第三話 罠

 くしゅん


 ユースティスは、隣で眠るアムルのくしゃみに起こされた。

 ガチガチに固まった身体を起こすと、白い布切れが肩から落ちた。見ると、大きな一枚布が、アムルとユースティスの身体を覆っている。

 アムルが目を閉じたまま何かを呟いた。


「むにゃ……パイ……いひひ️♡」


 どうやら、まだ夢の中にいるようだ。


 辺りは、既に明るく、朝日が頭上から差し込んで、空気中に漂う朝露あさもやを白くけぶらせている。

 吸い込んだ空気がひんやりと冷たくて、ユースティスは、身体をぶるりと震わせながら、白布を肩まで引き上げた。

 焚き火は、ほとんど消えかかっていて、昨日集めた薪の山も消え、ほとんどが炭になっている。


 焚火の傍らに、誰かが横になって眠っていた。白いローブにくるまっているので、誰かは分からない。一人だけだ。

 他の三人の姿が見えないので、どこへ行ったのだろう、とユースティスが周囲に目をやった。そこで、はたと気づく。


(今なら、逃げられる……)


 アムルを起こして、そっと音を立てずに森の中へ逃げこめば、彼らは、きっと追いつけない。

 なぜなら昨日、ユースティスは、彼らと森を歩きながら、彼らが自分たちよりも森に慣れていないことに気が付いていた。


(…………でも、<エルムの里>には、もう戻れない。

 樹官長は、きっとアムルのことを守ってくれない。

 ……僕が守らなきゃ。僕がアムルを……守るんだ……!)


 ユースティスがアムルの肩に手を伸ばした時、木立の間から、人影が姿を現した。顔に、模様のない白い仮面を付けている。


「起きたか」


 シンは、ユースティスに向かって話し掛けた。

 白いローブを羽織っておらず、上下真っ白な衣服を身につけている。

 ユースティスは、今自分たちが被っている白い布が、シンのローブであることに気が付いた。ユースティスとアムルが眠った後で、シンが掛けてくれたのだろう。

 ユースティスは、アムルの方への伸ばした手を、そっと自分の膝に降ろした。


「朝食は……すまないが、歩きながら調達しよう。残念だが、罠には何も掛かっていなかった」


 シンが申し訳なさそうに首を横に振った。

 後ろから、ベトゥラとソルブスも姿を見せた。二人とも無言のままだったが、ユースティスには、二人の落胆する心の声が聞こえてきた。


(ソルブスめ……昨日あんなに自信満々に罠を張っていたくせに……もうあいつには頼まん。やはり、シンにやらせよう)


(くそっ、俺の仕掛けた罠に問題は無い。この辺りには、生き物がいないのか?

 そうだ、きっと仕掛けた餌が悪かったのだ。ベトゥラ様がその辺に落ちている木の実を拾って使おうなどと言ったから……きっとあれが既に夜露で濡れて、腐っていたに違いない。

 なんて失態だ、くそっ! 俺としたことが……っ!)


 二人は、仮面越しに見合った。


「……まあ、そういう時もある。気にするな」


「ええ、そうですね。次は、仕留めます」


 人間には、口に出す言葉と心の声がちぐはぐになることがよくある。普段から相手の心の声を聞くことが出来るユースティスにとっては、そう珍しいものではない。

 むしろ、アムルのように、言葉と心にずれがない者の方が珍しいのだ。


(シンに、ベトゥラとソルブス……ということは、焚火の傍で眠っているのは、ユヒじいだったのか)


 話声で目が覚めたのか、焚き火の傍で横になって眠っていたユヒが身じろぎした。ゆっくりと上半身を起こすと、しばらく焚火の火をじっと眺めて、何かを考えているようだった。

 だが、それは白い朝霧のようにモヤモヤとけぶっているだけで、形にならない。

 ユースティスには、それが妙にそわそわして、落ち着けなかった。


「さっさと出発するぞ。……早く<クラヴィスそいつ>を起こしてくれ」


 ベトゥラに言われて、ユースティスがアムルの肩を揺すった。


(アムル、アムルっ! 起きて、出発するって!)


「ん~……もう食べられにゃいよぉ~……うひ♡」


(アムル~っ! お願いだから、起きてよぉ~!)


 ユースティスは、シンに白いローブを返そうとして、それをめくった。

 すると、アムルのお腹の上で、丸くなって眠るマルメロの姿があった。

 それでも起きる気配のないアムルを、ユースティスが何度もゆり起こして、ようやくアムルは、目を覚ました。


 ユヒが、魔法で焚き火に水をかけて、後始末をする。

 じゅっ、と火が消える音を合図に、一行は、再び森の中を歩き始めた。


 明るいニールの森は、小鳥たちのさえずりが聞こえるだけで、静かだった。

 獣一匹見えない。


 ソルブスは、先頭を歩きながら、魔法で見えない空気の矢を宙に向かって放っていたが、羽ばたく鳥の音を聞く度に、仮面の下で小さく悪態を吐いていた。


 マルメロは、日中好き勝手に森の中を飛び回っては、いつの間にかアムルの肩に乗っている。

 嗅覚が鋭いのか、匂いで食べ物の場所やアムルの場所を特定しているのだろう、とユースティスは考えた。


 そんなマルメロが、どこからか見つけてきたベリーを持って来て、アムルに渡した。ただ、マルメロは、まだ小さいので、一度にたくさんの量は運べない。

 そこで、アムルがマルメロに木の実やベリーを見つけた場所に案内してもらうことにした。少しルートを外れてしまうが、それでも森で見つける食料は貴重だ。


 そうして見つけたベリーを、アムルが頬張っていると、その後ろから付いて来ていたシンが木立の間に何かを見つけて、道を逸れた。

 後から追い掛けてきたユースティスが、それを見て、チャンスとばかりにアムルへ駆け寄る。


(アムル、逃げるなら今だよっ。

 今なら、シンの目もないから、森へ逃げ込めば……)

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