第八話 黒い影
ごほん、とベトゥラが咳払いをした。
「……とりあえず、あなたが風樹の樹官長というなら、話は早い。
我々は、一刻も早く<ハルディア>へ戻らなければならないのだ。
伝令獣である<ラタトスク>を、なんとか使役できないものだろうか」
ベトゥラの言葉に、ユースティスがはっと身を固くする。
(そうだ……もし、これで問題が解決してしまったら、アムルは……)
ユースティスの心臓が、急に音を立てて騒ぎ始めた。他の皆も、同様に事態のなりゆきを察したようで、さっきまでの和やかだった空気が、一気に緊張する。
ただ、アムルだけは、既に平らげて具がなくなったスープに、千切った固いパンを浸して、マルメロに与えていた。
「<ハルディア>へ戻るって……あなたたちは一体……?」
イサールは、眉をしかめて、白いローブ姿の三人を見つめた。
そこで改めてソルブスが、イサールにこれまでの経緯を語って聞かせた。自分たちが<ハルディア>からの使者であること、アムルが<クラヴィス>であること、そして、風が止んでしまった所為で<ラタトスク>たちを使役できないこと……イサールは、それらを黙って聞いていた。
「<クラヴィス>……話には聞いたことがあるけれど……本当だったのね。
そう、あなたが…………」
イサールは、切れ長の目を細めて、アムルを見た。その翡翠色の瞳に浮かんでいるのは、哀れみと僅かな好奇心……そして、侮蔑。
ユースティスは、イサールの柔らかな見た目からは想像できない仄暗い感情を読み取り、驚いた。
人間には、口に出す言葉と心の声がちぐはぐになることがよくある。ユースティスにとって、そのこと自体は珍しいものではない。
だが、イサールからは、アムルに対する敵意に似たものを感じたのだ。ユースティスは、思わず、隣に座っているアムルの袖を引いた。
(アムル……あのイサールさんって人……ちょっと変だよ……)
「ん? うーん……そうだね、ちょっと変わってるよね。
でも、だめだよ、ゆーくん。世界には、いろんな人がいるんだから、そんなこと言ったら失礼だよっ」
ユースティスの真意は、アムルにいつも正しく伝わるわけではない。そのことを思い出し、ユースティスは、がっくりと肩を落とした。
しかし、イサールの敵意は、一瞬だけで、すぐ明るい笑顔に戻って言った。
「まぁ、とは言っても……私は、まだ〝継承の儀式〟を終えてないからぁ~。正確には、樹官長じゃないのよねぇ~」
イサールが肩をすくめて、首を振る。
その様子を横で見ていたシンが、口を挟む。
「何か知らないのか。お前、師匠の家で暮らすまでは、神殿で生活していただろう。継承者にしか伝えられていない秘術みたいなものとか、何かないのか?」
「いやだもぉ~、シンったら!
樹官長を何だと思ってるのかしら。勇者や動物使いじゃないんだからぁ~」
そう言って、イサールは、笑いながらシンの肩をバシバシと叩いた。
シンの表情は、仮面に隠れているが、その場に居た誰もが、シンの苛立ちを感じ取っていた。
「やはり、風が止んだ原因を取り除くしかない……そういうことか」
ベトゥラが腕を組み、重い口調でため息をついた。
すかさずシンが、イサールに向かって追及する。
「風が止んだのは、お前がいなくなった所為じゃないのか」
「ええ~私の所為にしないでよぉ~……」
「じゃあ、何が原因か知っているのか」
「知るわけないでしょーっ!
さっきこの街に帰って来たばかりなんだからぁ!」
「さっき帰って来たばかりで、なんであんな問題を引き起こすんだ、お前はっ?!」
「だからぁ、私の所為じゃないって言ってるじゃなぁ~い!!
あいつらが先に絡んできたのよぉ~!」
二人が言い争うのを、ユヒが穏やかな口調で宥めた。
「二人とも、落ち着きなさい。
それよりも……シン、〝古いツテ〟という人には、会えたのかな?」
ユヒの言葉に、シンがはっと我に返った。
話がわからないイサールは、腕組みをし、そっぽを向く。
「あ……はい。そのことですが……実は……」
シンは、ロウから聞いた話を掻い摘んで話した。
「聖獣か……」
シンの話を聞き終えたベトゥラが呟く。何か思うところがあるような口ぶりだ。
それまで黙っていたソルブスが口を開いた。
「その人物とやらは、何故そのようなことを知っている?
聖獣は、滅多に人前へ姿を現さない。そもそも一体、どうやって会えと言うのだ?」
ソルブスの疑うような口調に、シンが答える。
「その者のことは、私もよく知っていますし、長くこの地で生活している者でもあります。決して、いい加減な情報でないことは、私が保障します」
シンは、ロウが〝風の民〟の末裔であることを伏せて答えた。
そのことが、ユースティスには、シンの誠実さを表しているようで、胸のあたりにじわりと温かいものが広がってゆくのを感じた。
「〝風樹が力を失っている〟……まぁ、そのことは確かだろうな」
ベトゥラの言葉に、ユヒが視線を合わせて頷く。
「私たちは、風樹の様子を見に行って来たのだが……」
そう言って、ベトゥラは、自分たちが目にしたものについて語りはじめた。風樹で、聖化した前樹官長と対面してきたのだという。
聖化した前樹官長は、眠るような表情で、風樹の幹の一部と化していた。言葉を交わせる状態では、もちろんない。
ベトゥラは、手を胸の前に当てて小さく祈りを捧げると、自身の仮面を外した。
『……確かに、風がないな』
外気に触れる肌に、あるべき風の存在を感じられず、ベトゥラが眉をしかめた。
アムルの前でなければ、仮面をする意味はない。そのまま大きく息を吸い込み、風樹によって浄化された、辺りの清らかな空気を味わいながら、頭上を見上げた。
すると、仮面越しではない、ベトゥラの視界に、何か黒い影が横切って見えた。
それは、鷹のような姿をしていたという。
「それが、聖獣……?」
シンの問いに、ベトゥラは、力なく首を横に振る。
「わからん。追い掛けたが、すぐに見失ってしまった。
だが、何やら禍々しい気配を感じたのだ。
風樹に何か異変が起きていることは確かだろう」
そう言ったベトゥラの言葉を継ぎ、ユヒがシンに向かって続ける。
「……シン。我々は、君の力を借りる必要がある、と判断して、ここへ戻って来たのだ。……この意味がわかるね?」
ユヒの口調は、穏やかだったが、そこには、ぴりりと緊迫した空気を孕んでいた。
シンが背筋を伸ばして、頷く。
「……はい」
ユヒとシンの間に、重苦しい空気が漂うものの、ベトゥラとソルブスも何も言わない。
そんな中、状況をつかめないでいるイサールが、苛立ち紛れに口を挟んだ。
「なによぉー、一体どういうこと?
私にも解るように説明してちょうだいよぉ~」
シンは、イサールの方を向いて、重苦しい口調で答える。
「つまり、最悪の場合、聖獣を殺す必要があるかもしれない……そういうことだよ」
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