第4話 ヒロイン登場

 舞台上では華やかな衣装に身を包んだ男女が歌い交わしている。歌の内容は清廉な誓いにも、俗な恋愛感情にも聴こえるが、俺にはどちらの解釈が正解かはわからない。


 そっと手すりから身を乗り出して、今度は上を見上げてみる。


 ひときわ高く、舞台と正対する位置には、豪勢な造りをした張り出しが存在した。王家の人間など、よほど重要な人物が訪れない限り開放されない特別な観劇席だ。周辺にさりげなく配された護衛の数の多さからして、ただいま『使用中』であるのはまず間違いない。


 ぼちぼち行動に移す頃合いだろう。俺が大枚はたいて王立歌劇場のボックス席を押さえたのは、なにも娯楽やデートを楽しむためではないのだから。


 そう、デートではない。断じて。残念ながら。……デートではないんだよなあ。


 思わず視線を送った隣席には、婚約者であるところのパメラ・ハーディ嬢が背筋を伸ばして腰かけている。彼女はわずかに手すりに身をもたせ掛けながら舞台の行方をじっと見守っていた。整った横顔は微動だにしない。


 涼し気な、という言い回しのよく似合う切れ長の目元がゆっくりと瞬く。そのたびに、シャンデリアの光を映す藍色の瞳に伏せたまつげが影を落としていた。


 彼女が纏うのは暗い色合いのドレスで、装飾性を殆ど排した直線的な仕立てだった。艶のある黒髪は一部の隙もなく結いあげて、ドレスとそろいの色のリボンで留めている。その他にアクセサリーの類は一切着けていない。


 この国の若い女性にしては抑制的で、ストイックな印象は否めない格好だ。けれども、よく似合っていた。


「――少々席を外します」


 彼女へそう伝えると、返事を待たずそそくさと退散する。


 前世の自分と混ざりあったことで、人間として損なわれたとは俺は思わない。しかし趣味や思考への影響はあった。先祖代々お仕えしてきたヴォジェニ公が、今となっては豚のようなオッサンにしか見えないのがその証拠だ。


 しかし、パメラ・ハーディに対しては……。


 去来する思い出の数々――「腕ずもうは私の勝ちです」と、むんと胸を張る幼少期の姿、「クレメント様はお待ちになった方が」と度胸試しの場で樹上から冷静に止めてきた少女時代、「応急処置なら任せてください」と案の定木から落ちてねん挫した俺の足首に添え木を手際よく当てていく俯き顔――に、つい先日までの俺は『屈辱の日々』とラベリングしていたはずだったのだが。


「クレメント様」


 開演中のオペラ座のど真ん中で、あわや間抜けな叫び声をあげるところだった。どうにか息を飲み込んで背後を勢いよく振り返れば、そこにはパメラその人が立っている。


「パ、パメラ……さん。オペラ鑑賞は良いのですか? 今は佳境のシーンでしょうに」


 うっかり敬称を付けてしまった。16歳のある日唐突に始めた他人行儀な呼び方を、またしても改め損ねた。……いや、急に距離を詰めてもキモがられるのが落ちだ。だから、これでいい。今まで通りで、いい。


 俺が表面上の態度を取り繕っていると、パメラ嬢は無表情を保ったまま、かすかに首をかしげてみせ、かたちの良い唇を開く。


「……ですが、クレメント様が離席なさったので」


「俺のことはどうか気にせずに……」


「いいえ、気にします。私の勤めは、ヴォジェニ公あの御方のために尽力なさる、貴方様の助けとなることです。どうか剣の一振りとでも思い、存分にお使いください」


「……まさか、今も帯剣を!?」


 小声のまま、しかし慌てて問い返す。パメラはこくりと頷いて、長いスカートの上から腿の辺りを抑えてみせる。


「無論です。ご命令とあらば、いつでも斬り込めます」


「結構です」


「そうですか……」


 なにか認識の行き違いを感じる。俺は軽く咳ばらいをすると、「パメラさん」と切り出した。


「お誘いした身で別件にかまけてしまうことは心苦しいのですが……どうか、俺のことは気にせず、観劇をお続けください」


「それには及びません」


「あ、はい」


 どうも返答が端的に過ぎる。俺の困惑を感じ取ったのか、パメラは取りなすように補足をする。


「……今日の演目は、あまり趣味ではないので。翻案が過剰ですし、さしたる効果もあがっていません」


 そうだったのか。退屈でたまらなかったのは、俺の貴族的な感性とやらが死に絶えたからではないかもしれない。俺は返事のかわりに彼女へ腕を差し出した。


「そういうことなら、お言葉に甘えます。ご一緒しましょう」


 パメラは一瞬だけぱちくりとまばたきをしてから、俺の腕に手を添えた。


(王の好みはタヌキ系か)


 オペラ座の貴賓席にて不躾な推量をしながら、俺は王妃の振る舞いを眺めている。


 マルケータ王妃は、四十がらみの歳アラフォーを迎えてなお、『可愛らしい』という形容の似合う女性だった。ふんわりとした巻き毛の金髪を肩で切りそろえ、目元には感じの良い笑い皺がうっすらと刻まれている。ころころと笑う様は快活で、人間的な信頼感がある。


 パメラが鍛えた刃物のような端正さを備えることとは対照的だ。


(……それはまあいいとして)


 あらぬ方向へ逸れた思考を引き戻しながら、その場の経緯を見守る。


 幕間のうちに先んじて手は打ってあった。といっても支配人の『顔』に変じて貴賓用のボックス席の近くまで足音を殺して近づき、警護担当にメモを握らせただけだが。


「ご用命いただいた件は、既に手筈を整えております」


 内容は通り一遍の挨拶状だ。が、ほのめかし程度に恋文のようなニュアンスを滲ませてある。差出人はオペラの主役歌手のものだ。


 偽造した訳ではない。彼もヴォジェニ一派の一員だ。これをきっかけに王妃が若いイケメンにのぼせあがってくれるのが、もっとも望ましい展開だ。こちらの息がかかった男を愛人にしてくれたなら、俺の仕事も非常に楽に済む。


 ところが現実は俺の描いた絵図のようにはいかなかった。主演俳優が特別室まで挨拶にやって来たとき、マルケータ王妃は確かに大はしゃぎしていた。……ただし、自らの陰に隠れている侍女をぐいぐいと俳優の方へ押しながら、だ。


「ずっとファンだったんでしょう? 一世一代の機会じゃないの、きちんと気持ちをお伝えなさいな」


「は、はい! ――うぅっ、ぐすっ、エマヌエーレ様……わた、わたし、デビューした頃からずっとあなたの事だけを見ていて……!」


 王妃様はイケメンにのぼせあがるどころか、若い娘がのぼせあがってるのを応援する側に回ってしまっている。主演俳優であるエマヌエーレと同様、俺――彼の古くからの友人、という設定でその場に同席している――もこの状況には困惑しきりだった。


 俺たちとしては、王妃様。あなたにこそ顔の良い奴に対して感情をめちゃくちゃにしていただきたいんですがねえ。駄目ですか。駄目かあ。


 芸名エマヌエーレ(本名ホンザ)はそれでも、汗と涙で顔中がビショビショの若い侍女を前に如才なくファンサービスしていた。見上げた役者根性だ。王妃様はといえば、その光景を太陽のごとき暖かい笑顔で見つめていらっしゃった。


 状況に見切りをつけた俺は退散する機を伺い始める。助けを求めて流し目を送っているイケメン俳優のことはこの際無視だ。さらばホンザ。


 じりじりと後ずさる視界の端で、俺の後にくっついてきたパメラが王妃様と熱心に作品談義を行っているのが見えた。


「――新進的な解釈か、というと疑問でした」


「そうねえ……もともと大時代的な作品が得意だったのに、ちょっと無理していたのかも」


「恋をしたきっかけも不自然です」


「そう! ちょっと安易というか、お人形さんみたいだったわよねえ!」


「『そういうもの』として逃げずに、作品の中にきちんと道筋を作って欲しかったです」


「そうね! そうなのよ~! パメラさん。貴方、良いわ」


 パメラの淡々とした作品評に、王妃は非常に熱心に頷いていた。臣民へ理解を示している、というには熱が入りすぎだ。ありゃマジで同意してる顔だな。演劇ファン同士の感想戦といった趣きがある。


「パメラさん」


 きりのいい所まで待ってから声をかける。その途端、彼女はぴんと背筋を伸ばすと王妃へ一礼してから小走りで駆け寄ってきた。


 淑女レディとしてはいささか礼を失した振る舞いに肝が冷える。……しかし、王妃は相変わらず慈母そのもの、といった様子で手を振っていた。寛大な人柄なのは疑うべくもない。俺たちは改めて暇乞いをして撤退した。


 その後も俺の手だては空振りを続ける。


 高額な金品やアクセサリーを貢ぐのも失敗。今をときめくデザイナーとの仲立ちをするのも失敗。彼女をこれでもかとよいしょする女を送り込むのも失敗。王妃はそのどれもに穏やかに対応し、やんわりと遠ざけてしまわれた。


 王妃マルケータは、この間カタに嵌めた内大臣を更に上回る真人間であった。そのうえ彼女の産んだ王子たちは各々が順調に成功の道を歩んでいて、兄弟仲も良好と、後継者問題にも不安はない。


 恋も愛も名誉も手に入れて人生のを迎えた奴を、どうやって篭絡しろってんだ?


「俺は死にたくないだけなのに!」


 俺は防音対策をほどこした執務室で奇声を発する。上から『やれ』と言われたら、粛々と実現に向けて行動を起こすのみ。ファンタジー世界の悪役に福利厚生は存在しない。


 マルケータ王妃は文字通り全てを手に入れた例外項。統計の外れ値。人生SSRで女の決定版だ。隙があるとしたら、『ここ数年、病気を理由に社交界から遠ざかっていた』という事実の中に隠されていることだろう。身辺調査をやり直し、より彼女に刺さるプランを作り直す。


「地道にやっていくしかないか」


 どうやら、そういうことのようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る