【閑話】ニールの森にて
第一話 名前
「パイ~♪ パイ~♪ 美味っしい~パイ~♬
パイ~♪ パイ~♪ 早っく食ぁべたぁ~い♬ ……」
ピンクの髪をした少女が、リズムにのって元気に歌いながら歩いている。
先を歩いていた、白いローブを着たうちの一人が振り返った。
「……えぇい、少し静かにしてくれないかっ」
顔につけた白い仮面の下から、少しくぐもった女の声が苛立った口調で言った。
「はぁ~い♪
……パイ~♪ パイ~♪ 美味っしい~パイ~♬ ……」
(アムル……声の大きさ、変わってないよ。
そんなに楽しみなの? 【風樹】へ行くのが……)
白い髪の少年――ユースティスは、自分の隣を歩くピンクの髪をした少女――アムルを俯き加減で見やった。長い前髪がユースティスの顔の上半分を覆っているので、表情は分からない。
だが、その歩みは、少女の快活なそれとは違い、重たげだ。
それは、背負っているリュックの重さだけが原因でないだろう。
「うんっ♪ だって、どんなパイがあるのか楽しみなんだも~ん♪
エルムのパイより美味しいのかなぁ~?」
アムルが、じゅるりと口の端から零れた涎を袖でぬぐいながら目を輝かせる。
その様子を見て、ユースティスは、ため息をついた。
(アムル、わかってる?
この旅がどういうものなのか……)
「え? うーんっと……美味しいパイを食べに行くんでしょう?」
(違うよっ! 【風樹】へ行くのは、<ハルディア>と連絡をとるためで、それが済んだら、アムルは宇宙樹まで連れて行かれちゃうんだよっ)
「あれ、そうだっけ?」
えへへ、と笑って誤魔化すアムルを見て、がっくりとユースティスが肩を落とす。
まだ<エルムの里>を後にしたばかりだと言うのに、これでは先が思いやられる。
(……うう、アムルってば、パイの話になると、他のことを忘れちゃうんだもんなぁ~……)
そんな二人のやり取りを見て、白い仮面の女が訝しむように口を挟んだ。
「……先程から、その娘は、何を一人で喋っているのだ?」
ユースティスの心の声は、アムルにしか伝わらない。
そのため、他の人から見ると、アムルが独り言を言っているように見えるのだ。
アムルが再びパイの歌を口ずさみ始めたので、女の問いに答える声はない。
後ろを歩いていたシンが見兼ねて、助け船を出した。
「……君は、確か〝ユウ〟君と言ったかな。
その……気を悪くしたら申し訳ない。君は、口が聞けないのか?」
シンの問い掛けに、ユースティスは、素直に頷いて見せる。
「そうか。答えてくれて、ありがとう。
それで、アムル……君には、ユウの考えていることが分かるのかい?」
自分の名前を呼ばれたことで、アムルが歌うのをやめて、シンを振り返る。
「うん、そうだよ!
おじさんの名前は何ていうの?」
「おじさん……まだ、そこまで歳はとってないつもりなんだけどね。
私の名前は、シンだ」
「じゃあ、あの偉そうな仮面のおばさんは?」
アムルが自分の前を歩く仮面の女を指さして、シンに尋ねた。
それにシンが答える前に、仮面の女が声を上げる。
「おばさんっ?! 失敬なっ!
私は、まだそんな歳ではない。
私の名前は、【ベトゥラ=アルバ】だ。ベトゥラでいい」
ベトゥラの年齢に対する主張には興味がないのか、アムルは、ベトゥラの左隣を歩いていた白いローブの男を指さす。
「ふーん。じゃあ、そっちの地図を持って歩いているおじさんは?」
アムルに名前を尋ねられた当人は、振り返りもせず、素っ気なく答えた。
「……名など知る必要はない」
「えー、どうして?
だって、これから一緒に旅する仲間なんでしょ?
名前がないと不便だよー」
男は、そのまま無言を貫いた。
しかし、その後もずっとアムルが「ねぇーねぇー」と何度も話し掛けるので、観念して……というよりも、半ば呆れた口調で冷たく言い捨てるように答えた。
「…………【ソルブス=コミキスタ】だ」
すると、ベトゥラの右隣を歩いていた小柄な白いローブの男がアムルを振り返って言った。
「わしの名は、【ユヒ=セドラス】。ユヒと呼んでくれ」
「わかった!
うーんっと……シンおじさんに、ベトゥラおばさん……」
アムルが一人一人の名前を呼びながら指さしてゆく。
「おばさんはやめろっ!」
「おじさんも、できればやめてくれると嬉しいかな……」
ベトゥラとシンがそう言うので、アムルは、渋々と言い直す。
「えっと、シンと、ベトゥラね。
それから……ソル……ソル…………カミキッタ?」
「【ソルブス=コミキスタ】だっ!」
(【ソルブス=コミキスタ】だよ!)
ソルブスの声と、ユースティスの心の声が重なってアムルの耳に届く。
「ふへぇ~……言いにくいなぁ……」
「……ソルでいい」
妙な名前で呼ばれるよりはマシと思ったのだろう。ソルブスが呼び名を妥協する。
「ソルね。あと……ユヒじい!」
「ふぉっふぉ……」
「〝じい〟などと……なんと不敬なっ!
ユヒ様と呼べっ!」
ベトゥラが怒って声を荒げたが、ユヒは、それを優しく手で制して見せる。
「よいよい。アムルの呼びやすいように呼ぶがよい」
「うん♪」
再びパイの歌を口ずみそうになるアムルに向かって、シンが慌てて話し掛ける。
「ユウは、ドラゴンの気持ちがわかると言っていたが、あれは本当なのか?」
「へ? ……ああ、うん。そうだよ」
「それは、何か特別な魔法が使えるということなのかな?」
「ううん。ゆーくんは、魔法使えないよ。魔法じゃなくて……」
(アムルっ! それ以上は、言っちゃダメだよ!)
ユースティスが止めたので、アムルは、しまったという顔をした。
「あっ、えーっと……」
その時、空から薄桃色のドラゴンの赤ちゃんが飛んで来て、アムルの顔の前へと現れた。しかも、胸に大きな黄色い果実を抱えている。
「あっ、マルメロの実! 見つけてきたの?」
「きゅーい♪」
ドラゴンの赤ちゃんが嬉しそうな鳴き声をあげる。抱えていた果実を、がじがじと齧って見せる。
「この子、マルメロの実が好きみたい」
マルメロの実とは、黄色くて洋ナシ型をした果実で、酸味が強く、生のままでは食べられない。蜂蜜漬けにしてジャムにしたり、パイの材料としても使う。アムルの大好物だ。
そして、春には、薄っすらピンク色の可愛い花を咲かせる。
アムルは、満面の笑みを浮かべて、ドラゴンの赤ちゃんを抱き掲げた。
「マルメロ! あなたの名前は、マルメロね!」
「きゅい♪」
ドラゴンは、アムルの言葉に喜んでいるように見えた。
それを傍で見ていたユースティスは、ほっと安堵の溜め息を漏らす。
(よかったぁ~……〝パイ〟って名付けたら、どうしようかと思ったよぉ~。
パイだと、食べちゃいそうだもんね~)
〝マルメロ〟なら、さすがのアムルも生では食べないので、一安心、と思うユースティスだった。
▸▸挿絵つき。
https://kakuyomu.jp/users/N-caerulea/news/16818093076741006402
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