第十一話 暗闇に灯る光

 イサールは、宙で落ちて行くアムルを捕まえて胸に抱え込むと、視界の端に入った枝を掴んで落下を防ごうとした。

 しかし、掴んだ枝が細く、二人分の体重を支え切れずに折れてしまう。

 再び宙を落ちていく中で、イサールは諦めずに手を伸ばし、視界に飛び込んだ枝を掴み続けた。枝の先や葉っぱがイサールの顔と腕に切り傷を作っていく。ようやく四本目に掴んだ枝で、落下が止まった。

 イサールは、右腕でアムルを抱えながら、左腕だけで枝にぶら下がる形になる。

 アムルは、気を失っていて、自力で枝を掴めそうにはない。

 いくらアムルが子供でも、二人分の体重がイサールの片腕にかかるのだ。だんだんと枝を掴むイサールの手がしびれてくる。シンのような人並外れた筋力など、イサールは持ち合わせていない。

 掴んでいた枝が、みしりと嫌な音を立てた。

 このままでは、枝が折れるか、イサールの腕が限界を迎えて、二人とも落下してしまう。だいぶ落下したとはいえ、まだまだ地面からは遠く、街が霞んで見える。

 イサールは、さっと周りに視線を巡らせた。すると、下方に風樹のうろが口を開けているのが見えた。

 迷う暇はなかった。

 イサールは、身体を振り子のように揺らし、アムルを抱えたまま洞へ飛び込んだ。

 洞は、外から見たよりも奥へと続いており、アムルを抱えたイサールは、暗い穴の底へと滑り落ちていった。



 アムルが目を覚ました時、辺りは真っ暗闇に包まれていた。

 自分がどこにいるのか、どうしてここにいるのか、さっぱり分からない。


「きゅえ」


 マルメロが、首を傾げて、金色の目でアムルを見つめた。暗闇の中にいるのに、マルメロの身体は、うっすらと光っている。


「マルメロ……すごい! 光ってる!」


 アムルの声に反応するように、マルメロは、誇らしそうに胸を張り、宙返りをして見せた。マルメロの鱗が淡く光を放っているようだ。


 ん……、と背後で何かの身じろぎする声がアムルの耳に聞こえた。イサールだ。

 どこか怪我でもしているのか、目を閉じたままぐったりとして横たわっている。


「イサール! 大丈夫? 目を覚まして!」


 アムルは、慌ててイサールを揺すり起こした。見えるところに大きな出血はなさそうだが、顔と手が切り傷だらけだ。

 気を失っていたアムルには、何が起きたのかさっぱり分からない。


「ん……なに…………いっ!」


 目を覚ましたイサールが痛みに顔を歪める。


「どうしたの? 怪我でもしているの?」


「……全身打撲よ……あと、肩が脱臼してるみたいね……」


 苦悶の表情で左の肩を抑えるイサールを見て、アムルが怒ったような泣きそうな顔になる。


「どうしよう……あたし……イサールに、何もしてあげられない」

「……はぁ?」


 イサールは、アムルの様子がおかしいことに気付き、まゆをしかめた。

 アムルの大きな蜂蜜色の瞳が、ゆるゆると揺らめている。


「あたし……ゆーくんみたいに、薬草にも詳しくないし、ユヒじぃみたいに、治癒魔法も使えない……シンだったら、イサールを抱っこしてあげられたのに……」


 アムルは、両手で服の裾をぎゅっと掴む。

 それを見たイサールは、飽きれた顔で溜め息を吐いた。


「…………あのねぇ、私は、これでも大人なのよ。誰も子供のあんたにどうにかしてもらおうなんて、これっぽっちも期待してないわ。

 それに、シンの馬鹿力は、特別仕様なの。私にだって真似できやしないんだから。

 ……まぁ、シンにお姫様抱っこされるってのは悪くないわね」


 しかし、アムルは、イサールの軽口にも、強張った表情を変えようとしない。まるでイサールが怪我を負ったのは自分の所為だと判っているように、思いつめた顔をして俯いている。


 イサールは、そこに、アムルの本質を垣間見た気がした。なぜアムルが<クラヴィス>になろうとするのか、その背景は分からない。でも、決して生半可な想いでここに立っているわけではないのだ。

 もし、それがアムルの本能に近いものなのだとしたら、それはかなり厄介で、誰かが言って止められるものではない。それは、知るだけで胸をえぐられるような話だとイサールは思った。

 どうしたものか、とイサールは思案し、すぐに考えても無駄だと諦めた。自分に今できることは、これしかない。無理やり痛みを抑え込んで笑顔を作ると、脱臼していない方の手で、アムルの頭をわしわしと撫でた。


「子供のあんたは、安心して大人に守られてなさい」


 イサールの大きく温かな掌が、アムルの強張った表情を溶かしていった。


「さぁて、どうやってここから出ようかしらねぇ。

 こう真っ暗じゃ何も見えやしない……って、ちょっと何よ! その光ってるモノはぁ?!」


 イサールは、今気が付いたように驚いた顔でマルメロを指さした。


「あ、マルメロだよ」

「なんで光ってるのよ?!」

「うーん、わかんない。でも、卵の時も光ってたから、光るドラゴンなのかなぁ?」

「ど、ドラゴンって光るものなの?

 …………便利ね」


 イサールが、しげしげとマルメロを観察する。

 マルメロは、首を傾げてイサールを見返した。


「そういえば……ここは、どこなの? ゆーくんとシンは?」


 アムルが、きょろきょろと周囲を見回す。どうやら少しは気持ちが落ち着いたようだ。


「ここは、風樹の中よ。あんた風樹から落ちたのよ、覚えてない?

 ちょうど幹に洞を見つけてね。私があんたを抱えたまま、飛び込んだの。

 でも、思ったより深いところまで落ちてきちゃったみたいね」


 イサールは、自分が落ちてきたと思われる方を見上げた。真っ暗で、光の一つも見えない。


「はぁー……参ったわねぇ。この腕じゃあ、登れないし……」


 その時、急にマルメロが何かに気付いたようにぱっと顔を上げた。


「きゅきゅ!」

「マルメロ、どうしたの?」


 マルメロは、まるで何かに呼ばれているかのように洞の奥へと飛んで行く。


「待って、マルメロ!」

「ちょっと、どこへ行くのよ」

「わかんない、でも……」


 マルメロがいなくなると、辺りは真っ暗闇に包まれてしまう。追い掛けるしかない、と思った二人は、暗闇の中、マルメロの光を求めて歩き始めた。



  §  §  §



(さて、どうしたものか――――)


 シンは、イサールとアムルが落ちて行った方角に当たりをつけると、ゆっくり足元を踏みしめながら風樹を下り始めた。登りよりも下りの方が滑りやすくて危険なのだ。

 イサールのことは心配していない。どうやって合流しようかとは考えたが、もし、互いに動き回ってすれ違ってしまえば、この広い風樹で迷い続ける可能性もある。なるべく動かずに待っている方法もあったが、それよりも、下りながら二人を探しつつ、祭壇のあった樹洞へ戻って待つのが一番確実だろうと早々に結論づけた。


 それよりも……とシンは、後ろを振り返った。

 先ほどからユースティスは、ずっと黙ったままシンの後をついて歩いている。

 イサールとアムルのことよりも、むしろこちらの方が心配だ、とシンは思った。


 足元は、風樹の幹が盛り上がってかろうじて道のような呈をとっているだけで、隆起した箇所も多く、平ではない。そのでこぼことして歩きにくい道を、ユースティスは、何度も躓きそうになりながら歩いている。

 見ていて危なっかしいものの、手を貸してやろうとすれば、彼がそれをはねのけることをシンは経験して知っていた。


 あっ、とユースティスを見ていたシンは、思わず出そうになった声を飲み込んだ。

 ユースティスが躓き、とうとう手をついたのだ。どうしたのか、そのまま動こうとせず、立ち上がることが出来ない。


「手を貸そうか?」


 見かねてシンが手を差し伸べるものの、ユースティスは、顔を上げることなく横に振る。

 ユースティスの小さな肩が震えている。

 それだけで、シンには、ユースティスの想いが伝わってくるようだった。


(どうしてどうして……どうして僕は弱いんだっ!

 こんなに頼りなくて……ちっぽけで……力もない……アムルを守るどころか、ただ皆の足手纏いなだけじゃないかっ。僕にもっと体力があったら……アムルを一人にさせずに済んだんだ。アムルの傍にいて、アムルを助けてあげられた……!

 アムルが落ちたのは、僕の所為だ……っ!)


 ユースティスは、地面にうずくまり、肩を震わせながら泣いていた。

 何度も、何度も自分の足を拳で殴りつけ、零れた涙が、足元にある樹皮を濡らす。


(泣く時でさえ、彼は声が出ないのか――)


 そのことをシンは、不思議で気の毒なような、やるせないような想いで見つめた。

 目の前にいる小さな男の子が、かつての自分と重なって見える。

 シンは、思わず口を開いていた。


「強くなりたいか、ユウ」


 頭上から降ってきたシンの声に、ユースティスが顔を上げる。

 言葉にしていないのに、何故自分の気持ちが分かったのだろう、と不思議なようだ。

 シンは、ユースティスの疑問に答えるように言う。


「俺もそうだったから、わかる。大事なものを守れるくらい強くなりたいと願った。

 でも、願うだけじゃダメなんだ」


 そう言って、シンがユースティスに向かって手を差し伸べる。


「俺がお前の、師になろう」

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