逢い引きのお膳立て
休日の昼下がり、ヴァルトルーデはエイミーと一緒に飲食店カミレの個室にいた。四人席テーブルの扉から向かって左の奥にエイミー、手前にヴァルトルーデが座っている。
二人の目の前には特製チーズケーキとお茶のセットが置いてあった。ヴァルトルーデはそれをおいしそうに食べる。
「エイミーが要求してくるだけあっておいしいわね。食べないの?」
「た、食べたいけど、これからのことを考えたら喉なんて通らないよぉ! イグナーツ様に会うんだよ!?」
「だったら尚のこと今のうちに食べなきゃダメじゃない。本人目の前にしたら味なんてわからなくなるわよ?」
「う~、絶対あと六回食べてやるんだからね!」
小さい二股のフォークを手に取ったエイミーが涙目になりながら特製チーズケーキを食べ始めた。悔しそうな顔をしながらもおいしいとつぶやく。
二人が特製チーズケーキを食べ終わった頃になって個室に男二人が入って来た。アルとイグナーツである。
「遅れてすまない。ああ、そのままでいいよ。城から抜け出すのにちょっとてまどってね。こちらの普段とは髪と瞳の色が違うお方が王太子様だよ」
「エイミー嬢、ヴァルトルーデ嬢、今日は付き合ってもらって感謝する。特にエイミー嬢、俺のわがままに付き合ってくれてありがとう。エイミー嬢?」
「え!? あ、はい!」
呆然とイグナーツを見ていたエイミーは声をかけられて我に返った。返事はしたものの、
その後の言葉が続かない。
わずかに戸惑ったアルとイグナーツは顔を見合わせたがとりあえず席に座る。
「四人そろったところで本日集まった趣旨をもう一度話しておくよ。今日は王太子様にエイミー嬢と夕刻までお話をしたり散策したりしてもらうのが目的なんだ」
「ヴァルテからそう聞いています。理由は後で教えていただけるとも」
「そうだね。終わった後にすべて話すよ。僕でもヴァルテにでも聞いてくれたらいい」
「さりげなく私に振ろうとしてるのね」
「どうせ大した内容じゃないしね。ということで、エイミー嬢は王太子様と楽しく過ごしてくれたらいい。こちらから言い出したことだからある程度なら好きにしてくれていいよ」
「俺からも一言。今日は楽しく過ごすことを考えてくれたらいい。できれば王太子という身分は無視してくれると嬉しいな」
「えぇ」
笑顔で説明してくるアルとにこやかに伝えてくるイグナーツにエイミーは戸惑った。ちらりとヴァルトルーデに目を向けると苦笑しながらうなずいている。
「わ、わかりました。頑張ります!」
「それじゃまず二人が打ち解けるような話をした方がいいよね。僕が話せることだと、僕のところで働きたいと言ってやって来たヴァルテとの面接のことかなぁ」
「待ってどうしてそれを今話すのよ!? 全然関係ないじゃない!」
「まずは二人の肩の力を抜いてもらうために、軽めの話から入った方がいいと思ったからさ。うってつけだろう?」
「私を笑いものにする気満々じゃない!」
「そう言われると気になるな」
「あたしも気になる」
「エイミー、あなた!?」
隣に座っている裏切り者にヴァルトルーデが怒りの表情を見せた。その間にアルが当時の話を始める。
こうしてまずは四人での雑談から始まった。アルの狙い通り昔話はエイミーの緊張はほぐれ、やり返せるような話題がないことに気づいたヴァルトルーデがむくれる。その姿が更に周囲の笑いを誘った。
これをきっかけにエイミーがイグナーツと話し始める。最初は短い言葉でぽつぽつと受け答えするだけだったが、時間の経過とともになめらかになっていった。そうして三十分も経った頃にはおおよそいつも通りのエイミーに戻る。
二人のやり取りを見ていたヴァルトルーデがアルに目を向けた。するとアルがうなずく。
「おしゃべりは楽しいけど、そろそろここを出ようか。夕方までの時間はそんなに長いわけじゃないしね」
「そんなに話し込んでいたのか? 思った以上に時間が経つのが早いな」
「王太子様、これからはエイミー嬢と二人で街中を散策してもらいます。一応僕とヴァルテも目立たないところにいますけど、お気になさらず」
「好きに散策していいと聞いているが、それでいいんだな?」
「ええ。お二人で気の向くまま歩き回ってください」
アルの言葉にイグナーツはうなずいた。
一方、ヴァルトルーデはエイミーへと話しかける。
「最初の頃に比べてかなり打ち解けたみたいだから、二人きりでも平気よね」
「うっ、改めて言われると緊張してきちゃうかも」
「大丈夫よ。今日は無礼講だってアルも言ってたじゃない」
「それを額面通りに受け取れるのはヴァルテだけだよぅ」
「なんにせよ、私もアルと一緒に見えないところで応援してるからね!」
不安な表情を見せるエイミーに対してヴァルトルーデが明るく励ました。
先にアルとイグナーツが席を立つと、ヴァルトルーデとエイミーもそれに続く。飲食店カミレの前で改めて集まった。
四人が顔を合わせたところでアルが口を開く。
「それでは、王太子様はエイミー嬢と一緒にお好きなところへと向かってください」
「わかった。では行こうか、エイミー嬢」
「はい、イグナーツ様」
優しく声をかけてきたイグナーツにエイミーはうなずいた。二人は往来の多い大通りを南に向かって歩いて行く。
雑踏の中に消えつつある二人の姿を見たヴァルトルーデは隣のアルへと顔を向けた。怪訝な表情のまま問いかける。
「これ本当にちゃんとあの二人の後をつけられるの? すぐに見失わない?」
「王太子様には僕が魔力を込めた宝石を一つ持ってもらっているんだ。僕はそれをいつも監視しているから見失うことはないよ」
「さすがは優秀な魔法使いね。これであの二人の会話も聞き取れたら完璧なんだけど」
「そこまではできないよ。それに盗み聞きはよくないでしょ」
「監視なんて言ってたから」
「探知って言葉にしておくべきだったかな。おっと、そろそろ行こうか」
もうすぐ見えなくなるエイミーとイグナーツの後を追ってヴァルトルーデとアルも歩き始めた。
中央部区の北中門通りを南下した二人は東中門通りに移る。その歩みは遅く、周囲を見ながら歩いていた。
先を歩く二人を眺めながらヴァルトルーデが眉をひそめる。
「いつもならそんなに気にならないんだけど、結構人通りが邪魔ね」
「そりゃみんな好き勝手に歩くからね。密偵を本業としているわけでもない僕たちが、誰かを見ながら人混みの中を泳ぐようには歩けないさ」
「どうせならもっと近くで見たいのに」
「あちらに意識されるようなことは避けたいんだけどな。まぁいいや。だったらもう少し近づこうか」
苦笑いするとアルが足を速めた。ヴァルトルーデが後に続くとみるみるエイミーたちとの距離が縮まる。
「自分で言っておいてなんだけど、近づいていいのかしら?」
「僕たち二人が人として認識されない魔法をかけたからある程度は平気だよ。特に楽しく逢い引きしているあの二人なら気にならないだろうね」
「いつの間にそんな魔法をかけたのよ」
平気な顔をして説明するアルにヴァルトルーデは顔を引きつらせた。再びエイミーとイグナーツへと目を向けると気づいていないようだ。
改めて二人の様子を見ると実に楽しそうに歩いている。東中門を通り抜けて工業地区である東部区へと入った。途端に物作りの活気が押し寄せてくる。
行き先を決めていないらしい二人の足の先はいろいろな場所に向かった。工房が並ぶ東部区を覗いてみたり、平民の住む南部区を見学したり、平民向けの商店街でウィンドウショッピングを楽しんだりと、大まかにとはいえ王都全体を巡る。
「エイミーってあんなに歩いても平気だなんて意外ね。途中で疲れると思ってたのに」
「僕はかなり疲れたかな。ヴァルテは平気なんだ」
「田舎でも走り回ってたし、王都に来てからも仕事であちこちを歩き回っていたもの」
「田舎娘だってみんなが噂していた理由がよくわかったよ」
「蹴っ飛ばすわよ、アル」
西日が強くなる中、疲労の色が顔に浮かぶアルをヴァルトルーデが睨んだ。しかし、すぐにエイミーとイグナーツの二人へと視線を戻す。
場所は西部区の北西門に続く坂から少し離れた丘の上にある小さな広場、ここに二人は立っていた。しばらく何かを話していたが、イグナーツが手を差し出すとおもむろに踊り始める。
朱に染まる舞台、演奏もないまま二人は舞う。たまにエイミーの足がおぼつかなくなるがイグナーツがそれを支えた。
やがて二人だけの舞が終わる。そのまま見つめ合っていた二人はしばらく何かを話していたが、目に涙を浮かべるとそのまま抱き合った。
離れた場所でその光景を眺めていたヴァルトルーデは目を見張る。ただ、大変なことが起きたことだけは理解できた。
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