第2話 チートという程でもない家系魔法

 まったく、厄介な状況に追い込まれてしまった。『主人公の父親の暗殺』というクエストを受注してしまった形だ。それも、強制的に。そしてここは、まごうことなき現実なのだ!


 失敗したらどうなる? 死ぬ。無慈悲に。容赦なく。俺の代わりはいくらでも居るのだ。この近世西欧風ファンタジー世界とでも言うべき社会においても、相も変わらず(と、俺の中の社畜だった頃の記憶がわめく)。


 どうにかしてこの邪悪なチュートリアルを攻略しなければならない。


(使える要素を一から洗い出すしかないな)


 のろのろと視線を上げる。目の前には壁に作り付けの姿見があった。男の部屋、それも仕事の場にあるのは少々不自然な調度だろう。


 板ガラスに銀を蒸着させた近代的な鏡はこの世界にあっては超のつく高級品で、男の身長でもゆうに映しきれる大サイズとなれば尚更だった。貧乏貴族には不釣り合いな代物であっても、俺の家には大金を積んででも鏡が必要な理由がある。


 俺は、そして歴代のボロフカ家の跡取りたちは皆この姿見の前で重要な訓練を重ねさせられてきた。演技の訓練を。


 ボロフカの跡取り息子にとって、演ずる技術とは文字通り血肉になるまで叩き込まれる重要な資質だった。


 何故ならば。


 俺は右手をゆっくりと上げる。鏡面の向こう側に立つ、そこそこの背丈と細身の体格をした陰鬱な雰囲気の男も同調する。顔の前まで持ち上げると、ごく短い詠唱と共に手首を支点にくるりと円を描く。


「――かげを欺け、『面影おもかげもどき』」


 次の瞬間、俺の顔はヴォジェニ公そっくりに変わっている。


 この世のすべてが自分に奉仕するために存在すると信じて疑わない表情、エレガントだが尊大な身の振る舞い……ズビシェク・ヴォジェニという男の身体が発するサイン、いわば『その人らしさ』と呼ばれるものを再現する。


 ――鏡の中には怪人貴族ヴォジェニ公爵が、少なくとも彼にそっくりの男が姿を表した。


 服の下に詰め物でもして肥満した体格に見せかければ完璧だろうが、ぱっと見の印象を与える程度なら十分な出来だ。


 再び右手で円を描く。愚痴っぽい老執事。円を描く。口の悪い料理番の婆さん。亡父、先代ボロフカ男爵。同派閥の尊大な同輩、ルジェク・バチーク。――そして婚約者である物静かなパメラ嬢。


 顔を変えるたびに身振りや立ち方も変えて、化けた人間になりきってみせる。


 これが、ボロフカの血脈に刻まれた力。効果範囲内の空間の光を歪め、幻像を浮かび上がらせる魔法だ。ただし、有効範囲は狭く、せいぜいが人の顔を覆う程度。その代わり精度はきわめて高く、顔の周囲に展開させれば、それと知らずに幻影であることを見破れる者はまず居なかった。


『面影擬き』だとか、単純に変装魔法とか呼ばれる、他人に化けるための魔法。ボロフカ家の先祖が開発し、貴族に取り立てられるきっかけともなった秘伝の魔法だ。以降は長子だけがその秘密を受け継いで来た。


 諜報や破壊活動にうってつけの後ろ暗い力を駆使し、ヴォジェニ公爵家の悪事に加担してきたのがこの家の裏の歴史だ。


 幻像を解いて再びもとのクレメント・ボロフカに戻る。


「家系魔法『面影擬き』。これが第一の武器か」


 第二の武器は、強いて言うならば裏工作のために歴代ボロフカ男爵が築き上げた人脈か。とはいえ、それも甚だ心もとない。裏稼業の中でも荒事のプロフェッショナルを束ねるのはボロフカとは別の家の管轄だ。俺の一存で動かせるのは、そこいらのごろつきや浮浪者を束ねる元締めくらいのものだ。


 第三の武器は……今のところ存在しない。正直逃げ出したい。


 しかし豚の指令には従わざるを得ないだろう。彼の悪事……のどれかを捜査しているという、騎士のロベルトのことは排除するほかない。


 しかし一方で、彼を殺すのも絶対に避けるべきことだ。このゲーム世界の主人公であるアランは、彼の息子なのだから。こんな初手も初手の段階で特大の遺恨を残すわけには断じていかなかった。


 そんな離れ業が可能なのだろうか? 俺は英雄ではなく、悪役としてすら格落ちで、できることと言ったら、魔法で変装すること程度だというのに。


 しかし、生き延びるにはそれしかない。俺はそう結論付けると、悪事の段取りを組むべくペンを取る。


「――では、引き続き頼んだぞ」


「手筈通りに」


 鋭い目つきと剣呑な雰囲気を隠そうともしない男へ、俺は敢えてぞんざいに前金の入った袋を投げ渡し、裏路地から立ち去った。


 裏の家業の関係者と接触する時に、ボロフカ男爵の身分は伏せている。今の俺は名を伏せ『顔』を変え、正体不明の裏社会の男となっている。その『顔』を解除し、再び『面影擬き』を使ってそこいらにいくらでも居るような酔っぱらいの顔へと変じる。


 深々とかぶっていたフードを外して雑踏に紛れてしまえば、俺に格別の注意を払う者は誰も居なくなる。


 今しがた接触した男を通じて、王都じゅうのはぐれ者に指示した内容は、標的であるロベルトの尾行、ならびに彼の行動をつぶさに観察して報告することである。


 金を積んで特に念押しもした甲斐もあってか、彼らは忠実に任務をこなしてくれている。依頼から半月が経った今、ロベルトの動静はほぼ網羅されつつあった。情報戦的な観点でいえば、今の彼は丸裸だ。いつでも刺せる状態になり果てていた。


 本来のゲームの中では、ロベルトは捜査中に暴漢に襲われて殴り殺される筋書きだったが、そうした雑なくわだてに比べても相当に丁寧な計画によるものだとは断言できる。


 盛り場の外れに停めさせていた馬車へ乗り込み、手短に目的地を告げた後、俺は深いため息をついてベンチに身を沈ませた。


 既に作戦は動き出している。

 今の俺にできるのは、これからも最大限の努力をはらうことと……筋書き通りにことが運ぶよう、祈ることだけだ。




(……美味い)


 ローストした水鳥の脂気を柑橘類のソースが程よく和らげ、強い旨味が口の中に広がる。看板メニューだという給仕長の言葉を信じて正解だった。この分だとデザートにも期待できそうだが、食べる機会がないのが残念だ。


 俺はさも手洗いに行くかのように席を立つと、洒落たレストランのホールを横切って店の裏手へ回る。積み重ねられた木箱の間に隠していた給仕服に着替えると、つい今しがたまでは客として振る舞っていた『顔』をそばかすの目立つ若い男の顔へ切り替える。


 この顔の本来の持ち主は元来のさぼり癖につけこまれ、今頃は行きつけの酒場で気持ちよく酔いつぶされていることだろう。今度は給仕として店の中へ戻り、二階へと上がって特別室へと向かう。


「――以上がこの度の捜査の進展となります」


 聞き耳を立てているドアの向こうから、そう若くない、おそらく壮年期とおぼしき男の声が聞こえる。声はきびきびと報告を終え、「ですが」と言葉を継ぐ。


「残念ながら、捕縛した実行犯とヴォジェニの繋がりを証明することはできませんでしたが……」


「そうか……。しかし、麻薬取引のルートを一つでも潰せたのは大きな成果といえるだろう。ロベルト殿よ、貴殿の働きに心から感謝申し上げる」


 老人らしき声が鷹揚に返す。続けて、老人は食事をしていくよう相手へと勧め、しかし壮年男はそれを丁重に断る。


 流れるように始まった暇乞いのやり取りを合図に、俺はその場から数歩後ずさる。直後、開かれたドアから歩み出たのは騎士のロベルトだ。給仕に化けた俺を気に留める様子もなく、大股で立ち去っていく。


 扉の隙間から、小柄な老人の姿がちらりと覗く。彼こそがモルナール内大臣。王国内屈指の大貴族であり、高潔な性格で知られる彼は、この王国における善人達のトップだ。


 彼こそがロベルトに悪の親玉的存在、かつ我が上司であるヴォジェニ公爵の調査を命じた張本人であった。

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