第九話 孵化
アムルは、洞窟に辿り着くと、何も考えないまま中へと飛び込んだ。後から追い掛けたシンが、光を放つ魔鉱石を手に現れなければ、永遠と闇の中を彷徨っていたことだろう。
二人が洞窟の最奥へ辿り着くと、光が一切差し込まない空洞の中、ぼんやりと光を放つ存在が見えた。
「卵が……光ってる!」
葉っぱの山に置かれた大きな卵が淡い光を放っている。
それは、白い色から桃色へ変わったかと思うと、水色、紫、黄色へと変化してゆく。アムルにも、初めて見る現象だ。
「これは……一体、なんの卵なんだ?」
シンが口にした疑問の声には、得たいの知れないものに対する畏怖のようなものが込められていた。
アムルは、それに「ドラゴンの卵だよ!」と確信を込めて返すと、卵を大事そうに胸に抱えた。
アムルの腕の中で、卵は明滅を繰り返す。
それは、まるで何かを呼んでいるようにも見えた。
二人が洞窟の入口へ戻ると、ユースティスの姿があった。疲れ切った様子で座り込み、荒い息を整えている。中へ入るのを諦めて、そこでアムルが出てくるのを待っていたようだ。
今度は、森の中を三人で里へ向かって駆けてゆく。
里のある方角の空が赤く染まっているのが遠目でも分かる。火の手は、範囲を広げて森を侵食しているようだ。
早くしなければ、取返しのつかないことになってしまう。
里までもう少しというところで、ユースティスの足がもつれて、転んだ。ずっと森の中を走り通しで疲れきっていたのだろう。立ち上がることが出来ない。
アムルは卵を抱えているので、ユースティスを助けて起こしてあげることが出来ず、ぐっと堪えて言った。
「ゆーくんは、ここで待ってて!
あたし、ドラゴンに卵を返してくる!」
そう言うが早いか、アムルは、ユースティスに背を向けて、里のある方角へと駆け出していた。
シンは、その場にユースティスを一人取り残してゆくことに良心が痛んだのか、一瞬だけ迷う素振りを見せたものの、結局、アムルの後を追った。
去ってゆく2人の背中を無言で見送るユースティスの耳に、ドラゴンの鳴き声が聞こえてきた。それは、とても悲痛な叫びのようで、ユースティスは胸が苦しくなった。同時に、身を引き裂くような切ない感情がユースティスの心に流れ込んでくる。
ユースティスは、二人を追いかけようと足に力を入れたが、体は言うことを聞かない。
(ちがう……違うよ、アムル……!
あのドラゴンは……その卵は…………)
木立の合間に消えてゆくアムルの小さな背中に、ユースティスの心の声は、届かなかった。
里に戻ったアムルは、焼け野原となった里の変わり果てた姿に息を飲んだ。
緑美しい<エルムの里>は、どこにもない。
「うう……ひどい……みんなは、無事かなぁ?」
アムルは、目の前の光景に心を痛めながら、誰か人の姿はあるまいかと、焼け焦げて炭となった家々があった場所の間を歩いて回った。
そこに、か細い、子供の泣き声が聞こえてきた。
声の主を探して、アムルが見つけたのは、今年で八つになる、赤毛のニアだった。顔中煤だらけで、焼け焦げた瓦礫の影に身を隠すように震えている。
「ニア……っ! 大丈夫だよ、早くこっちへ……」
アムルがニアに向かって手を伸ばした。
しかし、次の瞬間、ニアの傍にあった焼け残った梁が音を立てて崩れ落ちていくのが見えた。アムルは駆け出したが、間に合わない。
そのすぐ脇を白い影が風のように走り抜けた。シンだった。
シンは、自分の背よりも高い梁を背中で支えて、ニアを庇った。決して軽くは無い梁の重さに、仮面の下からくぐもった声が漏れる。
更に言えば、梁は、火事の熱で高温になっているはずだ。背中に火傷を負ったかもしれない。それでも、シンは、決してニアの上から動こうとはしなかった。
「よかった……」
アムルがほっとしたのも束の間、頭上から強風と、ドラゴンの咆哮が現れた。
振り仰いだアムルのすぐ目の前に、ドラゴンの顔がある。黒光りする鱗は、まるで魔鉱石のように硬そうで、金の目玉には縦に黒い切れ目があった。
更に、ドラゴンは、全身に禍々しい黒い気を身に纏い、どす黒い怒りの感情が渦巻いている。
アムルは、恐怖で固まった。
そんなアムルを勇気づけるように、腕の中にある卵がとくんと脈動するのを感じた。
――生きている。
――この卵は、確かに生きているんだ。
その思いがアムルに勇気を与えてくれるようだった。
「里のみんなは、あたしが守る!」
アムルは、恐怖を振り払い、ドラゴンに向かって、抱えていた卵を頭上高くに掲げた。
ドラゴンが口を開けた。その奥で、真っ赤な炎が生き物のように蠢くのが見えた。
シンが言葉にならない声を上げながら、背に抱えていた梁を力任せに放った。すぐにアムルの元へ駆けようとしたが、間に合わない。
次の瞬間、アムルをドラゴンの炎が襲っていた。
ところが、ドラゴンの口から放たれた炎は、アムルの手にしていた卵に吸い込まれていった。
驚くアムルの目の前で、卵にヒビが入る。
卵のヒビから光が漏れて、殻が割れた。
中から現れたのは、一匹の真っ白なトカゲのような生き物だった。ふるり、とその身を震わせて、背中から殻を落とすと、背からコウモリのような羽根が生えた。
ぱちり、と開けた金の目が、真っ直ぐアムルを捉える。
「ドラゴンの……赤ちゃんっ?!」
アムルが目を丸くして叫んだ。
その時、アムルの頭上で、黒いドラゴンが再び大きく口を開けるのがシンには見えた。
シンは、条件反射で地を蹴り、宙でローブの下から剣を抜いた。その切っ先を、迷うことなくドラゴンの頭部に向ける。
「だめーーーっ!!」
「いかんっ……! シンを止めろ!」
アムルの叫び声と、しわがれた老爺の叫ぶ声が重なって聞こえた。
いつの間に駆けつけたのか、白いローブを着た人物が三人、少し離れた場所からこちらへ向かって駆けてくる。
しかし、唖然としていたアムルの目の前で、シンは、ドラゴンの頭に剣を突き刺していた。
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