第二話 夜が明けるまでは
洞穴の奥へ着くと、卵は、昼間見た時と変わらず、そこにあった。
ヒビが入った様子も、動いたような形跡もない。
触れると温かいので、生きているのが分かる。
アムルとユースティスは、昼間と同じように絨毯の上へうつ伏せになり、卵を眺める。
「うーん……まだ孵らないねぇ。
なんとか今夜中に生まれてくれませんかねぇ」
アムルが卵に向かって拝むように話しかける。
そんなアムルの明るい様子を見ていられず、ユースティスは、視線を逸らした。
モリスの話では、明日、アムルの迎えが来るという。
時間までは指示されなかったが、明日は、村から外へ出ないようにとモリスからきつく言われている。
卵が孵るところを見るなら、今晩が最後のチャンスなのだ。
「やっぱり、石で割っちゃおうか」
アムルがおもむろに傍に落ちていた石を拾って振りかざしたので、ユースティスが慌ててそれを留めた。
(だ、ダメだよ~!
卵が割れないってことは、まだ生まれる準備が出来ないってことなんだから。
無理に割っちゃったりしたら、死んじゃうことだってあるんだよ)
ユースティスに石を奪われて、アムルがちぇっと舌を鳴らす。
耐えきれず、ユースティスが心の中で呟く。
(このまま逃げちゃおうよ、二人で)
アムルがぱっと顔をあげた。
その顔は、ユースティスの期待に反して、心底嫌そうな顔をしている。
「やだよぉ。あたし、逃げるの嫌いだもん。
それに、ゆーくん、あたしより足が遅いし、体力もないじゃない。
きっと、すぐに捕まっちゃうよ」
(でも、でも……それでも、僕は、アムルがいなくなるのは、嫌だよ…………!)
ユースティスが俯く。
赤い絨毯の上に雫がぽたぽたと落ちて、シミをつくる。
ユースティスは、泣いていた。
アムルがユースティスの頭をぽんぽんと撫でる。
「ありがとう。ゆーくんは、優しいね。
でも、あたしなら大丈夫。ゆーくんなら、感じるでしょう?
それに……ゆーくんなら、あたしがいなくても、逞しく生きていけるよ」
ユースティスは、嗚咽を堪えながら顔を上げることが出来ない。
そんなユースティスの白い後頭部をアムルは愛おしそうな目で見つめる。
「この卵のこと、ゆーくんが守ってあげてね」
§ § §
その夜、モリスは、自室へ戻らず、図書館の古い蔵書を漁っていた。
いつもならとうに寝ている時間だが、目が冴えていて眠れそうにない。
ここは、図書館の中でも村の誰も入ることが出来ない、禁書が置いてある小さな個室だ。ここにある本は、どれもモリスが一度は目を通したものばかりだ。
それなのに、ここで調べものをしているのは、我ながら無意味な悪足掻きだとしか思えない。
この歳になって、こんなに何かに心を乱されることになるとは、自分でも思わなかった。
何か自分の見落としているものはないか、それを探す。
それが何かすら分からないが、何もしないではいられなかった。
何をしていても、昼間の光景が頭にちらつくのだ。
『いいよ。あたしの心で世界が救えるなら。
みんなが幸せになるなら。あたしのハートを世界にあげる』
あの時の、アムルの真っすぐで純粋な瞳が脳裏に焼き付いて離れない。
眠れる筈がない。
アムルは、〝どうして自分なのか〟とは、一度も口にしなかった。
まるで自分が選ばれるのが誇らしいとでもいうように、胸を張って笑っていた。
アムルは、そういう子なのだ。
もし、アムルが断っていれば、誰か他の者が犠牲に選ばれることになる。
だからこそ、<鍵>として選ばれるのは、アムルでなくてはいけなかったのだ。
(わしの選択は間違っていなかった……)
そう頭で解ってはいても、やはり心は痛む。
これまで十年、アムルの親代わりとして育ててきたのだ。
良心が痛まない筈がない。
せめて優しい嘘でアムルを見送ってやることができたら、と考えていたのだが、その
一瞬、あの優しく大人しい少年を恨む気持ちに囚われてしまったが、それもアムルの無垢な瞳に救われた。
アムルの笑顔には、見る者の心を優しく解きほぐす不思議な力がある。
何の魔力も持ってはいないが、それこそがアムルの能力だともいえるだろう。
(初めから分かっていた筈じゃ……)
アムルを引き取った時から、この時が来るのは、分かっていた。
世界のために必要なことなのだと覚悟はしてきた。
それでも、モリスの脳裏には、アムルの笑顔が焼き付いて離れてくれない。
例え、無駄だと分かっていても、悪足掻きだとしても、モリスは、本を
モリスは、そのまま窓から朝日が差し込むまで蔵書を漁り続けた。
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