第三話 白い使者
緑溢れる<エルムの里>。
明るい森に守られるようにひっそりと佇むその里では、人々が、自給自足で互いに助け合い、平和な毎日を心穏やかに暮らしている。
里の中心には、ハルニレの大樹が堂々とそびえ立ち、これを神樹として
夜が明け、静寂な家々を覆う蔦や苔の表面に優しい朝の光が降り注ぐと、朝の仕事へと出掛ける者たちや、遊びに出掛ける子供たちが往来する。
今日も穏やかで平和な、いつもと変わらない朝が訪れる……筈だった。
「なに、あれ……」
誰かが空を指さした。
他の者たちも、つられて空を見上げる。
そこには、淡い水色の空を背景に、四つの黒いシルエットが浮かんでいた。
「鳥じゃないのか?」
「いや、鳥にしては、大きい……」
人々が目を凝らして見ていると、シルエットは、徐々に里へ向かって近付いてくる。
それは、大きな翼を持つ獣だった。
鳥のような嘴と、トカゲのような四肢を持つ背に人が跨っている。
誰もが初めて見る生き物に恐怖と好奇心に満ちた視線を送る中、その不思議な生き物は、ゆっくりと降下し、里の端へと降り立った。
好奇心に駆られた子供たちが駆け寄ろうとするのを、近くにいた大人たちが止めた。
「誰か、樹官長に知らせを……」
その声に答えるように、数名の若者たちが里の奥へと駆け出してゆく。
残った人々が遠巻きに様子を伺っていると、白いローブを来た人たちが四人、それぞれ騎乗していた翼を持つ生き物の背から滑り降りた。
皆、一様に白い仮面をつけている。
だが、よく見ると、仮面には、それぞれ異なる文様が描かれている。
中でも一番複雑そうな文様をつけた一人が、里の一人を見つけて、声を掛けた。
「ここは、<エルムの里>で合っているか?」
硬質で少し高い、女の声だった。
話し掛けられた中年の男は、戸惑いながら答えた。
「は、はい……そうですが……あなた方は、一体……?」
男の不安げな視線が、他の白いローブを着た者たちへと向けられる。
彼らの穢れ一つない白一色を身に纏った格好は、見るからに異様で、周囲に逆らうことを許さない厳かな雰囲気を放っている。
男に話し掛けた女は、凛としたよく通る声で言った。
「我々は、聖地<ハルディア>より参った使者である。
ここの樹官長に『<クラヴィス>を迎えに来た』と伝えてくれ」
「<ハルディア>?!」
男は、自分の耳を疑った。
<ハルディア>とは、<宇宙樹>があると言われている伝説の聖地の名だ。
この里に暮らす者なら誰でも知っている。
それは、幼い頃より樹官長から教えられて育つからなのだが、実際に行ったこともなければ、誰かが行ったという話すら聞いたことがない。まるで雲をつかむような、御伽噺のような存在だ。
男は、信じられないものを見るような目で、白いローブを着た者たちの背後にいる獣へと視線を向けた。
頭と羽根は
別の白いローブを着た人が何かの肉片を宙に投げると、嘴と足の爪を使って、それを器用に引き千切り、啄ばむ。
見れば見るほど不思議な姿をしている。
「ヒプティスを見るのは初めてか」
白いローブの女は、男の視線の先を顎で示しながら訊ねた。
「ひ、ヒプティス? ……それが、あの生き物の名前ですか?」
男は、怯えた口調で聞き返した。
突然現れた見たことのない生き物に、それらを連れて現れた得体の知れない者たち――――警戒して当然だろう。
「ああ、そうだ。
大丈夫。大人しい生き物だから、人に危害を加えることはない。
ただ、慣れてない者が近寄ると、驚いて逃げ出すことがあるから、出来れば不用意には近寄らず、そっとしておいて欲しい。
……ああ。あと、もし、どこかで彼らに水を飲ませてやれる水場があれば、教えてもらえると助かるのだが」
白いローブの女は、男を安心させるように優しい口調で言った。
それでも、男の表情は固かったが、目の前に居る見たことのない生き物が自分たちに害を与えるものではないと分かり、幾分かほっとしたようだった。
「ああ……それでは、ちょうど今、川へ水を汲みに行くところでしたので、案内しましょう」
「それは助かる。……シン!」
白いローブを着た女は、背後でヒプティスに餌を与えていた者に向かって、鋭く呼び掛けた。そして、指だけで男に付いて行くよう合図すると、シンと呼ばれた者は軽く頷き、他のヒプティスらの手綱を引きながら男の元へ近寄って来た。
「……こっちです」
そう言って、男は、いつも水を汲んでいる川へ向かおうとした。
シンは、無言で男の後を付いてゆく。
去り際に、男が里の奥へと目を向けると、遠くの方から樹官長のモリスが慌てた様子でこちらへ駆けてくるのが見えた。
先程、白いローブの女が口にした<クラヴィス>という言葉の意味は分からなかったが、男には、何かとんでもないことが起きようとしているのだということだけは感じられた。
§ § §
朝日が差し込まない洞穴では、赤い絨毯の上で気持ちよさそうに眠るアムルとユースティスの姿があった。
明け方になる前には、里へ戻るつもりだったのだが、二人とも睡魔に勝てず、眠ってしまったのだ。
傍に置いてあった蝋燭は溶け、とっくに火が消えている。
しかし、他に差し込む灯りもない真っ暗な筈の闇の中で、ぼうっと光を放つ物があった。
卵だ。
卵の内側から放たれる光は、白色から水色へ、水色から黄色、黄色から赤色へと七色に変化する。
そして、何も知らないアムルとユースティスの寝顔を彩るのだった。
▸▸挿絵つき。
https://kakuyomu.jp/users/N-caerulea/news/16818093076025354462
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