第35話 勇者を待ちながら

 壁に矢印を書きつけながら思う。この行動に意味があるのだろうか? と。


 行いの不毛さから目をそらすために、復唱する。俺はクレメント・ボロフカ。ここは怪物の腹の中。けれども、希望はまだ潰えていない。


 ……そうでなくては困る。




 話はヴォジェニが邪神と交信した直後に遡る。


 ヴォジェニの巨躯が泡立つように膨れ上がる。内側から弾け、その余波で広間は崩壊した。俺は瓦礫に巻き込まれて気絶し、けれども運よくいくらも経たないうちに息を吹き返した。


 肩越しに振り向く。豪奢な椅子に乗っているのは胴体部分のみだ。四肢と首は極端に伸長し、天井や壁を貫いてのたうっている。まるで木の根か何かのようだ。ぐらり、と床がかしいだ次の瞬間、奇妙な浮遊感に襲われた。


 物理的な衝撃によって我に返り、俺は反射的に遁走の煙幕エスケープを唱える。這いずって脱出する最中、壁のあらゆるひび割れがと開いて溶け爛れた眼球が姿を表した。


 館の中に詰めていた連中は外部に放り出されるか、眼球に補足され次第怪物の養分に成り果てる。


 この世の地獄かのような惨状から逃れ、行きついた先は厨房だった。当座の食糧を手に入れ、壊れた椅子の破片で折れた脚の応急手当をする。


 手足の成れの果てや歪んだ眼球がはびこるのは館の中心部が主で、外周に近い部分には時たましかやってこなかった。理由は、窓から外を見れば明白だった。館の外壁は、脈動する腐肉のような組織に押し包まれている。館全体を取り込み、ヴォジェニだった怪物は際限なく育っている。


 ともあれ俺の当面の生存は保証された。それから一昼夜も経たないうちに、館は船のようにぐらぐらと周期的に揺れ始める。台所の窓の一つは奇跡的に怪物の組織に覆われていなかった。瀟洒なはめ込み窓から外を窺う。眼前には渦巻く雲、掴めそうなほど近くをひらめく稲妻、はるか下に広がる大地。


 そう、館は自走する巨大な怪物に抱え込まれる形で移動していた。あげくの果てに、ヴォジェニ派の手勢が周囲を固めて行軍中である。方角からして、目的地は王都か。彼は自失する寸前に「王を誅する」と叫んでいる。その意思が反映されているのだろう。


 しばらくは一方的な蹂躙が繰り広げられていたが、人々も指をくわえて滅びを待つつもりはないらしい。散発的な交戦が次第に組織だったものとなり、どうやら総力戦が起こりそうな流れだった。なら、万が一のことも起こるかもしれない。『聖剣』が上手くアランの手に渡っていれば、あるいは。


(……パメラはあの手紙を読んでくれたろうか)


 東方行きを彼女に託したのは殆ど成り行きに近い。本来は俺自身で赴く予定だったが、行動不能になった時の万が一の保険として彼女に私信を残していたのだ。


 革命の件が一応の収束を見せた今、残る懸念材料は邪神の存在だった。祈祷書というアクセス手段は処分したが、こちらの世界にちょっかいをかけようとする超自然存在そのものが滅びた訳ではない。


 対抗手段として俺が思い付けるのは東方の古い祠に秘匿されている聖剣『希望のアルドラ』くらいのものだった。これが、ゲームにおける勇者アランの最終装備となる。なんせ破邪属性ラスボス特攻が付いているからな。縛りプレイでもなければ第一選択肢はまず動かない。武器としての性能も申し分ない。


 どちらにしても、今はパメラが上手いことアランに接触できたことを祈るしかなかった。


 で、俺はどうする? それが問題だ。


 最初の三日間はひたすら逃げ惑いながら邸内をさ迷った。脱出経路こそ見つからなかったが、ヴォジェニのの届かないいくつかの片隅に暗幕の結界シャドウベールを用て安全地帯を作ることはできた。


 そして五日目。精神的な消耗と、怪我による発熱に苛まれる。行きつく暇もなく、緊張は続く。幻聴が聞こえ始めたのがこのあたり。


 七日目。死を願う。


 八日目を迎えた俺は、やけを起こした。煮炊き用のストーブから拾い上げた炭のかけらを拾い上げて思うがままに床に書きつける。できあがったのは館の概略図だった。仕上げに広間の位置に大きくバツを描いた。そこにヴォジェニの本体が座す。


 俺は厨房を出て、分かれ道の度に印を書き入れた。リネン室からくすねた絹のシーツや敷布を裂いて長大な縄梯子なわばしごを作った。窓を叩き割って梯子はしごを下ろした。俺は順路を整える。来るかもわからない男のために。救われるかも定かではない、生活の場のために。


 これが俺の当座の仕事。狂わないための、ひねり出した務めだ。錯覚だろうが構うものか。


 いよいよすることがなくなると、俺は予め準備しておいたポイントに潜んだ。もしもこの後、討伐が行われるのだとしたら、最後の最後に出番が残されている。


 何故ならば、俺が、俺だけが知っているからだ。邪神の端末に成り果てた人間の弱点と倒し方を。


 俺は前世でモニター越しにクレメントを幾度となく殺し尽くしてきた。そして今世の俺は……いや、歴代のボロフカの当主達は、ある秘密を隠し持っている。いつか、この暴君に反逆するための奥の手を。


 有難いことに、決戦の日は実際に訪れてくれた。――俺が想像したのとは、いささか異なる形だったが。


◇◇◇


 敵軍のしんがりには異形の巨躯が黒雲を背負ってそびえ立っていた。巨木の根のように見える足元が歩を進める度に、地面に根付きかけていた一部が引きちぎれてのたうつ。周囲を固めて進軍している部隊に、私は見覚えがあった。


「あれって……」


 私がつぶやくと、手引きをしてくれていた補給部隊の騎士が顔を向けた。彼女の盾には王妃の近衛を示す麦の環が描かれている。直接の面識はないが、私のことはどこかで聞き及んでくれていたらしい。


「斥候によればバチーク家の軍勢ですね」


 あら、やっぱり。なんとも懐かしい名前だ。


「領地から真っ先に駆け付けたそうで……勝ち筋でも見いだしたのかしら」


「この蛮行にヴォジェニ家が絡んだ以上、長年の配下であるバチークが動かない訳にはゆきません。かつての、私の家もそうでした」


「パメラさんの……?」


「ええ。表の方に通じるかわかりませんが、ハーディといえば裏ではちょっとしたものですので」


「だが、今では我らの仲間だ」


 目を丸くする彼女の横合いから、護衛を買って出てくれたうちの一人が顔を出す。彼は私と騎士の二人の顔を順に見てから言葉を続ける。


「俺たち掲星党はあなた方に幾度も窮地を救われた。本当に感謝している」


 兄たちも賭けに勝ったらしい。私は民兵である彼へ黙礼を返すと、再び怪物――ヴォジェニ公の成れの果てへ視線を戻す。


 決戦の場は開けた丘陵地だった。今の私は丘の陰に隠れながら大きく迂回して移動し、戦場を横合いから観察している。周囲には先導を買って出てくれた補給部隊の騎士に、随伴者である数人の精鋭が居た。護衛は断るつもりだったが、これだけはと押し切られてしまっていた。


 黒々と景色を覆い隠す風雨の向こうから鬨の声が届く。決戦が始まっているようだ。怪しげな色のいかずちがひらめき、地面を大きく穿つ。瞬間、跳ね飛ばされる人々の影が見えた。悲鳴を勇猛な掛け声や檄が覆い隠す。


 混成軍の意気はくじかれていないようだ。


 ヴォジェニの手勢は道々で略奪行為を行ってきていたが、王都に近いこの辺りは王の保障をもって集落全体を避難させ、倉庫や畑も焼き払ってあるという。ここ数日はほとんど飲まず食わずの進軍であるはずだ。加えてこの悪天候である。何故、いまもって彼らは歩きとおせるのだろう? 


 その疑問の答えが今まさに視線の先で行われていた。


 ある敵兵の歩調が明らかにおかしい。連日の強行軍で力尽きたのだろう、ふらつく足がつんのめり、今にも地面に倒れ込みそうになっている。直後、飛来した白いつたが彼の脳天を貫いた。絶叫と共にガクガクと手足がでたらめに動く。数秒後、そこには項垂れながら足を引きずりながら行軍を再開する彼の姿があった。


「……あのように、瀕死の兵も息を吹き返します」


「死者までは蘇らないのが不幸中の幸いだな」


 そう言うと、掲星党の彼は皮肉気に笑う。続くものは誰もなかった。事実、これはまずい状況だった。死の他に無力化の手段がないというだけで戦の流儀が通用しなくなる。


「ならば――」


 私が喋りだし、周囲の面々の視線が一斉に向けられる。


「あの巨人さえ倒せば、私たちの勝ちですね」


「……ええ!」


「そうなるな」


 大役だ。私を送り出したアラン青年、並びに合同軍の意思決定層も、芯から信頼している訳ではないだろう。けれど、こうして全軍が陽動を買って出てくれていた。


 いわば私は、彼らのもとに降ってわいた鬼札だった。


 国民の全生命が私の双肩にかかっている。が、不思議と頭は冷えていた。なにしろ私は、したいことを押し通してここにいる。ならば、周囲はどうであれやりきるだけだ。


「――来た!」


 敵軍を挟んだ反対側がにわかに騒がしくなる。別動隊による奇襲が成功したらしい。敵軍の戦列が乱れる。指揮系統の混乱は明らかだ。女性騎士から槍を受け取る。先導役である補給部隊との付き合いはここまでだ。彼女たちが下がり、私は護衛達と共に戦場へ打って出る。


 立ちはだかる騎兵を斬り払い、歩兵を踏み潰す。恐慌状態の者、自失した状態で武器を振り回す者、分け隔てなく。垣間見える肉色の大樹のごとき一対――怪物の足元を目指して押し通る。


 まみれた血と泥を暴雨が洗い流し、再び汚れ、汚濁が全身に染み渡る頃、私は辿り着く。


 護衛の中でも腕自慢の一人を探す。彼には登攀のための器具を担いで来てもらっている――姿が見えない。はぐれたか、力尽きたか。


 かくなる上は自力で取りついていくしかないか。そう決意しかけた矢先、あるものが目に入った。一面の腐肉色に一筋の清潔な白色が振り子のように揺れていた。怪物が取り込んだ館から、布梯子が垂らされている。


 疑問に思うより先に、私は梯子に取りついていた。


「――あなた方はここまでで! 随伴ありがとうございました!」


 護衛の面々にそう声をかけ、返事を待たずに登り始める。ここから先は単独行のほうがやりやすい。私の剣技は人を護るのには向かないし、生物が相手なら後れを取るなんて万に一つもない。


 言葉にならない予感があった。こんなあり得ないことをしでかすなんて、私は一人しか知らない。

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