第二話 パイがない

 アムルは、商店街のある大通りへ着くと、くんくんと鼻を効かせた。

 しかし、何の匂いも嗅ぎ付けられなかったようで、渋い顔をしたまま周囲を散策し始める。


 赤や褐色、オレンジ色の色とりどりの煉瓦で造られた建物が、道の両脇に建ち並び、夕陽を浴びてひっそりと静まり返っている。

 通りを歩く人の姿も少なく、すれ違っても、どこかよそよそしい様子で足早に通り過ぎてゆくばかりだ。

 建ち並ぶそれぞれの建物の木戸には、幾つもの看板が垂れ下がっているが、どこも人が出入りしている様子はなく、店じまいのような趣を醸し出している。


 道行く人に尋ねることも出来ず、アムルは、それらの看板を一つ一つ確認しながら、大通りを進んで行った。

 そんなアムルの様子を、すぐ後から追い掛けてきていたシンが、付かず離れずの距離を保ちながら黙って見守っている。


「……あっ! 食べ物屋さんっぽいもの、発見~♪」


 空腹なアムルの目が、一つの看板を見つけた。麦穂ばくすいの絵が簡略化されて描かれている。その絵柄は、アムルも<エルムの里>で見たことがあった。


「パン屋だな」


 後ろから聞こえてきたシンの声に、アムルがぱっと顔を輝かせて、パン屋の木戸を開けた。


「パイは、ありますかぁ~?」


 店内は、薄暗く、人の気配がない。大通りに面した窓から夕陽が差し込み、壁に沿って並んでいる空っぽの陳列棚をオレンジ色に照らしている。ただ、綺麗に掃除が行き届いているようで、埃っぽさはない。


「もう売り切れたのか……」


 アムルに続いて店内を覗いたシンが、そう呟いた。

 しかし、それくらいで諦めるアムルではなかった。


「すみませーん! パイは、ありますか~?」


 大声でアムルが何度か呼び掛けると、奥の部屋から店主らしき男性がのっそりのっそりと顔を出した。黒い髭面の体格がいい中年男性だ。

 店主は、客であるアムルに向かって、真っ赤な顔をして怒鳴りつける。


「……パイ? そんなもの、あるわけないだろうっ!

 冷やかしなら帰ってくれっ!」


 店主の息は、酒気を帯びていた。アムルとシンは、店の外へ追い出され、背後で木戸が激しく音を立てて閉められる。

 驚いて目を丸くしていたアムルだったが、すぐに気を取り直して表情を引き締める。他にも店はたくさんある。


「ぬーっ! まだ諦めないもんっ!」


 その後、アムルは、大通りに面しているお店をくまなく調べて回ったが、結局どの店も、パイどころかパンの一欠片すら見つけることが出来なかった。

 そして、どの店も、アムルがパイのことを口にするだけで怒鳴って怒るのだ。


「がーんっ!」


 アムルは、顔面を真っ青にして、地べたの石畳に両手をついた。

 歩き回って、脚がくたくただ。お腹も減っている。


「ぱ……パイが……ない、なんて…………」


(……あっ、アムル! 大丈夫?)


 後から追いついたユースティスがアムルを見つけて、駆け寄った。説明を聞かずとも、アムルの悲愴な感情が痛いほど伝わってくるので、ユースティスには、アムルに何があったのかすぐに分かった。


 シンは、辺りを見回して何かを見つけると、遠くを指さした。


「原因は……あれだろう」


 シンが指さした方角を、ユースティスが見る。そこには、赤いとんがり屋根の建物が幾つも並んでいた。側面に、大きな四枚の板が十字に取り付けられている。


(あれは……)


 ユースティスの心の疑問が聞こえたように、タイミングよくシンが答える。


「風車小屋だ。ウィンガムでは、年中吹いている風の力を利用して、風車で色んなものを作っているんだ。

 でも、風車の羽根が動いていないな……こんなことは初めてだ。

 風車に、何か問題でもあったのか……」


 シンの説明を聞いて、アムルがゆっくりと顔を上げる。その顔は、涙と土埃でぐちゃぐちゃだ。蜂蜜色の瞳だけが夕陽と涙できらきら光っている。


「……どうして、風車が動かないのと、パイがないことが、関係あるの?」


「風車では、小麦を挽いて、小麦粉を作っているんだ。

 パイ生地は、小麦粉から作るだろう。

 パン屋にパンが置いてなかったのも、売り切れたのではなくて、おそらくは、風車が機能していない所為なのだろうな……」


 その時、ちょうどベトゥラとソルブス、ユヒの三人が追い付いて来た。ユヒの歩調に合わせて歩いて来たので遅れたようだ。


 アムルが頬を膨らませて、シンに文句を言う。


「もぉ~! パイもないし、風なんて吹いてないしっ!

 ウィンガムって、風が止まない都なんじゃなかったの~?」


 アムルの言葉に、その場にいた皆がはっとした。

 ユースティスは、アムルをどうやって助けるか、ということばかり考えていたし、使者たちは、皆、白いローブと仮面を身につけているので、に気が付かなかったのだ。


「どういうことでしょう……まさか……」


 ソルブスがベトゥラの方を見た。

 ベトゥラも、ソルブスが何を言おうとしているのかを悟って、頷いて見せる。


「ソルブス、試してみろ」


「はい」


 ベトゥラの指示に、ソルブスが手を空中にかざす。そこに小さな旋風つむじかぜを現出させようと魔力を込めたが、何も起きない。


「……ダメです。風の魔力だけが弱くなっているようで……」


「そういうことか……」


 ベトゥラが納得したようにつぶやく。

 

「<ラタトスク>たちが現れない原因は、だ」

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