第6章 悪魔の罠

謝罪の場(パオリーネ サイド)

 王立学院では一日の最後の講義が終わると生徒の巻き起こす喧噪で校内が騒がしくなる。しかし、それも長くは続かない。次々と下校していくからだ。三十分もしないうちにがらんとする。


 薄い西日を浴びる淑女堂も人影はほぼなかった。教員は教授舎という教職員用の建物に戻っていて誰もいない。


 そんな淑女堂の講義室の一つに三人の人影があった。一人は泰然と座るパオリーネである。赤いツーピースドレスが朱い光で更に濃く染まっていた。


 左隣に控えている特徴のない顔の子女にパオリーネが声をかける。


「そろそろ来る頃ですわよね」


「そうだ。指示された通り平身低頭して誠意というやつを演出したから来るだろう」


「で、あなたが見た感じではどうでした?」


「儂の呪いは未だに効果が途切れておらん。そして、呪いを阻む何かを身につけているのは間違いない」


「となると、その何かを取り上げてしまえば、あなたの魔法は有効なのですね?」


「その通りだ。ただし、今回は呪うのではなく操るのだがな」


「期待していますよ、ヨーナス」


 陰気な笑みを浮かべるヨーナスにパオリーネは涼やかな目を向けた。


 二人が会話をしている間、右隣に立っている少女はうめきともすすり泣きとも受け取れる声を上げている。赤茶色の髪に青色の瞳をしたシュテラだ。しかし、いつもの強気な気配はまったくなく、うつむいて右目を押さえている。


「うう、ひっく。パオリーネ様ぁ、怖いです。あたしの中に何かが入ってくるんですぅ」


「今しばらく我慢なさい。役目を果たせば右目を元に戻して差し上げますから」


「はいぃ。うう、でも、ちゃんと元に戻るんですよね? 変な跡とか残らないですよね?」


「ヨーナス?」


「寸分違わず元に戻る。人形の瞳を埋め込んだときも、傷一つ付かなかっただろう」


「だそうですわ」


「早く、早く終わらせましょうよぅ」


 しゃくり上げながらシュテラが涙声で訴えた。しかし、二人からの返事はない。


 そのとき、講義室に一人の少女が入って来た。ゆったりとしたツーピースの服を着たエイミーだ。警戒しながらゆっくりと近づいてくる。


「パオリーネ様、謝罪したいというお話を聞きましたから、やって来ましたけど」


「その通りよ。よく来てくれたわね、エイミー。今回シュテラがしでかしたことは本当に申し訳なく思っているよ」


「はぁ、そうですか」


 笑顔で謝罪をされたエイミーは困惑の表情を浮かべた。謝罪を素直に受け取れないでいる。親友の言動からパオリーネにいい印象がないからだ。


 更に、シュテラの態度にも違和感があった。何度か見せたあの傲慢ともいえる雰囲気がまったくない。パオリーネに徹底的に怒られたからなのかもしれないが、何かに怯えているようにも見える。


「今後はあのような淑女にあるまじき行動をしないよう、シュテラにはよく言い聞かせておきますのでご安心してくださいな」


「はい、わかりました。用が済んだのでしたら、あたしはこれで」


「お待ちになってください。せっかくですので少しお話をしましょう。前から気になっていたことがありますの」


「あたしにですか?」


 嫌な感じのするこの場から早く離れたいエイミーは一瞬嫌な顔をした。しかし、思いとどまって再びパオリーネに顔を向ける。


「何が聞きたいんですか?」


「王太子様とのご関係です。以前、夜会で王太子様と踊られたところを拝見しておりましたが、ずいぶんと親密なようにお見受けしましたから」


「あのときは記念にと思って一曲踊っただけで、別に親密とかはそういうのは。直接お目にかかったのはあのときが初めてですし」


「なるほど。では先日、食堂で王太子様と食事をともにされていましたわよね。なぜあなたがご一緒していましたの?」


「えぇ? いろんな人と親睦を深めるためじゃないんですか? 呼ばれた理由をあたしに聞かれてもわからないですぅ」


 これは話というよりも尋問だとエイミーは感じ取った。そして、ここまで尋ねられたらさすがにわかる。パオリーネはエイミーとイグナーツの仲を疑っているのだ。


 念のためとアルから疑われたときのための受け答えについて覚えさせられたが、やっておいてよかったと心から感謝をしている。


 しかし、それでも危機感はなくならない。むしろ強くなった。早く去ろうと一礼する。


「あの、あたしはこれで」


「ヨーナス、どうかしら?」


「駄目だな。やはり身につけている何かで儂の力がはじかれてしまう。完全にというわけではないようだが。なるほど、近づけば多少は干渉できるのか」


「では仕方ありませんね。シュテラ」


「はいぃ」


「え?」


 一歩下がったエイミーはパオリーネたちの言動に驚いた。


 最初はパオリーネの左隣に立っている特徴のない顔の子女の声だ。ここに来るように平身低頭してお願いしてきたときとは違い、暗く陰険な男の声を発している。


 もう一つは反対側に立つシュテラの右目だ。まぶたがなく丸い血走った目玉が見えており、更にはその周辺の皮膚に赤黒い血管がいびつに脈打っている。


「ひっ、シュテラ様、その目は!?」


「あんたさえ捕まえたら、この目を治してもらえるのよぅ!」


「あれ、体が!」


 踵を返そうとしたエイミーは体が思うように動かないことに気づいた。よろめいて近くの机に手をつく。


 その間にいびつな右目のシュテラと子女の姿をしたヨーナスが近づいてきた。


 先にたどり着いたのはシュテラである。机に手をかけながら逃げようとするエイミーの背中にのしかかるようにして抱きついた。そうして遠慮なく腕や体をまさぐる。


 突然の行為にエイミーは凍りついた。乱暴に触られるだけでなく、来ている服まで剥ぎ取られそうになる。


「やだやだ! やめてください、シュテラ様! なんでこんなことを!」


「魔法具をよこしなさい! あんた何か持ってるんでしょう!?」


「離して、触らないでぇ!」


「チッ、儂が直接触るのはまだ無理か。シュテラ嬢、相手の目を見ていないと操作の効果が薄くなるぞ」


 触ろうとしてはじかれた右手を見ながらヨーナスが警告した。しかし、聞こえていないのかシュテラはエイミーの体をまさぐるばかりである。


 顔をしかめたヨーナスは回り込んで床に膝を突いたエイミーに目を合わせた。すると、エイミーの体の動きが更に鈍る。


「その首飾りが怪しいな。シュテラ嬢、そいつを取り上げてみろ」


「ダメ! それは! ああ!?」


 ほとんど動かない体でエイミーは必死に抵抗した。しかし、小ぶりなダイヤモンドをあしらった首飾りをシュテラによって首から外されてしまう。


 すると、あれだけ抵抗していたエイミーは動きを止めて無表情でヨーナスを眺めるようになった。


 三人の様子を座って見ていたパオリーネが口を開く。


「終わりましたか?」


「ああ、これでこのエイミーという小娘は自在に操れるようになった」


「なるほど、その首飾りが原因でしたのね。どうりでシュテラがいくら探しても見つけられなかったはずです」


「パオリーネ様ぁ、これでもう終わりなんですよね? 元に戻してもらえるんですよね?」


「まだです。最初に説明したでしょう。心配せずとも、あなたの役目が終わればヨーナスが治してくれます」


「ううぅ」


 立ち上がったシュテラがパオリーネになだめられて涙目になった。首飾りを手にしたまま、しきりに鼻をすすり上げる。


 一方、貴族子女の姿をしたヨーナスは二人に分裂した。そして、そのうちの片方が膝を突いたエイミーの中へと入っていく。やがて完全にその姿が消えるとエイミーの体がびくりと震えて立ち上がった。


 今まで座っていたパオリーネが立ち上がる。


「それでは、後のことは任せましたよ、ヨーナス」


「確かに引き受けた。こちらを嗅ぎ回る目障りな者もまとめて処分してやろう。さて、エイミーの体はどうだ、我が分体よ」


「問題ない。自由に動かせる。この後、もう一つの標的に乗り換えればいいのだな」


「その通りだ。しかし、この小娘の体に仕掛けを施しておくのを忘れるなよ」


「わかっている。備えは必要だからな。おっと、この小娘、面白い情報を知っているな。王太子と両思いらしいぞ」


 分体に取り憑かれたエイミーが振り向いた。


 表情を消しながらもパオリーネの目は細くなる。


「両思いですって? 片思いではなく?」


「ああそのようだ。儂は取り憑いた者の記憶をのぞけるからな。間違いない」


「わたくしの勘は正しかったのですね。強引な手段に訴えて正しかったと。報告感謝いたしますわ。それでは、この後も手はず通りに」


「よし、シュテラ嬢、行くぞ」


「ひっく」


 右目を押さえるシュテラを率いたエイミーが講義室から出た。次いで貴族子女の姿をしたヨーナスがその場から姿を消す。


 それらを見ていたパオリーネはしばらくしてから最後に講義室から去った。

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