと付いたナイフを左手に持ったエイミーが泣き顔を浮かべた。鼻をすすりながら左腕を振るがその手はナイフを握ったままだ。


 眉をひそめたヴァルトルーデはすぐに真剣な表情になった。そこへオゥタが話しかける。


「こりゃおとなしく切らせちゃくれねーだろーなー」


「わかってるから黙って。さっさと終わらせるわよ」


 しゃべり終えたヴァルトルーデは一呼吸すると前に出た。そのまま魔剣をエイミーの左目に突き出す。しかし、左側に回り込むように避けられると血塗れのナイフで斬りかかられた。その攻撃を後退することで躱すと魔剣の腹で左手を叩く。


「痛っ!」


 悲鳴を上げたエイミーはその衝撃に耐えられずにナイフを取り落とした。操られていてもその体は素人の貴族子女のものだ。体力も耐性もない。よろめくエイミーは右手で左手をかばったまま体が止まった。


 大きく踏み込んだヴァルトルーデは魔剣の切っ先を左手に気を取られているエイミーの左目に突き刺す。そして、その勢いそのままに左側頭部へと切っ先を動かした。


 魔剣の刃先には黒いものが刺さっている。それは不気味にうごめいていた。やがて痙攣する。


「なによこれ?」


「エイミーの左目に植え込まれていやヤツだ。悪魔の一部みたいだぜ。小ぶりだが一応喰っとくか。腹の足しにはなるからな」


 その黒いものはすぐに魔剣へと吸収された。切っ先から消えてなくなる。


 切っ先からエイミーに目を移したヴァルトルーデは親友がしゃがんで左目を押さえていることに気づいた。慌てて近寄る。


「エイミー、大丈夫!?」


「うん、平気。少し痛いけどそれだけだから。それよりもヴァルテの傷の方が心配だよ」


「これね。今はいたくないから平気よ。オゥタ、これで本当に終わりよね?」


「おかしな気配はこの辺にはねーな」


「それじゃ解放を止めるわよ。いつまでも自分の命を削りたくないし」


「大して使ってねーんだからそんなに気にしなくてもいーぜ。そこまでごっそり持って行くもんじゃねーしよ」


「削られること自体が嫌なのよ。はい、もう止めるわね」


「そりゃいーけどよ。傷の痛みをもろに受けるぜ?」


「え? あ」


 瞳の色が深紅から碧へと戻ったヴァルトルーデは呆然としたまま地面に手を突き、そのまま倒れた。顔は青ざめ玉のような汗が浮かび上がる。右の脇腹が焼けるように熱い。強烈な痛みと疲れでヴァルトルーデは頭がぼんやりとする。急に短く荒い呼吸を繰り返すようになった。


 突然のヴァルトルーデの変化に驚いたエイミーとアルが駆け寄ってくる。


「ヴァルテ!? ああどうしよう、血がこんなにたくさん出てるよぅ」


「これはまずい。こんなに出血していたのか。エイミー嬢、傷を癒やす魔法は使えるかい?」


「ちょっとだけなら。でも、ヴァルテの傷に効くかは」


「できる範囲でいいからヴァルテにかけて。僕も一緒にやるから。容態が落ち着いたら西部区の警邏所けいらじょに運ぶよ。あそこなら負傷者の治療がある程度できるから」


「はい!」


 目は開いているものの、ヴァルトルーデには周囲に反応を見せなかった。傷の痛みと戦いの疲れで余裕がないのだ。


 そんなヴァルトルーデの頭の中にオゥタの声が響く。


『あーあ、だからいったのによ』


 その呆れた声に対してヴァルトルーデはうるさいと一言返し、そのまま意識を失った。

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