第五話 黒い竜
里の男に案内された川辺で、シンは、美味しそうに水を飲むヒプティスを眺めていた。
案内してくれた男は、持っていた桶に川の水を汲むと、里の方へと戻って行った。
去り際に、何か聞きたそうな表情でシンを見ていたが、結局、当たり障りのない会話を一つ、二つほど交わしただけで別れた。
何か尋ねられていたとしても、自分は、きっと何も答えられなかっただろう、とシンは思う。
聖地<ハルディア>の使者として、樹官吏のローブを身に纏ってはいるが、自分は樹官吏としての資格を持っていない。
この遠征には、護衛としての腕っぷしと、ヒプティスの扱いに長けているところを買われて選ばれたのだ。
重要な機密事項について、自分は、何も知らされていない。
だからこそ、こうして里の者と二人きりになる状況でも、安心して任されているのだ、ということをシンは、わざわざ誰に説明されるまでもなく理解している。
そういう察しの良さ、というか頭の良さも、この遠征に選ばれた所以であった。
(それだけ重要な旅なのだ……これは)
決して失敗は許されない。
それは、この遠征に出る前に幾度も言い聞かされた事項であったが、そう再三に渡って言われなくとも、他の同行者たちの様子を見ているだけで容易に分かる。
普段は、温厚な樹官吏たちだが、この遠征中ずっと肌がぴりぴりとするような緊張感が漂っているのだ。
それは、ここへ来る間の口数の少なさにも表れていたが、そもそも無口なシンにとっては、そのことが逆に有難かった。
妙な気を効かせた社交辞令やユーモアを口にするのは苦手であったし、あれこれと人に詮索されることも好きではない。
聞かれたところで、大した話もできないのだが、またその時に相手から感じる気まずさや気を遣われているという空気が耐えられないのだ。
その点、物言わぬヒプティスの相手をするのは、楽だった。
任された時は、慣れない生き物相手に色々と苦労もしたが、今となっては、人と居るよりもヒプティスと居る時の方が心安らぐ自分が居る。
大人しいヒプティスは、滅多に鳴くこともない。
それでも、彼らとは、言葉はなくとも、心で通じ合っている気がするのだ。
シンが仮面の下でほっと息を吐く。
ここへ来るまでの間、自分がずいぶん気を張っていたことが判る。
<エルムの里>は、とても長閑で落ち着く里だ。
陽が差す明るい森には、警戒すべき獰猛な生き物も敵も見当たらない。
それでも、目的の場所へ着くまでは油断出来ない、と自分を戒めていた。
四頭のヒプティスは、羽根を広げて、水浴びをしている。
シンは、それを見て、仮面の下で強張っていた頬を緩めた。
その時、突然、水浴びを楽しんでいたヒプティスたちが顔を上げて、空を見上げた。
羽根をばたつかせて、落ち着かない様子で川から上がろうとする。
(なんだ……?)
シンは、すぐにヒプティスたちの方へ近付こうと、川へ入って行った。
普段は温厚で大人しいヒプティスが、このように動揺するのは珍しい。
まるで何かに怯えているようだ。
ヒプティスたちの手綱を掴み、彼らを落ち着かせようと試みるシンの視界が、ふっと暗くなった。
雲が出て来たのだろうかと思ったが、周囲は以前と明るいままだ。
自分たちの居る位置だけが薄暗い。
ヒプティスたちが空を見上げて戦慄いた。
シンも不思議に思って空を仰いだ。
空は、変わらず雲一つない晴天だったが、ただ一つ、雲ではない、何か黒くて大きなものが、頭上を横切って行くのが見えた。
(鳥だろうか……それにしては、大きい……)
逆光になって、はっきりとは見えない。
シンが目を凝らしてよく見れば、それは、長い首と、岩のように固そうな皮膚、背中からは蝙蝠に似た羽根が生え、長い尻尾が後を引いている。
(なんだ……あれは…………)
それは、シンの見間違いでなければ、黒い
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