よみがえる昔日(エイミー サイド)
王太子イグナーツと二人で過ごすようにヴァルトルーデから話を聞いたとき、最初エイミーは親友が何を言っているのかわからなかった。
雲の上の方、誰からも好かれてる人気者、そして、絶対に手が届かない男性。エイミーにとってのイグナーツとはそんな人物である。
だからこそ、突然親友を通しての頼み事にエイミーは当惑した。本来ならば恐れ多くて一も二もなく断る件である。
なのに最後は引き受けた。理由はかつて夜会で一度踊ったときに感じた感覚である。なぜ昔のことを思い出し、懐かしんだのか。その理由が知りたかったのだ。
しかしそうはいっても、王族と会うことはエイミーにとって大変なことである。
「エイミーが要求してくるだけあっておいしいわね。食べないの?」
「た、食べたいけど、これからのことを考えたら喉なんて通らないよぉ! イグナーツ様に会うんだよ!?」
お気に入りのお店の特製チーズケーキを目の前にしてもエイミーは緊張していた。せっかくの好物もチーズケーキの味としかわからなかったくらいである。
アルに案内されたイグナーツが現れたのはそんなときだ。
その姿を見てエイミーは息が詰まる。顔の形が似ているだけでなく、暗い金髪も茶色い瞳も当時の少年とそっくりだったからだ。胸が高鳴る。
「エイミー嬢、ヴァルトルーデ嬢、今日は付き合ってもらって感謝する。特にエイミー嬢、俺のわがままに付き合ってくれてありがとう。エイミー嬢?」
「え!? あ、はい!」
呆然とイグナーツを見ていたエイミーは声をかけられて我に返った。返事はしたものの、その後の言葉が続かない。
四人がそろうとアルが今日の趣旨を改めて説明してくれ、それからみんなでおしゃべりを始める。最初は緊張していたエイミーも親友の面白い話しを聞いて肩の力を抜いていった。
個室内で楽しく話をしていたエイミーだが、時々話の輪から外れたときにイグナーツの顔をちら見する。何度見てもあのときの男の子の顔と重なった。その度に顔を赤くする。
「おしゃべりは楽しいけど、そろそろここを出ようか。夕方までの時間はそんなに長いわけじゃないしね」
頃合いを見たアルが声をかけてくるのをエイミーは聞いた。みんなが店を出る。いよいよだ。
四人が顔を合わせたところでアルが口を開く。
「それでは、王太子様はエイミー嬢と一緒にお好きなところへと向かってください」
「わかった。では行こうか、エイミー嬢」
「はい、イグナーツ様」
優しく声をかけてきたイグナーツにエイミーはうなずいた。二人は往来の多い大通りを南に向かって歩いて行く。
四人でいたときはかなり話せるようになったエイミーだったが、イグナーツと二人きりになると再び緊張し始めた。
しばらく黙っていたイグナーツがエイミーに顔を向けてくる。
「どこか行きたいところはあるかな?」
「あたしがですか? えっと」
「正直なところ、王城と北部区の主なところしかよくわからないんだ。地図上ではある程度知っているんだけどね。実際に行ったところはほとんどなくてさ」
「あ、そうだ! イグナーツ様がご確認したいことがあるんでしたよね? もしそれがどこかの場所でしたら、あたしの知っている範囲でご案内できるかも」
「なるほど。そうやって決める方法もあるのか。それなら、東部区の工房街に行ってみないか?」
「でしたら、東中門通りから行きましょう。大通り沿いにありますからすぐですよ!」
やれることができて元気になったエイミーが笑顔を振りまいた。イグナーツはそれに応えてうなずくと歩き出す。
東部区の工房街は東門通り沿いに軒を連ねていた。工房といっても多様で、馬車の車体を作っている大集団から金物細工を作っている個人業まで様々だ。
活気のある大通りを興味深そうに見ていた二人だったが、イグナーツの方は首をかしげている。
「おかしいな。確かこの辺りだと思ったんだが」
「お探しの工房が見つからないんですか?」
「それもあるんだけど、ちょっと思っていたのと違うかな。昔の記憶と一致しなくて」
「老舗でなければお店も工房もすぐに変わっちゃいますよ。もしかしたらなくなっちゃったのかもしれないですね」
「なるほどな。なら、今日は楽しもうとするかな。エイミー嬢を放っておいて確認ばかりじゃ失礼だしな」
「そんな、別にあたしは」
「せっかく二人で来てるんだし、一緒にいろいろ見て回ろう!」
明るく宣言したイグナーツはエイミーの手を取って歩き始めた。
突然のことにエイミーは驚く。そして、左手に感じるぬくもりを意識して赤面した。
それから二人は王都のあちこちを歩いて回る。東部区の工房街を一通り見て回ると、イグナーツが庶民の暮らしを見たいと言い出して南部区へ足を伸ばし、そこから西部区にある商店街で平民に紛れ込んだ。
王都内の各地を歩き回るこの逢い引きはエイミーにとってとても楽しいものだった。それはかつて幼かった頃に男の子と冒険した思い出に勝るとも劣らない。再び宝物を手にしたかのように望外の喜びにひたった。
商店街を歩く中でエイミーが質問に答えてくれるのを聞いてイグナーツが感心する。
「ここは平民の集まる店だろう? エイミーはずいぶんと詳しいな」
「ほとんどがヴァルテの受け売りなんです。ヴァルテったら商人の仕事を引き受けることもあるそうなんで」
「いろいろとやっているらしいとはアルから聞いていたが、ヴァルトルーデ嬢は手広いな」
「あたしもそう思います。田舎で貧乏暮らしをしているとこうなるってぼやいてました」
「なるほど。それでたくましいわけだ」
説明を聞いたイグナーツが笑った。
しかし、楽しい時間はすぐに過ぎる。気づけば日が大きく傾きつつあった。
二人は今、西部区の北西門に続く坂から少し離れた丘の上にある小さな広場に立っている。
「今日は本当にありがとう。とても楽しかった。立場を考えずに羽目を外せる機会なんてそうないものだからね」
「お役に立てて何よりです、イグナーツ様。あたしも楽しかったです。子供の頃を思い出しました」
「俺もだよ。以前ここで一度女の子と踊ったことがあるんだけど、その子とも王都の中を巡ったことを思い出していたんだ」
「え?」
「今日確認したかったことはそれなんだ。名前を教えてもらえなかったから姿を頼りに、なんて思ってたんだけどうまくいかなくてね。ただ、前の夜会のときに君と踊ってひどく懐かしい感じがしたんだ」
朱く染まるイグナーツを見ながらエイミーは呆然とした。体がこわばり、声が出ない。
「だから、アルとヴァルトルーデ嬢に頼んで今日のこのときを用意してもらったんだ。あのときと同じようにしたら何かわかるかもしれないって」
「うそ、そんな」
「あのとき、別れる前に女の子と踊ったのがこの場所だったことだけははっきりと覚えているんだ。もし君があのときの女の子だとしたら、そのときのことを覚えていてくれているかな」
二人はしばらく見つめ合っていたが、イグナーツが手を差し出した。そうして告げる。
「ねぇ、俺と踊ってくれないかな」
「でもあたし、まだ習い始めたばっかりでぜんぜん踊れないよ?」
「いいよ、俺が教えてあげるから」
「ほんとに? それじゃ踊ってあげるっ!」
差し出された手を取ったエイミーが一歩前に出た。それを合図に二人がゆっくりと動き出す。
朱に染まる舞台、演奏もないまま二人は舞う。たまにエイミーの足がおぼつかなくなるがイグナーツがそれを支えた。
遠くから聞こえる喧噪が静かに盛り上げ、西日が二人だけの舞踏会場を照らす。
やがて二人だけの舞が終わった。どちらもそのまま動かず離れない。
目に涙を浮かべていたエイミーがささやくように言葉を漏らす。
「あれは夢なんだって思ってました。だってあんまりにも楽しくてきれいな思い出だったから。でも、それが本当のことだったなんて」
「俺だって信じられない。もしかしたらとは思ってたけど、本当に君があのときの女の子だったなんて。でも、あのときとはずいぶんと変わったね?」
「あのときは田舎から王都に引っ越して来たばかりだったんですよ。田舎では走り回ってばかりいて男の子のようでしたから、今とは全然違って見えるのは当たり前です!」
「そうだったのか。でも、踊るときの癖はあのときのままだったね。つまづくときのタイミングも同じだったのには驚いたよ」
「ひどいです! それってあたしが全然成長していないってことじゃないですか!」
「はは。けど、そのおかげで再会できた。だから悪いことじゃないよ」
「そんな言い方ずるいです!」
「悪かった」
涙を流しながら笑顔を浮かべていたイグナーツがエイミーの体を引き寄せた。そのまま背中に手を回す。エイミーは逆らわずにそのまま身を委ねた。
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