第十二話 守護聖獣
アムルとイサールは、闇の中を手探りで歩き続けた。真っ暗な道の先に、小さなマルメロの光がある。
道は、緩やかに下っているようだった。二人は、滑らないよう、足元に気を付けながら進んで行く。だが、あまりゆっくり歩いていては、マルメロを見失ってしまう。
「マルメロっ、待って!」
先程からアムルが何度呼び掛けても、マルメロは止まらない。いつもなら、どこにいてもアムルの呼び声にすぐ反応して戻ってくるマルメロが、今はまるで様子が違っている。
道は、途中で横道や何又かに別れている箇所もあったが、マルメロは迷うことなく進んで行く。まるで何かに操られているかのようだ。
イサールは、脱臼した左肩を右手で抑えながら歩いていた。歩く度、肩に激痛が走る。それでも、前を歩くアムルに
(……らしくないわね)
そう思い、イサールは、心の中だけで
洞の中は、空気が
(ワトルは私に、どうなって欲しかったのかしら……)
身体のほとんどが木化し、ベッドから立ち上がることすら出来なかったワトルから直接イサールが学んだことは、多くない。
じっと何もない空を見つめながら、ワトルが動かない自分の身体をどう感じていたのか……それを想像するだけで、イサールは身のすくむ想いがする。
ただずっと、いつかお前もそうなるのだと、無言のワトルから見せつけられているような気がしていた。
(〝お前は逃げろ〟と言いたかったのか、それとも……逃げられない運命があることを私に見せつけていたのか…………まぁ、今となっては、もう分からないけど)
それでもイサールは、何度も夢に見るのだ。ただじっと黙って空を見つめて動かないワトルが、ベッドの上で石像のように固まり、風樹と共に闇に包まれて朽ちていく様を……何度も、何度も繰り返し……それは、イサールがウィンガムの街を出て行った日から夢に現れるようになった。毎晩ではないものの、イサールは、その夢を見る度、逃げた自分をワトルに責められているような気がしてならなかった。
――お前は、そんなところで何をしてるのだ。
……と。
「ひゃあっ!」
「きゃあっ?!」
突然、奇声を上げたイサールにつられて、アムルもその場で飛び上がり、叫び声を上げた。
イサールのすぐ足元で、かさこそと何かが動いたのだ。虫かネズミか、ヘビか……暗いので正体は分からない。だが、闇への恐怖心が、更に二人の歩みを速めた。
先程から何度も蜘蛛の巣が顔や髪の毛にからみつき、その度にイサールが小さな悲鳴を上げては、アムルを驚かせている。
そうかと思えば、蜘蛛の巣だと思ったものが、ただの木の根っこのようなツルのような何かが頭上から垂れているだけであったりして、驚くイサールをアムルが笑うような場面すらあった。
イサールも我ながら情けないと思うものの、性分なのだから仕方ないと割り切ってもいる。取り繕うことは得意でも、シンのような図太さは持ち合わせていない自分をイサールはよく知っていた。
道は、ぐねぐねと曲がったり、途中で狭くなったりしている箇所があり、長身のイサールでは、身を屈めなければ通れない場所も多い。イサールは、自分たちがまるで大蛇の腹の中を歩いているような気がした。
脱臼した肩の痛みはどんどんひどくなるし、蜘蛛の巣が肌に纏わりつく感触は不快で、何より闇の中に何が潜んでいるか分からないという恐怖が、イサールのなけなしの精神力を確実に削っていく。
こんな辛い思いをしたくなかったからこそ、風樹から逃げたのに、なぜ自分はここにいるのだろうと改めて考え、前を行くアムルを見た。
イサールよりも遥かに小さな背中が、暗闇を全く怖がる素振りも見せず、堂々と進んでいく。
さっきまでは、イサールの方がアムルを守ってあげなくてはと思っていた筈なのに、いつの間にか前を行く小さな背中を頼もしく思っている自分がいる。イサールは、自分でも気が付かないうちに頬を緩めていた。
どれほど歩いただろうか。
真っ暗な闇の中では、時間の感覚がわからなくなる。
ようやく止まったマルメロに二人が追いついた時、マルメロは、空中で停止飛行をしながら、真っすぐ前を見ていた。
それ以上進もうとしないマルメロを不思議に思いながら、アムルがマルメロの視線の先を見る。
暗くて分からないが、そこに黒々とした大きな闇があるのが見えた。
「きゅえ」
マルメロが一鳴きし、アムルの頭上高くを飛んでいく。そのままぐるりと円を描くように、周囲を飛んで回った。
マルメロの光に照らし出されて、大きな樹洞が広がっているのが分かる。
そして、その中央に、巨大な影が見えた。
何かがいる。
ぴしゃん、と足元で水の音がした。
アムルが一歩、足を踏み出した先に、水が流れている。
ゆらゆらと揺れる黒い水面をアムルが見つめていると、そこに赤い目玉が生まれた。
はっと驚いたアムルがのけぞるのを、後ろにいたイサールが支える。
と同時に、どこからか声がした。
『…………これは珍しいものが来たな』
地の底から響いて聞こえるような声だった。人のものではない。
わんわんと洞の中に響いて、どこが発信源なのかも分からない。
イサールは、畏怖と驚愕の入り混じった表情を目の前にある闇へと向けた。
闇の中、赤い目玉が一つ、宙に浮かんでいる。それが足元にある水面に写って見えたのだ。
徐々に闇に慣れてきたアムルとイサールの目が、目玉の主を捉えた。
それは、鷲の姿をした、見上げるほどの巨人であった。
「……まさか…………守護聖獣?!」
イサールが驚愕の声を上げた。
それに、アムルが眉を寄せて反応する。
「しゅごせいじゅう……?」
どこかで聞き覚えのある言葉だと思い、すぐにそれが、自分たちがここへ来た目的のものだということを思い出す。
鷲の巨人は、羽毛に覆われた巨体を横たえたまま赤い目玉を細めた。
『……いかにも。我こそは、風樹を守る聖獣。
時に人は、我のことを<フレースヴェルグ>と呼ぶこともある』
それは、遥か長い歳月を風樹と共に過ごしてきた、聖なる獣の声であった。
▸▸挿絵つき。
https://kakuyomu.jp/users/N-caerulea/news/16818093084399690169
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