第36話 臆病者は何度も死ぬ思いをする。しかし、

 道行きにさほどの苦労はなかった。ある意味では予想通りに。……そして時には予想を超えて。


「――ッ!」


 襲い来る腐肉の蔦を『キサラ』で斬り払う。どす黒い血をまき散らし、蔦は分かたれた。逃れるようにのたうつ先端に剣を突き立てた。体液を抜き取られた肉片が塵と化す。根本側は壁の隙間へと姿を消した。


 思った通り、血の通う存在ものならば、私の『キサラ』の敵ではない。


 そして、予想を超えた助力もあった。分かれ道に差し掛かる度に、待ち構えているのだ。


 【↑(rest) ⇒〇】


 指示によれば右は目的地へ通じ、直進すれば休息できるらしい。私は右折する。


 そのメッセージは、あでやかな壁紙に不似合いな黒々とした筆致で記されていた。明らかに知性ある者の手によるものだ。あの布梯子ぬのばしごの件にしてもそうだ。登った先はキッチンで、床に散らばる食料には何者かが手を付けた痕跡があった。床板には館のものらしき間取り図が記されて、奥の間に星型の印がつけられている。


 邸内の壁のそこここにも、間取り図と同じ筆致で順路が記されていた。迷わず、奥の間へ誘導するかのように。


 罠かもしれない。でも、構うことはなかった。どのみち、私はすべてを蹴散らすつもりで赴いているのだ。企みは真正面から打ち砕くまでだ。


 微かなきしみ音がし、私は歩みを止めた。


 直後、数多の触腕が糸玉のように縺れながら四方より殺到する。私の剣筋はここしかないという軌道を描いて三つを両断し、残りを弾き飛ばした。生き残りが軌道修正するのに先んじて、私の『キサラ』はそれらを根元から斬り飛ばし、動かなくなるまで細切れにする。


 飛び散る体液を外套で受け止めて、床のひび割れから巨大な眼球が姿を見せると同時に瞳を刺し貫いた。黄ばんだ漿液が湧きでて私の愛剣を潤す。活力が身体を充たす。


 私はいま、巨大な怪物に飲まれた蟻も同然だ。けれどもこの蟻は疲れを知らず、どこまでも怪物の内側を食い破る。


 そしてどうやら、蟻はひとりぼっちでないらしい。


 もし、私の直感が当たっているのなら、これはきっと。印に導かれ、私は駆ける。まるで誰かが並走してくれているかのような気持ち。


 一人じゃないと思える。


 期待が、希望が、私の身体をより軽くする。幻だって構わなかった。落胆するのは、すべてが終わる時でいい。


 順路に従って進むごとに襲撃は激化し、しかし私は最奥の一室へ辿り着く。半壊した扉のノブに手をかけようとした刹那、私の右手は何者かに掴まれる。


「パメラ……さん」


◇◇◇


(しまった。風呂に入っていない)


 混乱した脳裏に浮かぶのは場違いな気まずさだ。


 俺は彼女の右腕を掴んだまま、数秒間硬直していた。我に返り、怪物と化したヴォジェニの眼球に捕捉される前に扉の横に仕込んでいた『暗幕の結界シャドウベール』の範囲内へと退避する。


 パメラは俺に手を引かれるままに付いてきてくれた。終始無言なのが気がかりだったが。ちらりと表情をうかがう。真顔だ。怒っているのだろうか。思い当たる節ならいくらでもある。


 次の瞬間、みぞおちに衝撃が走る。腐肉と垢で麻痺した鼻に、自分のものとは異なる肌の香りが届いた。――遅れて、パメラに抱き付かれたことを認識する。


 それにしても腕力が強くないか? 俺はこれでもれっきとした男で……あ、『緋踏のキサラ』のバフが乗っているのか。


 お互いの着衣のゴワゴワした感触が伝わる。化け物の得体のしれない汁が染みついているせいだろう。幾重にも重なった布地越しに、彼女がこちらの背や肩をまさぐって来るのが伝わってきた。まるでこちらの輪郭を確かめるように。


 顔を上げた彼女は、幽霊に出会ったかのような顔をしていた。俺だってそうだ。状況に付いていけない。何故、ここに、彼女が。


「こんな所まで……どうして……」


 浮ついた思考のままに、俺は愚にもつかないことを問いかける。


「あなたのせいです」


「へ?」


「そうですよ、あなたのせいですクレメント様。あなたが私に教えたんです」


 何をだ?? 


 こちらの肩口にぐりぐりと額をこすり付けながらパメラは言う。


「この脚で思い定めた場所へ行けるって。つまらなくない生き方をしてもいいって。あなたが……私に扉の外を教えてくれたんです」


「へ、あ、それは何よりです……。あの、手紙には聖剣はアランに渡すようにって俺、書いてましたよね?」


「はい」


 ですよね。万一のミスの可能性もこれでなくなった。俺としてはこんな化け物の懐深くに彼女を突っ込ませるつもりなんて一切なかった。


「アラン青年は、ここには来ないそうです」


「――あの野郎~!」


 勇者じゃなかったのかよ! と憤ってみせてから、俺ははたと気づいた。今ここに生きる彼は、そういえば英雄的な働きには縁のない……ただ、目の前の理不尽を放っておけない善良な一青年に過ぎないのだと。


 信頼を裏切りやがって、という気持ちもしぼむ。そりゃ無理だわ。


「いいじゃないですか。私が居るんですから」


「え、ええ~……」


「それとも、信頼できませんか?」


「……まさか。あなたの真心を疑うものですか」


 思い知るべきことはもう一つあった。この人が俺の思う通りになったことなんて、ただの一度もなかったのだから。


 パメラ・ハーディ。俺の愛しき、不確定要素の塊。


「まったく、結婚前の娘がみだりに抱きつくものじゃないですよ。俺とあなたはもう何の関係もないのに」


「知りません。私がしたいからそうしてるんです」


「そうですか」


 この件は素直に嬉しい。フラれたとばかり思っていたんだが。


「――今後についてよくよく話し合う必要があるようですね、俺たちは」


「言っておきますが、私にも言い分がありますからね」


「ええ、まったくです。――では、先に目の前の厄介ごとを片付けましょうか」


 パメラの肩に両手を置いて、そっと身体を引く。


「クレメント様。策はございますか?」


 俺は首を横に振る。


「こっちはアランをあてにしてたんですよ! プランは白紙です」


「では、私が何とかいたしましょう」


「……作戦は?」


「正面から蹴散らします」


 俺は肩を揺らして笑う。


「いいですね。サポートは惜しみません。俺にできることなら、なんだって」




 広間は数日前より一回り縮んで見える。全体をヴォジェニの肉体が浸食したためだ。壁や天井を押し包み肥大した組織は、ひだの生じた様子も相まって、巨大な脳を思わせる。その中央、かつて椅子だった突端の真上に、巨大な肉の繭が在った。


 侵入者を察知し、繭がかすかに身じろぎする。


 直後、パメラが床板を蹴った。宙に身を躍らせ、再び地を蹴る。それを合図に広間は死闘の場と化した。


 迎え撃つのは宇宙を食らった怪物だ。壁面全体に稲妻が走る。彼女が細く息を吐いた音を聞いた気がした。


 ひらめく雷が次々に床板を砕いた。空間を充たす腐臭に焦げ臭さが混じりあう。乱射される稲妻を掻い潜り彼女は疾駆する。けれど一筋の雷が彼女の左肩を掠めた。


 俺は危うく声を挙げそうになり、ぐっと堪える。


 吊り下がる繭の全体にバリバリと黒い電流が走る。


 明らかに禄でもない事態への予備動作。直後、黒い稲妻が迫る。彼女は懐の古びた短剣を抜いた。灰銀の刃が投げ放たれる。刃は邪悪な稲妻を切り裂き、ヴォジェニと天井の接続部に突き刺さった。悲鳴と共に絡まり合う腐肉の幹がはじける。


 ずるり、と醜悪な出産のようにかつてのヴォジェニを思わせる姿が床に落ちる。彼女は抜剣した。ヴォジェニは剣の間合いにある。


 白刃がひらめく。怪物の胴に刃が食い込む。袈裟斬りにされた怪物が吠えた。


「ハァァァァディィィィィィィィィ!! こォの、犬如きがぁぁぁ!」


 物理的な接続が途絶えたためだろう、船底のように揺れていた館がかしいだまま停止する。恐らく、館を抱えて移動していた怪物は戦場の只中で停止する。


 代わりのように周囲の肉組織がヴォジェニのもとへとズルズルと集結を始めていた。衣をまとうかのように腐肉が絡み合い、3mほどの身の丈の不吉なフォルムの人型を形作る。


「――俺、いつも疑問だったんだ。ゲームもアニメも、なんでフォームチェンジ中に悠長に待ってやっているんだろうって」


 俺は散歩程度の歩様でヴォジェニへと接近した。防衛機構なのだろう、俺の肩を収束した雷――平たく言えばビーム光線か――が貫く。俺は無様に足どりを乱して膝をつく。パメラが何かを叫ぶ。俺は背後に手を回して彼女へ振ってみせる。、という意思を込めて。


「クレメント、貴様の差し金か!」


 ごぼごぼと水の中のように不明瞭な発音で、ヴォジェニが詰問する。案の定、奴は俺の姿を視認するなり、喋りかけずにはいられないようだった。


「だったら何なんです?」


 邪神の影響を受けた者は殺意と執着から逃れられない。前世の記憶に残る『俺』の挙動もまた、勇者アランへの憎しみで彩られていた(と、いう建付けで主人公へ優先的に襲い掛かるルーチンが組まれていた)。


 今のヴォジェニの優先度は、俺だ。面従腹背のあげくにすべてを失う原因となった部下であるのだから。そして、俺自身が彼の信ずる世界観ので動くことを見抜いてもいたからだ。


 そこに付け入る隙がある。


 狂乱するヴォジェニに痛めつけられる最中であったが、俺のやるべきことはごくシンプルなものだ。幸いにしてパメラが致命打に繋がる攻撃は捌いてくれていた。


 それに、必要な動作は単純なものだ。俺に戦闘の心得がなくたって、殺されかけていたって、この程度のアクションなら容易い。何よりも我が身に染みついたものでもあることだし。


 俺はぼろ雑巾のような右腕をゆっくりと掲げた。ヴォジェニへ掌を向け、ごく短い詠唱と共に手首を支点にくるりと円を描く。


「――――かげを欺け、『面影おもかげもどき』」


 次の瞬間、奴の顔には得体のしれない図像が貼り付いていた。


 この世の辛苦を煮詰めた表情、踏みつぶされる人々の身もだえするような嘆きの様……ズビシェク・ヴォジェニという男の行状のカリカチュア、いわば彼の仕事の総決算がそこには映し出されている。


『面影擬き』はボロフカの血脈に刻まれた力だ。効果範囲内の空間の光を歪め、幻像を浮かび上がらせる、完璧な変装を実現する魔法。


 有効範囲は狭く、せいぜいが人の顔を覆う程度。その代わり精度はきわめて高く、顔の周囲に展開させれば、それと知らずに幻影であることを見破れる者はまず居なかった。


 ――と、。恐らくは開発者である初代ボロフカの時代より、歴代の当主はある要件を隠し通している。


 ひとつは、幻像を生成可能な範囲は視認できる空間全てであるということ。


 そしてもう一つは、幻像が光を素通しするかどうかの設定は裏表で別個に設定できるということ。


 嘘というほどのものではない。ただ、敢えて説明しなかっただけだ。歴代の先祖達が何を思ってこの応用法を隠し通したのかは俺の知るところではない。叛意があったのか、あるいは知られた所で余計な役目が増えるだけだと見定めていたのか。


 結果、当代の――そして最後のヴォジェニ公爵は視界を完璧に封じられている。虚を突かれ、その場に硬直していた。


 そして、その隙を見逃すパメラではなかった。彼女の『キサラ』が閃く。


 魔人は棒立ちとなったまま、胸の中心にぱっと鮮血を散らす。心臓を貫かれて尚、奇怪なマスクのような幻像を被ったままだった。


 しかし一呼吸の後、巨体からは急速に血の気が失われて行く。後はゆっくりと斃れてていくばかりだった。

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