第十話 祈り
ユースティスが<エルムの里>へ戻って来た時には、全てが終わった後だった。
ドラゴンの吐く炎によって焼かれた家々は、黒炭となって形すら残っていない。本当にここが<エルムの里>なのだろうか、と疑いたくなるほどの変わりようだった。
白い使者たちの魔法で、火の手が里の外へ及ぶことはなかったようだが、がらんとした里だった場所を目にしたユースティスは、それならば、なぜ里を守ってくれなかったのか、と思わずにはいられなかった。
同時に、里の危機に何も出来なかった自分が一番不甲斐なく、白い使者たちへの不満は、自分の内側へと向いた。
何よりも、顔を炭で真っ黒にしたアムルの泣き顔を見た瞬間、ユースティスは、腹の底から声を上げて泣きたい衝動に駆られた。それなのに、アムルと一緒に声を上げて泣くことすら出来ない。そんな自分が心底憎く、情けなかった。
(アムル……ぼくね、最後にこのドラゴンの気持ちが伝わってきたんだけど……)
地面に横たわる黒いドラゴンの身体は、既に生命活動を停止していた。
その遺体に縋り付いて泣き声を上げるアムルに向かって、ユースティスが出来ることは、ドラゴンの最後の気持ちを伝えることくらいだった。
(大事な人を人間に殺されちゃったんだって……自分の命と同じくらい大切な相手だったのに……それで、とっても悲しくて、怒ってた。
自分の身体もたくさん傷つけられて、すごく弱ってたんだ。
だから……)
よく見ると、ドラゴンの身体は、どこも傷だらけで、ボロボロだった。鱗が剥げてしまっている箇所もある。シンの一撃が致命傷になったことは確かだろうが、シンが手を下さずとも、命を落としていたことだろう。
アムルが顔を上げた。
「……卵を、さがしていたんじゃないの?」
アムルの問いに、ユースティスが自信なさげに首を横に振る。
(……わからない。でも、卵のことは、何も感じなかった。
ただ、痛い、苦しい、悲しい……憎い……そんな感情ばかりだったよ)
アムルのピンク色の髪の毛の中から、小さなドラゴンの赤ちゃんがひょっこりと顔を出した。アムルの髪の毛を口で咥えて、じゃれているように見える。
(その子……卵から孵ったんだね。
ドラゴンの卵だったんだ)
「うん……そうみたい。身体の色もね、最初は、真っ白かと思ったんだけど、よく見たら、薄っすらピンク色なの。わかる?
見た目も、この黒いドラゴンとは違うみたいだし、やっぱり、お母さんじゃなかったのかも……」
ユースティスは、それには答えなかった。
死んでしまった黒いドラゴンのことは可哀想だとは思うけれど、正直なところ、アムルがこれ以上悲しまなければいい、とだけ考えていた。
アムルは、涙で濡れた顔を服の袖で拭った。
しかし、服も煤だらけだったので、アムルの顔は、余計に黒くなってしまった。
それを見たユースティスが、自分の服の裾を引っ張って、アムルの顔を拭ってやった。
しばらくして、モリスが里の皆をハルニレの神樹へと呼び集めた。
周りは全て焼けてしまったけれど、ハルニレの神樹だけは、皆が力を合わせて守ったお陰で無事だった。
幸いなことに、皆が仕事で家を空けていたため、一人の死者も出なかったことは、運が良かったと言えるであろう。
中には、火傷を負った者や、怪我をした者もいたが、命があることを皆で喜び合った。
しかし、森も、住んでいた家も、全てが燃えてしまい、そこで暮らしていた思い出も含めて、生活の全てを失ってしまった。そのことが皆の気持ちを暗くしていた。
「大丈夫じゃ。皆で心を合わせて、神樹に祈りを捧げよう」
モリスの言葉に、里の皆が
すると、皆の祈りが通じたように、神樹が光を放ち始めた。
光は、神樹の根っこを伝い、地面に幾つもの光の筋を走らせた。
めきめきと地面から緑の芽が生え、すくすくと育ち、やがて苗木にまで育った。
家はなくなってしまったけれど、また一から作ればいい。
最後にモリスは、こう言った。
「神樹があって、人々の感謝の心と祈りがある限り、森は何度でも蘇るのじゃ」
§ § §
シンは、首から下げていた銀色の小さな笛を、仮面の下で口に当てて、息を吹き込んだ。人間の耳には聞こえないが、ヒプティスの耳には届く音が、空気を伝って付近に居る筈のヒプティスたちをここへ呼び寄せる……筈だった。
しかし、シンが先ほどから何度笛を吹いても、ヒプティスたちは姿を現わさない。
あの火事に巻き込まれてしまったか、もしくは、音の届かない遠くへ逃げてしまったのであろう。
未練がましく笛を吹き続けるシンに向かって、もうよい、と言うように、ベトゥラが手を挙げた。
「ここから一番近い聖樹はどこだ?」
「ここからですと……一番近いのは、【風樹】でしょう。
歩いて、十日ほどはかかるかと……」
ベトゥラの傍に控えていた白い男が掠れた声で答えた。
「仕方あるまい。
聖樹まで行けば、<ハルディア>と連絡がとれる。
道案内は、お前に任せて良いな」
はい、と掠れた声で男が
「だが、シン。お前は、先ほどの件……わかっているな」
ベトゥラが今度は、シンの方へ身体を向けると、念を押すような口ぶりで言った。
シンが口に咥えていた笛を外して、ベトゥラを見る。
その表情は、仮面に隠れて見えないが、二人の間に重苦しい空気が漂う。
「今後のことは、道中よく考えるがよい」
はい、とシンが低く答えるのを聞き、ベトゥラは、アムルの方へと歩み寄った。
「……さて。ようやく会えたな。
君が本物の<クラヴィス>だな」
「クラヴィス? あたしは、アムルだよ」
「<クラヴィス>とは、宇宙樹の<鍵>のことだ。
話は、樹官長から聞いているのではないのか」
「うーんっと……パイの話なら聞いた気がするけど~……」
「パイ? ……パイとは、食べる〝パイ〟のことか?」
その様子を少し離れた場所から見守っていたモリスは、慌てた様子でベトゥラの傍まで駆け寄って言った。
「お待ちください。<クラヴィス>の件ですが、何か他に……この娘が助かる道は、ないのでしょうか?」
「……そんなものはない。あなたも、樹官長ならば、分かっているであろう」
ベトゥラの強い口調に、モリスは、口を閉ざし、
その悲痛な表情を
「何故、逃げた? 自分の命が惜しくなったのか」
「あたし、逃げてなんかないよ。卵をとりに行ってたんだもんっ」
「卵? ……お前の言うことは、わけがわからん。
いいか。私たちは、<ハルディア>からやってきた使者だ。
<クラヴィス>を宇宙樹まで連れてゆくのが役目だ。
だから、お前には、これから私たちと一緒に来てもらう」
(アムルを連れて行くなら、ぼくも一緒に行くっ!)
ユースティスが、アムルとベトゥラの間に割って入った。
アムルがユースティスの声を代弁する。
「ゆーくんも一緒に行っていい?」
「ダメだ。同行者は、認めん。足手まといになるだけだ」
「それなら、勝手に後ろから付いて行くって」
話は平行線に見えたが、そこへ、シンが助け船を出した。
「ベトゥラ様、この少年には、私も少々思うところがあります。
せめて【風樹】まで一緒に同行させてやっては、もえらませんでしょうか。
それに、後を付いて来られるよりは、目の届く場所に居てもらった方が、妙なこともできますまい」
言外に、ユースティスがアムルの逃亡を手助けするのでは、ということを匂わせている。
しかし、それが建前であることは、ユースティスには筒抜けであった。
アムルを助けてくれたこともあり、彼のことは信用していい、そんな気がする。
「……勝手にしろ。私は、一切、責任はとらんからな」
「よかったね、ゆーくん!」
無邪気に笑顔を見せるアムルを見て、ユースティスは、改めて心に誓った。
(今度こそ、僕が絶対に、アムルを救ってみせる……っ!)
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