第3話 悪役貴族インターン修了(内定辞退不可)

 長らく続いた会議は、さしたる結論も得られぬままに本日も解散となった。


 私は座り込んだままじっとしている。なにも国政への落胆ばかりが理由ではない。何時間も座ったままでいたために、腰も、膝も、すっかり固まってしまったのだ。


「内大臣、お手を」


 秘書官がそう言って手を差し出すのを断り、私はひといきに立ち上がる。途端に全身の関節が軋みを上げた。しばしその場に立ち尽くし、自らの膝をなだめながら再び歩き始める。馬車に乗り込む頃には痛みは去っていたが、しかし私の心は晴れなかった。


 ――この王国には暗部がある。違法な魔法実験、邪神復活を目論むカルト教団に、人身売買すら手がける闇の経済圏。


 古来その中心には常にヴォジェニ家の存在があった。当主がズビシェク・ヴォジェニとなってからはその勢いは更に増している。闇が我が国をすっかり覆いつくす日もそう遠い未来ではないだろう。


 今こそ立ち上がり、隠された悪を一掃せねばならない。志ある者たちを募り、善き人々が活躍するための道筋を整える、それこそが内大臣たる私、クリスチアーン・モルナールの人生最後の勤めだと信じて老骨に鞭打つ日々であった。


 議会の場でははかばかしい成果は出せなかったが、彼奴の勢力は何としても今のうちに追い落とさねばならない。やはり本命は騎士団の俊英、ロベルト殿の調査にかかっていると思って良さそうである。

 彼のように有能で、なおかつ善良な心の持ち主と知り合えたのは僥倖であった。この縁を大事にせねばならぬと決意を新たにする。


 頭の中で今後の方策を取りまとめている間に、馬車はわが家へ到着していた。

 もう夜も遅い。出迎えた執事に茶と軽食だけを用意してもらい、終わったら休むようにと言いつけて執務室へ向かう。


 ――部屋に入ると、妻のネラが居た。


 出迎えてくれた、では語弊があろう。窓から差し込む月明りを背に、椅子に腰かけてにこにこと笑っているだけなのだから。室内だというのにスカーフを被って首元までをきっちり覆っているのは、春にしては肌寒かったためだろうか。


「やあ、ネラじゃないか。そんなところで何をしているんだい?」


 私が声をかけると、ネラはいよいよ笑みを深め、小首をかしげてこちらを見つめている。この女はいつだって機嫌の良いところが美点だ。


 私もつられて微笑みながら、しかしふと彼女の様子を訝しく思う。椅子に座ったままというのが気がかりだ。膝でも痛めてしまったのだろうか? いくらかくしゃくとしていても、寄る年波には勝てないものだ。


 爺さんにはなってしまったが、私とて男だ。彼女の助けに応じる力くらいは残っている。私は妻の座る方へと歩み寄り、腕を差し出す。


 次の瞬間、私の視界はぐるりと回転した。


「――!?」


 差し出した手を払いのけ、ネラは弾かれたように立ち上がって私の腕を後ろ手にひねり上げたのだ。


 そう気づいた頃には、私はすっかり身動きを封じられていた。首元には刃物を押し付けられる冷たい感触がする。肩越しに仰ぎ見るネラは相変わらず顔に微笑を貼り付けている。


 ……肩越しに、仰ぎ見るだって?


 あれは小柄な女だ。若いころから私の歩調に追いつくのもやっとで、歳を召してからは更に更に縮んでしまったというのに。あり得ない。こんなことは。この私よりも、頭一つ分程も背丈が高いだなんて。


「ごきげんよう、モルナール内大臣。よい月夜ですね」


 ネラの口から発せられた声は……男のものだった。私は全身を総毛立たせ、ほとんど叫ぶようにして奇怪な賊に向けて誰何する。


「貴様! なッ、何者だ!」


「恐れながら、身元は明かせませんね」


 賊の腕に力が込められ、首元に当たる冷え冷えとした感触が食い込む。死の予感に突き動かされた私の口元が、ひゅう、という無様な音を漏らす。


「……代わりといってはなんですが、こちらの用件をお伝えしましょう。なに、簡単なことです。騎士団のロベルトに調査から手を引くようお命じください。それだけで結構です」


「貴様、ズビシェクの手のものか!」


 賊は、ネラの顔をしたままの賊は、唇を歪めて酷薄な笑みを浮かべる。やめてくれ、妻の顔に、そんな嗤い方をさせないでくれ。


「お願いを聞いていただけないのなら、私もいささか強引な手を使わざるを得ませんね。部下や奥方の姿を借りれば私はどこにでも入り込めますし……貴方の命を容易く奪えるのですよ」


 笑い交じりの不快な口調で言い放ち、賊は上半身をかがめて私の顔を覗き込む。その表情にはなんの色も浮かんでいない。他者の生命を奪ってもなんの痛痒もない、そんな顔をしている。


「それともこうしましょうか。貴方の姿を借りて奥方を殺してしまうのです! 白昼堂々、公衆の面前で、これ以上なく残酷に。こうして貴方は妻殺しの汚名を着せられ、全ての名誉を失って――」


「やめてくれ! 彼女に手を出さないでくれ!」


 それ以上聞いては居られなかった。私は今度こそ悲鳴を上げ、涙すら流して懇願する。


「わかった……この件からは手を引く……ロベルト殿にもくれぐれも言い聞かせ、全ての援助を打ち切る。許してくれ、彼女だけは……許してくれ……」


「賢明なご決断です! それでは私は退散いたしましょう。心配せずとも、二度と現れませんよ。貴方様が約束をたがえない限りは、ですがね」


 賊が嫌味なまでに弾んだ声で応じると、首元から刃物が外され、拘束も解かれる。私はその場にへたり込み、床にうずくまって嗚咽を漏らす。その背後で、足音が遠ざかり、扉を開けて立ち去る気配がしてなお、私はその場から動けずにいた。


 自分は、もう二度と立ち上がれないのだ。……そう思った。


◇◇◇


「内大臣が手を引いたことで、目障りな行動のことごとくが沈黙を致しました。無論、彼の放ったネズミであるロベルトという騎士の動きも同様です。後ろ盾を失った今、あの男には何をどうすることもできないことでしょう」


 目の前では豚そっくりの男が、並みの人間では手の届かないような上等な料理を平らげている。俺はその傍らで古酒のボトルを捧げ持ち、給仕の真似事がてら彼に仰せつかった任務の完了報告をしているところだった。


「――もしこの役目を亡き父が賜ったら、単にロベルトを殺すに留まったのでしょうが。しかし景色にかかる木の枝が邪魔だからとて、いちいち枝をはらっていてはきりが有りません。こうして樹木をまるごと引き抜くがごとく、黒幕に始末をつければ済む話です」


 しゃちほこばった姿勢のまま、俺はことの次第をヴォジェニ公へ報告し終える。


 老妻に化けた俺が、持てる演技力の限りを尽くして脅しをかけたのが効いたらしい。いささかやりすぎな程に効果があったようで、モルナールはすっかり腑抜けてしまっていた。政務でも精彩を欠き、引退も間近かと囁かれている。


 当然、支援者を失ったロベルトも捜査から撤退せざるを得なくなる。さぞかし口惜しいことだろうが、命を拾ったと思ってあきらめて欲しいところだ。


 命じられた仕事に対して、俺は120点の解答を叩き出したといっていいのだろう。たとえそれが、俺にとってはゲームの主人公に恨まれないための苦し紛れの策だとしても、言わぬが花というものだ。


 ヴォジェニ公は生白い顎を揺らし、豪勢な食事と値段の想像もつかないような古酒を何本も開けるついでに俺の報告を聞き届け、ただ一言だけ、こう返した。


「よくやった」


 それで終わり。金一封もなし。……彼の脳内で、俺の査定はどうなっているのだろうか? そして直後、俺は更なる指令を与えられてしまう。


「お前、女は居るか?」


「――っ、と、申されますと……」


 前世と今世で一貫して俺はモテない。身近な女性で思い浮かぶのは家同士が定めた婚約者ぐらいのものだった。


「近々、王妃が王立歌劇場においでだそうだ。お前には私の名代として王妃様へをして来て欲しい……どうだ、やってくれるか?」


 王妃といえばここ数年、病を得て社交界からも距離を置いていた人物だ。この機会に彼女に取り入ろうということか。


 国王夫妻の仲睦まじさは有名だ。王太子と弱小領主の一人娘の熱烈な恋物語は、彼らが王と王妃となった今でも語り草だった。彼女を抱きこめば王をも間接的に操れることだろう。


 ……しかし、この言い回しからして詳細な段取りはまたしても丸投げされるようだ。ヴォジェニ公のおぼえもよく、仕事ぶりを認められたからといって、それで生きざまが安楽になる訳ではないらしい。


 なんにせよオペラ座に限らず、この手の社交の場はカップルで訪れるのが通例だ。悪目立ちしないためには、女性の同行者を用意する必要がある。


「女となりますと、……その、婚約者なら居りますが」


「ああ! お前にはハーディ家の娘をあてがっていたな。――しかし、お前も面白い発想をするものだ。猟犬に歌舞音曲を聴かせるとは!」


 乾いたお愛想笑いを顔に張り付けながら、俺は没交渉だった婚約者へ送る手紙の文面を組み立て始める。おなじヴォジェニ派閥に属する家の末娘であるから、事情を素直に説明すれば協力はしてくれるだろう。


 記憶の中の彼女は、なにかと率直にものを言うたちとして印象深い。ついこの間までの俺は、彼女のことを敬遠していた。というか、どことなく底知れない雰囲気に気圧されていたのだ。


 それだというのに何故だろうか。彼女のことを思い返すとどこか浮つくような、場違いな感情が湧きおこるのは。




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あとがき


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