第五話 パイが食べられなくなる

 モリスは、アムルを見下ろした。

 アムルは、こっくりこっくりと船を漕いでいる。

 立ちながら眠るとは器用なものだ、とモリスは呆れつつも関心した。

 ユースティスが慌ててアムルを揺り起こすと、アムルは、ぱちりと目を開けて、しっかり聞いていました、という顔でモリスを見上げた。

 それを見たモリスが溜め息を吐く。


「……とにかく、わしが言いたいのは、じゃな。

 その<七聖樹>が今、力を失いつつある、ということじゃ。

 アムルよ、それがどういうことが分かるか?」


 突然、自分に話を振られて、アムルは、きょろきょろと視線を泳がせる。

 やはり、さっきの話を聞いていなかったようだ。


「えっとー……」


(世界が破滅しちゃうんだって)


 ユースティスが助け舟を出す。

 しかし、アムルは、眉を寄せて困った顔をする。


「……世界がハメツ~? ……あ、終わっちゃうんだ!」


 答えが分かった時の子供がするように嬉しそうな顔で言うアムルを、モリスが叱責する。


「そんな軽々しく言うもんじゃない!

 ……全く、わかっておるのかのぉ。

 つまり、今、世界は危機を迎えておるのじゃ」


「そうなんだ。大変だね」


 深刻な表情で語るモリスに反して、アムルが軽い口調で相槌をうつ。

 傍でアムルを見守るユースティスは、モリスがだんだん腹を立てていくのを見て、ハラハラとした様子で落ち着かない。


「他人事のように言うでないっ!

 この<エルムの里>も例外ではないぞ。

 いくら神樹によって守られているからと言え、<七聖樹>が力を失えば、わしらも生きていけなくなるのじゃ」


 それでもぴんとこない様子のアムルに、ユースティスが言葉を足す。


(アムルの好きなパイも食べられなくなるよ)


「ええっ、それは困る!」


 一変して慌てた様子のアムルを見て、モリスは、ほっと表情を和らげた。


「そうじゃろう。困るのじゃ。

 ……ふぅ、やっと解ってもらえたかの」


「パイがないとあたし、生きていけないよ!」


「ん……パイ? 一体、何の話を…………ああ、そうじゃ。

 パイがなくなってしまうと困るじゃろう」


 ユースティスが何かアムルに助言をしたのだと気付いたモリスは、そのまま話を続けることにした。


「一体、どうしたらいいの?」


「そうじゃな。そこで、話を元に戻すのじゃが……」


「そうだ! 今から森へ行って、パイの材料をかき集めてくるね!」


 そう言うが早いが、アムルは、颯爽と拝殿の外へ飛び出そうとした。

 しかし、事前にその行動を読んでいたのだろう、ユースティスがアムルの腕を掴んで止める。

 そこへ、再びモリスの怒声が飛んだ。


「待たんかいっ!

 ……そうじゃない。今から材料を集めれば良いという問題ではないのじゃ。

 <七聖樹>が力を失えば、森には、パイの材料がなくなってしまうのじゃよ」


「ぇえっ?! そんなあ!

 うー……それじゃあ、どうすればいいの?」


 アムルは、目に涙を浮かべて、モリスを見上げる。

 それほどアムルにとって、パイがなくなるということは、死活問題なのだ。

 モリスは、おほん、と咳払いをすると、話を元に戻した。


「<七聖樹>には、それらを束ねておる聖樹がある。

 <宇宙樹>と呼ばれる、世界で一番大きな聖樹じゃ。

 ……この話も前に何度も説明したと思うのじゃが……やはり聞いておらんかったな。

 その<宇宙樹>には、世界を浄化し、<七聖樹>の力を取り戻す力がある……と言われておる」


「なぁ~んだ。<宇宙樹>が世界を助けてくれるんだ。それじゃあ、安心だね。

 あ~あ、安心したらあたし……お腹がすいてきちゃった。

 家に帰って、パイでも食べてくるね!」


 そう言って、アムルは、満面の笑みで手を振り上げながら踵を返す。

 すると今度は、モリスが手にしていた杖を伸ばして、アムルの首根っこを掴んだ。

 首を引っ張られて、アムルが、ぐえっとカエルがつぶれたような声を上げる。


「えぇ~い、待てというのにっ!

 わしの話は、まだ終わっておらん!」


「うう……ひどい……首が絞まるところだったよ……」


「わしの話を最後まで聞かん、お前が悪いっ!」


「え~、まだ終わらないの~?

 だってモリスの話って、いっつも長いんだもん。

 早くしてよぉ。あたし、お腹ぺこぺこ~……」


 口を尖らせて自分のお腹をさすって見せるアムルに、モリスは、怒りを抑えながら身体を震わせた。


「くっ……深刻な話をしておるというのに……よいか、ここからが本題じゃ。

 <宇宙樹>の浄化の力には、発動させるための鍵が必要なのじゃ」


「カギ? それって、木になる甘い実のこと?」


「違うわいっ! そりゃ、カキの実じゃ。

 ……まぁ、この村では、鍵など使わんからな。

 アムルが知らんのも無理はない。

 鍵というのは、何か大事なものを箱に入れて、他の誰にも触らせないよう、箱を開かなくさせるためのものじゃ。鍵を持つ者だけが、その箱を開けられるのじゃ」


「ほうほう。

 つまり、あたしだけのパイをモリスに食べられちゃわないよう、箱に鍵をかけておけて、いつでも私の好きな時に、パイが食べられるっていう意味だね!」


「…………まぁ、そういう理解でも、概ね間違ってはおらんかの」


「で、その鍵ってのは、どこにあるの?」


 アムルが小首を傾げながら訊ねた。

 するとモリスは、その質問を待っていましたとばかりに眼を光らせて、びしっと杖の先でアムルを指す。


「…………へ? あたし?」


 予想外の展開に、アムルが自分を指さしながら、ぽかんと口を開ける。

 モリスは、アムルに杖を突き付けたまま続けた。


「そうじゃ、アムル。

 これは、お前にしか出来んことなのじゃ」

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