第5話 王妃様懐柔される

 窓辺に立ったまま、私は「王妃様」とこちらを呼ぶ侍従の声を、ほんの少しの間だけ聴こえないふりをしている。

 窓は中庭に面していて、見事な薔薇の生垣を見下ろすことができた。


(こんなに肥料を食い、人手をかけて育てるものが、ただ美しいだけに過ぎないだなんて)


 薔薇は好きではない。私の人生の理不尽を、象徴するような花だから。


 ――私の故郷、シェスタークは王国の中でも有数の穀倉地帯だ。


 私の父は領主というよりは農夫たちの総元締めだとか、親代わりと言った方がよほど適切な人物だった。民らが額に汗して働くから、我ら貴族は食べて行かれるのだというのが口癖だった。


 父の後を継ぐのは私しか居ない。私は父上のたった一人の子供なのだから。娘時代の私はそのことを信じて疑わず、領地経営から農業の知識に至るまで、父の仕事に関わるあらゆる知識を得ようと懸命だった。


 だって、そうでしょう? 有能な人物がこんな力なき領地を手に入れようとは思わない。だから、経営の差配は私が執る。夫となる人物の能力は決して問うまい……できるだけ優しく、人好きする性格ならば嬉しいけれど、望むことはそのくらい。


 あの頃の私は、シェスタークで生きて死ぬのだと思っていた。そこに、レオシュが……王太子が現れたのだ。


「――王妃陛下、お時間が迫っております」


「そうね。ごめんなさい、今行くわ」


 夢想から目を覚まし、侍従へ振り返る。私は再び戦場に舞い戻る。あの庭園は、私の宣戦布告なのだ。


 私、マルケータの名を冠した離宮がとうとう完成した。壁材に使っているのは特定の地方でしか採れない特殊な砂岩だ。手入れも楽で、滅多なことでは傷まない。淡い薔薇色なことも気に入っている……私が苦手なのは、あくまで肥料食いの園芸植物やそれを殊更有難がる古参貴族たちであって、好きな色とは別の話だ。


 邸内には広々としたホールや図書館に数多の客室が揃っている。厨房の設備も最新鋭だ。これまでの辛抱しどおしの暮らしをたてに、レオシュ王に思い切りねだった甲斐があったと思う。彼も、今度こそ私の後押しをしてくれた。


『貴方の見識は、広く国の為に使われるべきだ。どうか、一番近くで私を支えて欲しい』


 こんな言葉とともに彼からプロポーズをされたのは私が18歳のころ。約束が果たされるまで、25年も経ってしまった。


 レオシュと私の間には、確かに愛と……そしてお互いの知性への尊敬がある。私はそう信じているし、彼がその信頼を裏切ったことは一度たりともない。だけど、世間というものは理想に燃える若者の期待通りには運ばないものだ。それが、王とその連れ合いであったとしても。


 つまるところ、私は宮廷内の政治闘争に負けたのだ。ただ王の愛ひとつを抱えて戦うには、伏魔殿は手ごわい場所だった。


 だから私は、しばしの間半隠居せざるを得なかったし、レオシュ王も私の進退を己の一存で決めるような愚王ではないから……ことを傍観せざるを得なかった。


 離宮『マルケータ』のお披露目会はつつがなく進行している。挨拶に訪れる人波が落ち着いた折に、私はそっと喧騒から抜け出した。自分の仕事の成果を、この目で直に見たくなったからだ。


 この国では二つとない、特別な庭を、供を連れて歩く。私が吟味して集めた植物たち。その場に立ち止まって深呼吸をすると、さわやかな香気が胸を満たした。


 ――ふと気づくと、行く手の木陰に人影が見えた。私がそのことに気づいたのと同時に、護衛を兼ねた女官が間に割り込んで誰何する。


「失礼しました。あまりに見事な庭だったもので、散策させていただいておりました」


「あら……」


 歩み出たのは若い男の子だった。上の息子と同じくらいかしら、成人して間もない年頃に見える。


「クレメント・ボロフカと申します。オペラ座で拝謁して以来のお目通りとなります」


「覚えていますとも。あの時はありがとう。あの娘ったら、今でもサインを大事に飾っているのよ!」


 侍女のご贔屓がオペラ座で主演を張るというので、連れ出してあげたことがあった。彼はその時に、わざわざ侍女と彼とを引き合わせてくれた親切な青年だ。服装こそ見違えていたけれど、思慮深い顔つきと知的な佇まいは変わらない。


「私事ですが、俺は人生を双六すごろくのようなものだと思っていまして」


「そ、そう」


 いきなり何を言うのだろう、この子は。


「課題や困難を乗り越え、一歩ずつ駒を進めていって、いつしか幸せな『あがり』を迎える。そのように生きれたらと思って、真摯に務めを果たす日々を送っております」


「大変なのねえ……」


「ですが、王妃様。貴方様がなさっているのは、双六ではない御様子」


 クレメント男爵の目がすっと細められる。纏う雰囲気が、急に冷たさを帯びる。


「一歩一歩昇りつめ、高い所に至って初めて報われると感じる、そんな遊戯でしょうか。――そして長らく踊り場に留まって、ようやくゲームを再開なされた」


「どうして、そう思うのかしら?」


 ……けれど私は、その賢しらさすれすれの怜悧さを好ましく思う。を除けば、長らく行って来なかった火花の散るような意見交換を、いくばくは思い出させてくれるから。


「知れたこと! この庭園を一目見れば察するに余りある――マルケータ陛下、貴方様はここで、ゲームのリスタートを切るのですね」


◇◇◇


 話は少し遡る。


「このようなものを頂いたのですが」


 そう言ってパメラが差し出したのは一通の封筒だ。封蝋に捺された印章の図柄は『麦をあしらった円環』、つまりはこの書状が王妃ゆかりのものであることを示している。


 つい先ごろ落成した離宮には、マルケータの名前が付けられている。招待状に記されているのは、その完成記念パーティーだ。


「……一緒に、来てくださいますか」


「もちろんです!」


 パメラの問いかけに、俺は勢い込んで即答した。


 王族肝いりの別邸である。内々のお披露目はもう済んでいて、この催しに関してはもう少し砕けたものらしい。現代日本でいう『ちょっとしたパーティー』という奴だ。おかげで、裏から手をまわして招待状を手に入れることも簡単だった。


 パメラ宛ての招待状も手配したのは、オペラ座で接触した際に、王妃からの好感度が高かったからだ。パメラの飾り気のない態度と物言いが、マルケータ王妃にとって小気味よく映ったのかもしれない。


 俺は計画の段取りを反芻しながら視線を上げる。差し向かいの席で大人しく茶を飲んでいたパメラの視線が、窓際へ向けられていた。


「夜烏草ですか?」


 出窓で日光をたっぷりと浴びている鉢植えを見てパメラが呟く。視力の良いことだ。


「夜色でベルの形をしているから、そうですよね。……実を、スープの具だったり、粉にしてパンケーキに混ぜたりして食べていたような」


「俺は団子にして茹でたのが好きですね。……それにしてもよくご存じで」


「父や兄が北方で仕事をしていたことがありまして」


「なるほど。――確かに、普通ならこんな風にリボンをかけた鉢に植えたりはしないものでしょうね」


 俺の言動をはかりかねたのか、パメラが首をかしげている。そんな彼女の様子に、俺は思わず表情を緩めかけ……慌てて顔を引き締める。


 彼女の言う通り、これは華やかさの欠片もない、単なる豆の花だ。贈り物の体裁をとるため多少珍しい花色のものを選んでいるが、それ以外は畑に植わっているものと変わらない。


 と、いうよりも、そうでなければ困るのだ。


「パメラさん。この後のご予定は?」


「いいえ、特にはなにも」


「そうですか。では買い物に出かけませんか」


「は、はい」


 自慢じゃないが、我がボロフカ家は貧乏貴族だ。領地運営の費用と差し引けば辛うじて黒字経営になっている、といった財布事情である。パメラの生家、ハーディー家も大差ない内情と聞き及んでいる。


「――俺たちには有り余る余暇と予算でめかし込む余裕はありません! 仕立て屋が客で埋まる前に、先んじて行動に移らねば」


「確かにそうですね」


「幸い、ドレスメーカーなら最近仕事に穴をあけた所を知っています。あそこのデザインブックならすぐ手に入る」


 王妃におもねり損ねたデザイナーの顔を思い浮かべながら、俺は外套を羽織ってパメラへ手を差し出した。


 緑色によく映えるデザインが良いだろう。王妃の御前に立つ際の理想的なロケーションは、緑あふれる庭園のど真ん中なのだから。


 そして話は現在に至る。


「――どうして、そう思うのかしら?」


「知れたこと! この庭園を一目見れば察するに余りある――マルケータ陛下、貴方様はここで、ゲームのリスタートを切るのですね」


 目論み通り、俺は人けのない庭園で王妃陛下と相対していた。マルケータ王妃の瞳には力が宿り、相手の力量を推しはかる態度がありありと表れている。


(やはり、地元の評判通りの人物像だな)


 いざ辺境領に人をやって調査をしたら、意外な事実が明らかになった。現地では王の評判があまりよろしくないのだ。


 その一方で聞こえる若かりし日のマルケータの評判は、まさに麒麟児と呼ぶべきものだった。


 辺境伯の跡取り娘としての自負に違わぬ、たいへん優秀な女性だったそうだ。当時の辺境伯に不足があった訳ではないが、彼女が後を継いだらシェスタークは変わる。そんな期待を一身に背負っていたらしい。


 そんな折りに、当時の王太子が彼女をかっさらった。領民は喜び半分落胆半分だったそうだ。それだけに、結果的に彼女が王宮で飼い殺されたことには遺恨が存在していた。


 そんな彼らが話す、かつての辺境令嬢マルケータの専門域と、同時進行で上がってきた離宮のために買い付けられた書物と植物の目録を見れば、答えは明白だった。


「構造からして、この離宮は研究機関としてお使いになるのでしょう。何よりも、この庭園に植わっている植物は、全てが食用できます。あの並木は秋にどっさり林檎をつけ、こちらの花壇に植わっているのは夏野菜の花々です。そしてあの生垣は、確か葉を煎じて茶にできる」


「――それだけじゃないわ。新芽なら火を通せば食べられるし、栄養価もとても高い」


「素晴らしい庭です! さながら救荒作物の見本市のようでいながら、国の範たる美しさも兼ね備えているのですから。ここはこれから、王国の食糧政策の最前線となるのですね?」


 俺は振り返り、待機していたパメラへ合図を送る。はっとするような夜明け色のデイ・ドレスを纏って進み出た彼女が抱えているのは、薔薇色のリボンをかけた夜烏草の鉢植えだ。


「夜烏草、別名をヤウ豆といいます。北方原産で、どんな荒れた土地にも根を張って実りをもたらします――どうぞ、庭園の新たな顔ぶれとしてお納めください」




『任務完了。→非常に覚えめでたき。俺個人への助力を惜しまぬ旨、書状で得る』


 俺は新たな紙片を、『マルケータ王妃』と綴られた直下に押しピンで貼り付けた。


 数歩離れて、出来栄えを眺める。隠し部屋の白塗りの壁には、似顔絵やメモ書きがくまなく貼りつけられ、それらの間を何色もの紐が縦横に張り巡らされていた。


 ――ヴォジェニ公爵、騎士ロベルト、モルナール内大臣、マルケータ王妃、パメラ……善も悪もがごた混ぜに並列化された一覧。前世の記憶を取り戻し、『ここはゲームの世界である』と確信した直後に作った手製の相関図だ。


「一度やってみたかったんだよな」


 ドラマや漫画で目にしたものの真似事だが、いざ実践してみるとなかなか役に立ってくれていた。


 パソコンやスマホのない今、この壁面相関図が俺の思索をまとめる要だ。新たな情報が手に入り次第、まめにメンテナンスしている。しかし更新頻度には場所によってばらつきがある。実のところ密度が増しているのは相関図の中でも片隅に位置するものばかりだ。


 俺の立場が悪役貴族の更に手下という、端役も端役にあたる立ち位置だからだろう。そのため俺がキャッチできる情報も物語の中心部から遠く離れたものに限られてしまう。


 ――相関図の中心へ視線を移す。『アラン(主人公)』とラベリングされた一角は、作成したきり手つかずだ。


 王妃の懐に入り込んだことが評価されてか、ここしばらくの間、ヴォジェニ公の無茶ぶりは鳴りを潜めている。自由に動ける今のうちに、アラン少年主人公の動向を探るのも悪くないか。


「潜入のあてもできたことだしな」

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