貧乏な子爵令嬢は仲のいい親友の恋に振り回されて婿探しができない

佐々木尽左

第1章 いつもの生活

貧乏令嬢の婿探し

 夏が間近に迫ったある日、王都リヒトに住む老伯爵夫人が夜会を主催した。若者の出会いを手助けするのが趣味の夫人が月に一度開催する有名な夜会だ。


 この夜も年頃の十代半ばから後半にかけての貴族の子弟子女が多く集まった。誰もが親しい人とおしゃべりや初めて会う異性との出会いを楽しんでいる。


 そんな中、一人ぽつんと壁際に立っている少女がいた。腰まで伸びた流れるような金髪、やや切れ長な目に碧色の瞳、すっきりとした鼻、あでやかな唇、細いあご、そしてそれらをきれいにまとめ上げた顔の輪郭。大変な美少女だ。


 普通なら貴族の子弟が放っておかないはずだが、誰もが好奇の視線をたまに向けるだけで話しかけもしない。


 暗い注目を浴びている少女が眉をひそめる。


「わずかな可能性にかけてみたけど、これは失敗ね」


 ため息とともに少女は愚痴を漏らした。親友が用事で参加できないと知ったときに自分もやめておくべきだったと後悔する。


 そのとき、やや壁際で集まっている子弟たちの会話が耳に入った。その内容に少女が目を見開く。


「にしても今日の夜会は外れだな。これだっていう女がいない」


「新顔はこの二ヵ月で大体見たもんな。この時期になると新鮮味はなくなる」


「お前、カーリン嬢と付き合ってるだろ、どんな具合なんだよ?」


「もう別れたよ。全然つまんねーんだもん。お堅くてさ。キスの一つもさせてくれねーし」


「そりゃひどい。男心ってのをわかってないな」


「でも、お前にぞっこんだったろう。もっと時間をかけたら落とせたんじゃないか?」


「そんな面倒なことはしたくねーよ。俺はもっと手軽に遊びたいんだ」


 グラスを片手に談笑する子弟たちへと少女が顔を向けた。すると、子弟の中の一人と目が合う。


「お、あそこにすっげー美人がいるじゃないか。ドレスは古いっぽいけど」


「本当かよってあれ、ヴァルトルーデ嬢じゃないか。あいつはダメだ」


「どうして?」


「あいつはがっつきすぎなんだよ。超田舎にある超貧乏な領主の一人娘でさ、婿養子を捕まえるのに必死なんだ。うっかり手を出すと一生を棒に振るぞ」


 子弟全員の目が少女に注がれた。探る目つき、好奇の眼差し、小馬鹿にした目など、様々な視線が突きつけられる。


 負けずにヴァルトルーデもにらみ返した。一部はひるんだが大半はそのままだ。気の強さも知られてからはあまり効果もなくなって久しい。


 しばらく子弟たちに顔を向けていると背後から声をかけられる。


「今よろしいですか?」


「はい?」


 振り向いたヴァルトルーデの正面にはなかなかの美男子が立っていた。金髪に青い目、背も高く体型もやや線が細い。さぞやモテるだろうという風貌だ。


 面食らったヴァルトルーデは戸惑いながらお上品な声で問い返す。見覚えはない。


「あの、どなたでしょうか?」


「これは失礼。私はドゥム伯爵家のヘンゼルと申します」


「え?」


 相手の丁寧な名乗りを聞いてヴァルトルーデは固まった。名前はともかく、家名は聞いたことがない。伯爵家の数は多くないのですべて暗記しているはずなのに。


 いや、そもそもドゥムというのは家名ではなく単語だ。しかも罵倒語である。


 自分を馬鹿にしていた子弟たちとは反対側へと目を向けると、こちらを見ている集団がいた。みんな暗い興味を隠そうともしていない。


 目の前のヘンゼルという美男子が自分に声をかけてきた理由をヴァルトルーデは理解した。これはゲームなのだ。


 視線を正面に戻したヴァルトルーデにヘンゼルが微笑む。


「どうでしょう、お庭で少しお話をしませんか? 二人きりで」


「ええ、喜んで」


 考えるそぶりも見せずにヴァルトルーデは即答した。


 夜会の会場である老伯爵夫人の屋敷の大部屋は直接庭園に赴ける造りだ。それほど広いわけではなく、剪定せんていされた植物の背も低いので姿を隠せる場所もない。


 開け放たれている硝子張りの扉を通り抜けて二人は歩く。夜会の会場から漏れる明かりだけが頼りだ。屋敷から離れるほど薄暗くなる。


 庭園には幸か不幸か誰もいなかった。半ばまで進むとヘンゼルが振り向く。


「突然話しかけて申し訳ありません。あなたの美しさに惹かれて、どうしても我慢できなかったのです」


「まぁ、それは嬉しいですわ」


 よそ行きの声で応じながらヴァルトルーデは内心でため息をついた。この言葉を真に受けられなくなってどのくらいになるだろうとこの一年半を振り返る。二ヵ月目くらいにはもうすっかり警戒していたことを思い出す。


「私としては、ぜひあなたとお近づきになりたいのですが」


「それは光栄ですわね。私も殿方のお知り合いが増えるのは大歓迎ですわ」


「そう言ってもらえると私も嬉しいです。ですが、私としては更に深い仲になりたいと考えているのですよ」


「まぁ、でもいきなりそんな」


「本気ですよ、私は」


 そう言うとヘンゼルはヴァルトルーデを抱き寄せた。体の下半分が密着する。


 いきなりのことでヴァルトルーデは目を丸くした。これほど強引なのは初めてである。ヘンゼルの笑顔が近づいて来た。


 顔を引きつらせたヴァルトルーデが上半身をのけぞらせる。


「ちょっ、ちょっと近いです! いきなりそんなことをなさるなんて!」


「言ったでしょう。私の本気をご覧に入れますよ」


 急展開にヴァルトルーデは焦った。両手でヘンゼルの顔を避けようとするが、片手で押しのけられてしまう。


 貞操の危機に顔を屋敷側へとそらせると、暗い興味を抱いていた子弟たちが見ていることに気づいた。誰もがにやにやと笑っている。人を弄んでなんとも思っていないのだ。


 焦りの色を浮かべていたヴァルトルーデの顔が真顔になった。左手でヘンゼルの手を押さえつつ右手を軽く振る。


「ん~、ん?」


「おいおい、男に口をつけられる趣味はねーぞ。発情した猿みたいな顔をさっさとどけろ」


「ぷはっ、なんだこれ!?」


 軽薄で品のない声とともに突然目の前に現れた剣にヘンゼルは目を見開いた。慌ててヴァルトルーデから離れる。


 その剣は禍々しい黒濡れの両刃の長剣だ。剣身の中央にうっすらと薄く赤黒い線がある。薄暗い夜の風景の中でもひときわ黒く、見る者を不安にさせる色と形をしていた。


 怒りを称えた眼差しをヴァルトルーデは目の前のヘンゼルへと向ける。


「仲間内の遊びで人の貞操を弄ぶなんて、ずいぶんなことをしてくれるじゃありません?」


「な、なんだよその、剣?」


「そんなことどうだっていいでしょう? 問題なのは、あなたが私を弄んだということです。あちらにいらっしゃる方々はあなたのお知り合いですよね?」


 あごをしゃくった先にはにやにやと笑っていた子弟たちがいた。突然の展開についていけず誰もが呆然としている。


 黙っている美男子へとヴァルトルーデは一歩近づいた。遅れてヘンゼルが一歩退く。


「どこにそんなものを隠していたんだよ!?」


「あら、女性の隠し事をそんなぶしつけに暴こうとするのはよくありませんよ?」


「ふざけるな! なんでたかが罰ゲームでこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ!」


「そんなことは私の知ったことではありません。大体、私を罰ゲームに使うとはどういうことですか?」


「お前みたいな顔だけの田舎娘なんて、私のような者に相手をされるだけ光栄に思うべきなんだ! それを!」


馬鹿ドゥムと名乗っていましたけど、確かにその通りですね。顔ほどにはおつむの出来はよくないようで」


「なんだと! ひっ!」


「もう飽きました。さっさとお引き取り願えませんこと?」


 逆上したヘンゼルに対してヴァルトルーデは黒い剣を突き出した。


 首元に切っ先を突きつけられたヘンゼルは怒りと恐れが混じった表情を浮かべる。しばらくじっとしていたが、すぐに屋敷へと逃げ去った。


 その様子を見ていたヴァルトルーデの右手から黒い剣が消える。


「ふん、つまんない男」


『あんなヤツ、ちょっと斬って脅してやりゃいーじゃねーか』


「バカ言わないで。出禁になって夜会に参加できなくなるじゃない」


『かーっ、めんどくせーな』


 すっかり静かになった庭園にヴァルトルーデの言葉だけが溶け込んだ。先程と同じ軽薄で品のない声は頭の中に響いているため誰にもその声は聞こえない。ヘンゼルが剣に口をつけたときにかけられた声と同じものだ。


 屋敷の中から優雅な音楽が庭園へと流れてきた。開け放たれた扉の向こうでは貴族の子弟子女が楽しく談笑したり踊ったりしている。


「あーもう、つまんないわね。帰りましょう。実家に帰省する用意もしなきゃいけないし」


 王都に住む貴族の中には避暑も兼ねて領地に戻る者も多かった。ヴァルトルーデもその中の一人だ。王都に住み始めて二年目の夏なので準備をすることに不安はない。


 もう一度屋敷内の様子を見てため息をつくと、ヴァルトルーデは足早に会場を去った。

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