第25話 まことの星を掲げるは

掲星党けいせいとうの末端と、ヴォジェニ一派の繋がりか。確証はなかった。予測はしていたが……なかでも最悪に近いケースが的中したようだ」


 反乱軍のリーダー、あるいはロマナン、あるいは謎の人物。そいつが細身の身体を僅かに揺らしてグラスを手に取った。唇を湿らせる程度に杯を傾け、再び口を開く。


「党の一部で、暴走の兆しがあるのは把握していた。内部調査は進めていたが……まさか敵方であるあなたからタレコミがあるとはね。これじゃ立場が逆転


 俺の元で走狗然として働いていた頃の口調で肩をすくめてみせる。いちいちこちらの神経を逆撫でしようとするのは素の性格なのか、それとも計算ずくなのか。


「流石にコイツは一線を越えているからな。その様子だと何が書いてあるか理解できているだろう?」


「ええ、まあね」


 この粗末な魔導書の性能を、一言で、そして『現代日本』風に表すと、【銃】だった。鍵呪文と錠前呪文を複雑に組み合わせ、ごく単純な詠唱で術が発動できる構造になっている。そうして発動する魔法は『術者が指さした方角へ魔力の塊が直進する』というものである。


 構造は単純で、殺傷力もさほどではない。しかし、数量が問題だった。歩兵による面での制圧が可能になる規模だ。歴史をひも解けば、このブレイクスルーが騎士の時代に終わりを告げている。


 この世界のいびつな技術開発ツリーが、大砲の前に小型の火砲を発明してしまった形だ。……いや、この場合の大砲とは要するに強力な古代魔術か? そして恐らくはこの【銃】もそうしたもののリバースエンジニアリングでできている。そういう意味では人類の発展の仕方にさしたる多様性はないらしい。


「俺はこの量産魔導書をもって、戦争の歴史が変わると思っている。俺たち貴族の時代が終わりかねん。お前には願ったりかなったりかもしれないが」


「いいや? いただけない手段だな」


「そうだな。死体の山々が築かれて血の河が流れるだろう」


「詩的なことで。本でも出せばどうです?」


「放っておけ。……で、どうする? 実現したかったのが暴力革命なんだったら俺は何も言わんさ」


 ロマナンは肩をすくめ、明言を避けた。


「ところで貴方は、パンの見分けが付きますか?」


 そして、代わりのように奇妙な問いかけをした。なぞかけは流麗な口調でなおも続く。


「同じ生地からわかたれ、同じかまどで焼き上げたいくつかのパン。数ある中から貴方が食べるのは一つきりだ。どう選びます?」


 美味そうなもの、色つやの良いもの、様々な条件がある。しかしそれも、『たまたまそう見えた』に過ぎない。パンとパンの間に――あからさまな失敗作を除けば――差異はない。


「……突き詰めれば偶然だ。そして、要はお前はこう言いたいわけだ。『人間もまた、パンに過ぎない』と」


「そうだね。そしてそれは、私の血と身体が証明している」


◇◇◇


 そうとも。私の身体と、そこに流れる血が何もかもの証明だ。


 私はかつて二人私たちだった。とある貴族が囲っていた女が双子を産んだ。同じ揺りかごに詰め込まれた二人の赤子は、母にも見分けが付かなかったそうだ。


 全ては伝聞だ。私たちの片割れは物心つかないうちに母から引き離された。父の生家が放蕩息子に見切りをつけて、非嫡出子を後継ぎ候補として求めたのだ。


 スペアは必要なかったらしい。私たちは引き裂かれた。


 ただ一人の私とされて貴族の子供として育つ間も、私には不可思議な感覚があった。鏡を覗き込む度に懐かしい顔がそこにあった。誰にも喋ったことはなかったが。私は暗に自らの複雑な立場を察していた。


 長じて出自を知り、確信はある推論へ私を導いた。もしかすると、私の鏡像は実在するのかもしれない!


 そうして密かに探し当てた私の片割れは、貧窮の底で死の床にあった。


「カシュバル」


「ハヴェル」


 どちらからともなく呼びかけて、私たちは抱き合った。もう一人の私から、死の匂いがぶわりと立ち昇った。私たちは失われた時を取り戻すように語り合う。手の施しようはなかった。きょうだいが事切れたのは数日後のことだ。私の半身はこうして私の前から永遠に去った。


 とはいえ私の育った家、大貴族の宗家が失敗作息子を放逐し、その愛妾の支援を打ち切ることになんの痛痒を感じるというのだろう。たかが貧民の母子が野垂れて死ぬだけだ。


 善なる大臣の血筋、良き人々の旗印たるモルナール家。それでも内情はこのようなものだった。


 私は自らの手を見おろす。指も、節も、てのひらも、片割れとまるきり同じ形をしている。流れる血の色も変わらず、私たちの間に何らの差異はない。しかし、気まぐれに摘まれPickされた私だけが生き延びた。


 この世界は病んでいる。私がその病状の証明だ。ならば、知らしめてやろうじゃないか。




 そして私は家名を捨て、名を捨て、このような者へと成った。掲星党と名付けた群れの長へと。


「――私の血と身体が証明している。この国は病に侵されている。貴族制という名の臓器が膿みただれているがために」


 傍らの窓枠に寄りかかる、陰気な面相の男――クレメント・ボロフカ男爵へ語りかける。私はかつての潜入先において、彼の使い走りのような立場であった。


 裏社会の名無し男はボロフカの当主である。浮浪者の間で半ば伝説じみて語られ、状況証拠からしても可能性は高かった。その推論がこうした形で確定するのは、私にとっては思いもかけないことだったが。


「ならば、誰かが癒してさしあげなければ」


 おどけて見せても、その表情に変化はなかった。相変わらずの渋面だったが、眉間の皺がそれ以上深まるでもない。


 ボロフカは古い血筋で、ズビシェク・ヴォジェニ公爵率いる保守系貴族勢力の幹部格だというのに? まるでこちらの挑発的な言動を意に介していないかのようだった。


 私は内心で彼の評価に若干の修正を加える。彼の価値体系はいささか特殊なのかもしれない。何の要因からかは未知だったが。


「……お前のバックボーンに興味はない」


「そりゃ残念。話の種には事欠かないのに」


 整った語調に、まともな発声。陰鬱な感情が乗り過ぎなのを除けば、非常に模範的な発話だ。こうした特徴はクレメントが非常に真っ当な貴族として在る事を示している。にも関わらず、貴族的尺度からは『汚染』された感性をどこで獲得したかは気になるところだな。


「とはいえ、お前が人類皆平等であるというスタンスであることは知れた」


 へえ。『平等equal』と来たか。良い言い回しだな。空中へ指先で書きつけて記憶に刻みつけつつ、私はそろそろ彼の質問に答えてやろうという気になる。


「暴力革命を望むか、という問いでしたね。答えは否です。たかだか血を流した程度じゃこの国は快癒しない。単に病巣が移るだけでしょう。次は、そうだな、騎士か資本家あたりに」


「ならば即座に行動に移すべきだ。ヴォジェニ一派が掲星党に手を伸ばしているのは、どう考えても真っ当な動機ではないからな」


 そう告げると、クレメントはずかずかと出入口へ歩んでいく。私は彼の背中へ声をかける。情報提供の借りを返すためだ。


「ここから立ち去るなら、窓から降りるのをお勧めしますよ。先ほどハンドサインで『侵入者アリ』と配下に伝えてあったから」


 窓際の縄梯子を指し示して伝えてやると、クレメントの表情は今度こそ悔しげに歪んだ。即座に取って返す彼と、それを追ってはじけ飛ぶようにドアを開けて室内になだれ込む部下たち。


 ドタバタ劇が始まった。が、まあ私に関係ある話ではないので、今後の方策を黙考する作業を続けることにする。ヴォジェニ派に属する彼の言い分を鵜呑みにする気はない。手元の簡素な魔導書に、彼が喧伝するほどの威力があるとも思えない。


 しかし、全てを戯言として無視することもまた、愚かな行為だろう。急ぎ、調査を進める必要がありそうだった。


(まったくもう)


 掲星党はいささか規模が大きくなりすぎた。目端を利かせるのも一苦労だ。


 生家であるモルナール家からロベルト……『青背熊ブルーベア』の手を借りて逃げのび、学者の『黄表紙イエローブック』が加わって旗揚げしたのがここ、掲星党だ。


 しかし今となっては、全てが遠い昔のことのようだった。


◇◇◇


 これ以上俺にできることはない。見切りをつけた俺は、掲星党と関わることを止める。南方からの帰郷には相応の苦労があったが、その過程をつまびらかにするのは控えよう。重要な出来事はむしろ、自宅へ帰り着いたあとに起こったからだ。


「――パメラさん」


 突然の来訪の報せに慌てて出迎えると、パメラがかばん一つをさげて立っていた。


 彼女の傍らに影のように突っ立っているのは次兄のデクスターだ。彼は俺へ黙礼をすると思わぬことを告げてきた。


「暫くの間、彼女をここに置いてやってくれないか」


 あれだけ婚前旅行にやいやい言っておいて随分な手のひら返しもあったものだ。うろたえる俺を余所に、デクスターは持参した数個のトランクを邸内へてきぱきと運び込んでしまう。


「そりゃ構いませんけれど、どういう風の吹き回しかくらいは聞かせて欲しいものですがね」


「その風向きが変わったんだよ。我が家はちと面倒ごとに巻き込まれていてな」


 客間のドアを開けた途端に埃が舞い上がった。室内に足を踏み入れて、ありったけの窓を開けて換気を行う。そのかたわらデクスターに詰問すると、彼から返答がよこされた。面倒ごとだと? あの裏社会のエリート一家に?


「……そりゃまた複雑な話になりそうだ。お茶の用意をしましょう、続きは応接間で」


「俺は遠慮しておこう。ただちに戻らねば」


 トランク類を部屋に置くと、デクスターは暇乞いも早々に踵を返す。そして大股で去って行くすれ違いざまに俺の肩に手を置くと、たった一言こう告げた。


「パメラを頼む」


 と。あとに残された俺たちはしばしお互いの顔を見合う。


 来訪してからこちら、無言を貫いていたパメラがようやっと口を開く。……しかしその内容はまったく思いもかけないものだった。


「我が家は今、ヴォジェニ公から謀反の疑いを持たれています」


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