第7章 我が事成就せり

絶対安静

 王都でヴァルトルーデが生活しているイェーガー子爵邸は男爵家の屋敷並に狭い。屋敷というよりも平民の家に近いくらいだ。もちろん平民のものよりは立派なのだが、貴族としては特に子爵家としては残念だというだけである。


 屋敷は二階建てで寝室があるのはその二階の方だ。当然広くはない。ベッドとクローゼットと机くらいが目立つ調度品である。


 その自分のベッドでヴァルトルーデはぐったりとしていた。


「あーつらいわぁ。何よこの反動、聞いてないわよぉ」


『そりゃ言い忘れてたからな、あっはっはっ!』


「体の芯から何かが削れる感じがしてたけど、あれが命を削るってことなの?」


『どんな感じかはわしにはわかんねーけど、たぶんそーなんじゃね。ちびっとずつあるじの命をもらってたし』


「もう最低よ、あなたなんかに命をあげることになるなんて」


『エイミーとアルを助けるためにゃ他に方法なんてなかったろ。あきらめろって』


「私の命ってどのくらい削られたわけなの?」


『ちびっとだけだ。力を解放するときにもらったくらいかねぇ。短時間だったから、直前にぶっ殺してたのと前から溜め込んでたやつで賄えたぜ。運が良かったな!』


「やっぱりあなたはどこかに埋めるべきね」


『ひひひ、契約を解約してからな』


「全身の筋肉痛もあるから最悪よ!」


 若干やつれた様子のヴァルトルーデの頭の中にオゥタの楽しそうな声が響いた。仕返しをしてやりたいという気持ちは強くなるがベッドから動けない。


 不満げにオゥタと話をしているとヴァルトルーデはメイドから来客を告げられた。


 寝室に入ってきたのはアルだった。心配そうな顔をしている。


「やぁ、警邏所けいらじょ以来だね。具合はどうかな?」


「脇腹の傷は魔法である程度治してもらえたから痛みはそれほどないわ。ただ、出血がひどかったから体力が回復していないの」


「倉庫での戦いからまだ一日半程度しか経ってないからね。仕方ないさ。これからも魔法使いと医者はこちらから送るからきちんと治してもらうといい」


「私、破産しちゃうわよ」


「費用は僕が負担するよ。助けてもらったんだからそのくらいはするさ」


 わずかに肩をすくめたアルが自嘲した。


 来訪者がまだ立っていることに気づいたヴァルトルーデは椅子を勧める。机の前にあった椅子を自分で持ってきてもらった。その様子を見て気づいたことを尋ねる。


「あのとき思いっきり剣を刺しちゃったから、どこか悪くしているかもって思ってたけど平気そうね。一応大丈夫だってわかってたからやったんだけど」


「最初から何ともなかったよ。もっとも、僕の不覚でああなったんだから死んでいても文句はいえないさ」


「それで実際に死なれてしまうは嫌なのよ、一生心に残りそうで」


「悪かったよ。自分は大丈夫だってどこかで油断していたんだ。あの悪魔、僕なんかよりずっと強かった」


 口を閉じたアルがヴァルトルーデから目を逸らした。その顔はいつもと違って弱々しい。


 その姿を見たヴァルトルーデは明るい声で話しかける。


「さすがに悪魔ってだけのことはあったわよね。私だってオゥタの真の力を解放しないと勝てなかったもの」


「ヨーナスに操られていたときにも意識はあったけど、あの魔剣が赤黒く輝いて黒い風が吹き荒れたのはすごかったね。しかも、ただでさえ強かったヴァルテが更に強くなって」


「あれ結構ぎりぎりだったのよ。力を解放すると確かに強くなるんだけど、性格がやたらと好戦的になったのが厄介だったわね。我慢するのに苦労したわ」


「でも、あれだけのことをしようとすると、必要な魔力も膨大になるんじゃないかな?」


「あれは魔力を使ってるんじゃなくて」


 途中までしゃべってヴァルトルーデは口を閉じた。失敗したという表情をして目を逸らす。


 その様子を見たアルが怪訝な表情を浮かべた。しかし、しばらくして思い出す。


「倒れる前に言ってたっけ、命を削るって」


「そうよ。オゥタの、魔剣の真の力を解放するには契約者の魂が必要なのよ。聞いた限りでは、今回は短時間だけだったから力を解放するために少しだけで済んだらしいけど」


「禍々しい形をしていたけど、やっぱり危険な代物なんだね、あの剣は」


「でも、そのおかげでアルを助けられたのは確かよ。あの悪魔だけを殺せたのはオゥタの能力があればこそだったし」


 説明を聞いたアルは沈痛な表情のまま下を向いた。何かを言おうとして口を開きかけては閉じかけたが、それでも顔を上げて目を向ける。


「すまない。僕の不覚の代償をきみに支払わせていたなんて最低だな」


「あなたが死ぬよりかはずっとましでしょう。少なくとも、私は後悔していないわよ」


「そうか。そう言ってもらえると助かる」


 今まで顔に影のあったアルが始めて明るく笑った。かすかに頬も赤い。


 友人が明るくなったのを見て肩の力を抜いたヴァルトルーデが話題を変える。


「そうだ、エイミーはどうなっているの?」


「今は自分の屋敷で静養している。医者に診てもらった限りでは体に外傷はないらしい。念のため魔法での治療も受けさせたけどね」


「精神的にはどうなの? 私を刺した直後は錯乱してたから、後で塞ぎ込んでいないか心配で」


「僕と別れるときまでは疲れていたみたいだけど平気に見えた。けどこれは、きみを助けようと気が張っていたからだと思う。屋敷に戻ってからはわからないな」


「今すぐそばに行って声をかけてあげられたらいいんだけど」


「ヴァルテはまず自分のことを優先だね。それに、エイミーのことはとりあえず気にしなくてもいいよ。王太子様がお見舞いに行ってるから」


「は? そんなことして大丈夫なの!? 今は大事な時期なんでしょ? っていうかしゃべったの?」


「いやぁ、警邏所にきみを運んだときにちょっと大事になっちゃったね。それでどこからか聞きつけた王太子が僕のところへ来て、ね」


「で、全部しゃべったと」


「もちろん、前みたいに王太子様は変装してるよ。馬車も僕のやつをお貸ししたし」


「まぁそれならいいのかしら」


「仕方ないさ。好きなご令嬢が大変な目に遭ってるときに何もできなかったんだから」


「あの場に王太子様がいらっしゃったらもう一つ面倒なことになっていそうだから、ご遠慮してもらいたいわね」


「これは手厳しいな」


 笑顔を浮かべてヴァルトルーデにアルは苦笑いを返した。しかし、すぐに真面目な顔になる。


「今の僕が気にしていることはパオリーネ嬢がどう動くかだよ。あの悪魔がいなくなったらもう呪う手段はなくなるはずなんだけど」


「それもそうなんだけど、今回の首謀者は結局誰だったの? パオリーネ様でいいの?」


「僕とエイミー嬢の記憶を付き合わせるとそうなるんだけどね」


「待って、まさかこれだけのことをしでかしてお咎めなしなの!? 今回はいくら何でも隠し通せないでしょう?」


「落ち着いて。今回のことはとても厄介なことなんだ。謝罪したいということでエイミー嬢がパオリーネ嬢に放課後の教室へ呼び出されたそうなんだけど、この場にいたのはその二人とシュテラ嬢、それに令嬢に変装していた悪魔だけだったらしい」


「ああなるほど、私がエイミーの鞄をあさっていたシュテラ様を訴えられなかったのと同じことなのね」


「そうなんだ。しかもその理由が、自分は謝罪をした後一人で先に帰ったので後のことは知らない、なんだ」


「最低、でもそれならシュテラ様に証言してもらえればどう?」


「悪魔に右目を細工されていたらしいシュテラ嬢は、用済みになったら右目の細工を解かれて解放されたんだ。けど、目をえぐり出すかのような処置だったから、シュテラ嬢はほとんど発狂したみたいな感じだったんだ」


「ひどいことするわね」


「あのときは僕の体を使ってやったものだからまだ感触が残ってて気分が悪いよ。それで、シュテラ嬢は神経が衰弱していて今は静養中なんだ。あれじゃ証言できるか怪しいね」


 二人して表情が暗くなった。今回は本人の姿まで見えたにもかかわらず、身分の差によって手が届きそうにない。


 難しい顔をしたアルは話し続ける。


「あの悪魔を倒せたのは良かったけど、パオリーネ嬢の尻尾を掴むという点ではまずかったかもしれない。結局、証拠が何もないんだよね。悪魔という最大の証拠も消えたし」


「グリム侯爵のお屋敷には何も残っていないと思う?」


「たぶんね。悪魔が倒された契約者は恐らく気付くだろうから証拠の隠滅に動くだろう。うっかり処分し忘れているというのは考えにくい」


「となると、あーそっか。結果だけ見たら、私達って目的を果たしつつあるパオリーネ様の後始末を手伝っちゃったのかもしれない」


「その発想はなかったな。そう思うと余計に悔しくなる」


 嫌なことに思い至ってしまった二人は揃って肩を落とした。

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