第五話 <ハルディア>へ渡った初めての人
「ああ、そのことか。
まぁ、普通に考えれば……風樹の力が衰えているのだろうな。
今までにも何度かあったようだ。百年単位くらいでな。
ただ、完全に風が止まったことは、今まで一度もなかったようだが……」
ロウは、まるで何でもないことのように落ち着いて話しながらお茶をすする。
宿の女将さんは、風が止んでしまった話をした時、とても困った様子をしていたのに、この態度の違いは何なのだろう、とユースティスは頭を抱えた。先程、自分たちにされた悪戯といい、この
「神殿で、樹官長が聖化されたと聞きました。それで……」
シンが重々しい口調で話を続けた。
ロウは、飲んでいた湯呑から顔を上げると、シンが言わんとしていることを察して、渋い顔を返した。
「ああ、あいつのことも聞いたんだろう。
まったく……どうしようもないやつだよ」
(〝あいつ〟……? って、誰のことだろう。ねぇ、アムル……)
ユースティスが、二人に聞いてもらおうとアムルを見た。
アムルは、部屋の中を飛び回るマルメロを目で追い掛けるのに、忙しそうだった。
「一体、何があったんですか。もしかして……俺の所為ですか?」
「なに、お前が責任を感じることじゃあない。
いつもあいつが言っていただろう。
遅かれ早かれ、こうなる運命だったのだ」
「ですが……」
「それよりも、お前さんの方こそ何なんだ。
姿を消したと思ったら、急に現れよって。……二年ぶりか?
第一、その恰好は何だ。どこぞの樹官吏にでもなったのか」
ロウは、最後の台詞をどこか冗談交じりに鼻で笑って言った。
しかし、シンの答えを聞いて、表情を変える。
「これは……色々ありまして。心配をかけてすみません。
話すと長くなるのですが……今は、<ハルディア>で仕事をもらって、何とかやっています」
「なんだとっ?! お前、<ハルディア>の樹官になったのか!
……では、実験は、成功したということかっ」
ロウは、鋭い目をぎらりと光らせると、テーブルの上を両手で叩いて立ち上がった。
その音に驚いたマルメロは、 天井からぶら下がっている照明器具にぶつかり、机の上に落ちた。周囲に飛び散っていた木くずが舞い、くしゅん、とマルメロがくしゃみをした。
シンは、マルメロからロウに視線を戻すと、肩をすくめて見せた。
「いえ、正確には、樹官吏ではありません。ただの下っ端……小間使いのようなものです。ですが……はい。師匠の言ったとおりでした」
マルメロは、ぶるりと身体をふるわせて、身体についた木くずを払い落とした。
そして、今度は、そこに置かれていた作りかけの何かを見つけて、鼻先を近づける。
(……アムル、アムルってば! 二人の話、ちゃんと聞いてる?)
ユースティスがアムルの袖を引っ張ると、ようやくアムルは、シンとロウの話に耳を傾けた。
「あー……ねぇ、何の話をしているの?」
しかし、興奮しているロウの耳には、届いていないようだ。
「そうか、そうか……やはりあの仮説は正しかったのだな。
これで私の仮説が証明されたぞっ!」
ロウは、飛び上がるように席を立ち、落ち着かない様子で辺りをぐるぐる歩き回ったあとで、再び椅子にどかりと腰を下ろした。
「もっと<ハルディア>の話を聞かせてくれ。
本当に、島が天空に浮かんでいるのか? 一体、どれくらいの広さなのだ?
高度は? 重量は? 生態系は一体どうなっているのだ??」
ロウが話しながら椅子から腰を浮かし、シンの方へとテーブルの上に身を乗り出す。一方、シンは、冷静な口調で答えた。
「師匠、その話は、また今度にしましょう。
今は、それよりも……風樹の話です。やはり樹官長がいないことと、風が止んでしまったことには、何か関係があるのでしょうか?」
シンの態度に興を削がれたのか、ロウは、不機嫌そうな表情で、どすんと椅子に腰を下ろした。
「……まぁ、無関係ではなかろうな。時期的にも被っておるし。
だが、そうだという確実な証拠はない」
急に興味が失せたように、お茶をすするロウに、シンが言う。
「実は、俺がここウィンガムへ来たのには、理由があるのです」
シンは、これまでの経緯を簡単にロウに語って聞かせた。
<クラヴィス>であるアムルのこと、<エルムの里>を襲った黒い
ロウとシンが話に夢中になっているので、代わりに、ユースティスがアムルに説明してやることにした。
(つまり……シンは、元々このウィンガムに居たけど、何らかの方法を使って<ハルディア>へ渡った人なんだよ)
「えーそれって……すごいの?」
(すごいことだよ! だって、アムルは、<ハルディア>へ行ったことがある人を見たことがある? 僕も……あの三人の使者たちとシンを見るまで、<ハルディア>なんていう場所が本当にあるとは思わなかったもの。
それは、このおじさんの反応を見る限り、やっぱりここでも<ハルディア>の存在は、特別なんだ。
でも、シンは、僕たちと同じ立場にいて、<ハルディア>へ渡った、たぶん初めての人なんだよ!)
珍しくユースティスの興奮した様子に、アムルが目を丸くする。
アムルには、イマイチぴんときていないようだ。
「ふ~ん……でも、どうやって<ハルディア>に行ったんだろうね?」
(それは、分からないけど、このまま二人の話を聞けば……あっ)
「どうしたの? おじさんに話を聞いてみようか?」
(……ううん。やっぱり、ダメ。聞いちゃダメだ)
ユースティスは、自分の耳を抑えた。例え、そうしたところで、傍に居る人の心の声はユースティスに聞こえてしまうのだが、それは、彼が話を聞きたくない時の癖のようなものだった。
<ハルディア>への行き方があるということは、アムルを連れて<ハルディア>へ行くことが出来てしまう、ということだ。
そのことに気が付いたユースティスは、ぐっと自分の中に沸き上がった知的好奇心を抑えた。しかし、今度は別の疑問が浮かぶ。
(……でも、そんな方法があるなら、シンは、どうしてベトゥラたちに知らせないんだろう。もしかしたら、その方法には、何か条件があるのかも……)
ユースティスが耳を抑えたまま考える。
アムルが首を傾げた。
「条件って?」
(わからないけど……例えば、天候とか場所とか……何かしら、確実な方法じゃないのかもしれない)
その時、ロウにこれまでの経緯を話し終えたシンが、お茶で喉を潤して、湯呑をテーブルの上に、ごとり、と置いた。
「……というわけでして、風がなくては、<ハルディア>と連絡がとることができず、困っているのです。師匠ならば、何か御存知かと思い、ここへ……」
ロウは、先ほどからテーブルの上を行ったり来たりしているマルメロに視線をやりながら答える。
「黒い
それよりも……さっきから気になっていたのだが、その白いトカゲのような生き物は、まさかドラゴンの赤ん坊じゃあ、あるまいな?」
ロウが、白いトカゲのような生き物――マルメロを指さした。
マルメロは、テーブルの上に散らかっている木くずを鼻息で飛ばして遊んでいる。
「マルメロのこと?」
「きゅい?」
マルメロが、自分の名前を呼ばれたことに反応して、アムルの方へ首を傾げる。
この十日ほどの間に、少しだけ身体が大きくなっていた。卵から孵化した時は、アムルの片方の掌に乗る程度の大きさだった。それが、今では、アムルの両手に乗せると、頭としっぽがはみ出てしまう。
頭部から生えている二本の角、金色の目には黒い筋が縦に入り、口蓋から覗く二本の牙、皮膚を覆うつるつるとした薄桃色の鱗、背中から生えている
「わかりません。ですが、おそらくは……」
シンが自信なさげな口調で言う。シンも、ドラゴンを目にしたのは、あの黒い竜が初めてなのだ。
「ふーむ…………これも、運命なのかもしれんなぁ」
ロウが顎髭を手でいじりながらマルメロを観察する。その含みのある言い方に、シンが腰を浮かせた。
「それは、どういう意味ですか?
何か知っているなら、教えてください」
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