第6話 ゲームの主人公、不登校になる
見上げた空は高く、
「あー……かったるいな」
こんなに気持ちのいい天気の下でも、僕の気持ちは晴れないままだ。
ほんの少し前までは、自分は無敵だと思っていた。立ち止まってうじうじ悩んだりしなかった。思慮深い人たちを見ても『まず動けばいい』と感じたし、実践していた。
なのに今は、人の目が怖くて仕方がない。僕の居場所はどこにもない。
だって、世界は僕の想像と違う形をしていた。あの日、父さんの目を見て、思い知ってしまったのだ。
◇◇◇
バチーク伯爵家は悪役貴族一派のなかでも
「――お前かよ、クレメント」
そんなバチーク本邸の豪奢な寝室で、跡取り息子のルジェク・バチークと俺は対面していた。
彼は額や唇に打撲痕を青々と残し、巨大な寝台に寝かされている。全身をコルセットやクッションで慎重に固定され、そうでもしなければ首が落ちるかのような様相である。
その口元がわなわなと震えているのは、死にかけているからではないだろう。落馬によるむちうち症は、命に関わる怪我とまではいえない。
「俺を笑いに来たのか!!」
単に、心底気に食わない人間がのこのこやって来た怒りのためらしい。バチーク家の長男ルジェクは、寝床になかば縛り付けられたまま忌々しげに吠えていた。
「命に別状なくて良かったじゃないか。ほれ、見舞いだ」
「アッハッハッハッハなんだそれは! 小さくていびつじゃないか。最近の果物屋は爵位で売り物を変えるのか?」
俺がバスケットから林檎をひとつ取り上げてみせると、途端にルジェクは嘲りの笑いを発した。
「あー……。これは王妃様の離宮で開発された新品種で」
「――そうやって嫌味ったらしい口をきけるのも今のうちだ! まやかしがいつまでも続くはずがないのだからな!」
そして今度は食い気味に叫ばれる。王妃様が折々に贈って来る作物のおすそ分けはお気に召さなかったらしい。
「……それはそうと大丈夫なのか? 王立学院の模擬試合は来週だろう。それまでには治る怪我なのか」
右耳を押さえたまま俺が問いかけると、あれほどやかましかったルジェクが一気に押し黙った。
王立学院といえば王国の最高学府である。貴族や平民を問わず、才能ある若者を募る。……と、いう建前を掲げている。家格も才もぱっとしない俺には縁のない場所だった。なにしろ美しくも高く組まれた石塀の向こう側に迎え入れられるのは、序列の高い貴族の子女か、さもなくば特別編入を許された才能ある平民の子供のどちらかなのだから。
重要なのは、現時点でのゲームの主人公アランが学院の特別生として籍を置いているということだ。
ひるがえってルジェク・バチークである。彼は前者である高位貴族の典型例として学内でブイブイ言わせた花形OBだ。そしてこの度、模擬試合という交流行事に招待選手として参加する手筈だった。
「一つ貸しだぞ」
「なんだと?」
「代役を買って出てやると言ってるんだ」
そんな彼が、遊興中のうっかりで負傷したのだ。王立学院でのアランの様子を一度観ておきたかった俺としては渡りに船の展開だった。俺の提案をうけ、ルジェクは不審げな視線をよこす。
「お前が? 俺の? 代役だって? 馬鹿を言え。木剣とはいえ、お互いに矜持が掛かった本気の打ちあいをするんだぞ!」
「屈強な奴を別に用意しておいて、鎧を着こむ段にすり替わればいい」
「あっ」
「――とにかく、そういうことだ。顔を繋ぐ程度なら手伝ってやれるから、お前は療養に専念するといい」
そうして一週間後、俺は金髪碧眼の美丈夫ルジェク・バチークの『顔』を装って悠々と王立学院の敷地へ足を踏み入れた。
野外競技場に設えた陣幕の下で花形OBに扮してふんぞり返り、威圧感を失さない態度で周囲を見渡す。芝生の丘がゆるやかに連なり、校庭というよりはのどかな丘陵地といった趣きがある。競技場を囲む並木の向こうから、レンガ造りの鐘楼がにょっきりと顔を覗かせていた。
(とりあえず、ルジェクがこの場に居るというアリバイは作れたな)
模擬試合の開始までまだ時間があった。俺は適当な離席の言い訳と共に椅子から立ち上がる。金刺繡をびっしり施したジャケットを物陰で脱ぎ捨てると、あとの格好は上下ともに地味なものだ。これだけでも外見の印象はずいぶんと変わる。
その上『顔』も切り替われば、今の自分とルジェクを結び付ける者は居ないだろう。俺は適当な『顔』に変じると学園内の敷地を散策し始めた。
ひとまずはこのゲームの主人公、アランの居場所を探すことにする。
「アラン? えーと……それって誰?」
「あいつか。そういえば最近顔を見てないな」「退学したんだろ。え、違うの?」
「……お兄さん、見たところ卒業生みたいだけど、彼をスカウトするのはやめといた方がいいよ」
「――アランの居所だと!? ワシが教えてほしいくらいじゃ!!」
道々で行方を問うても、返ってくるのは歯切れの悪い言葉ばかり。いい加減不安に駆られながら通りすがりの筋骨隆々の老人に彼の居場所を聞いてみればこれだ。
「わ、わかりました。それでは失礼し――」
「今回の試合では従騎士役を務めるというに……もしあいつを見つけたらこう伝えてくれ! ……『本番寸前まで待つ』とな!!」
老人へ慌てて一礼し、俺は小走りでその場から退散する。
どうにも、よくない風向きだった。
王立学院に15歳で編入したアランは学院内でみるみる頭角を表すことになっている。にもかかわらず、今、ここで生きる16歳の彼は、すっかり存在感をなくしていた。授業に身が入らず成績は急落、剣技の訓練にも顔を出さなくなって久しいという。典型的なドロップアウト学生だ。
アランが平民出身の特別生であることが、彼の立場を更に厳しいものにしている。親のすねをかじる貴族や大商人のボンボン息子ならいざ知らず、彼は将来性を買われ、国費を投じて教育を受ける身だ。そんな彼が自己研鑽を怠る姿は、周囲からすれば非常に心象の悪いもののようだった。
だとすれば人目につく場所をほっつき歩いている可能性は低い。サボり常習犯が行きそうな、いかにも他人の目の届かなさそうな場所へと足を運ぶことにした。塀を乗り越えて盛り場にでも脱走していたらお手上げだが、それならそれで機会を改めればいい話だ。
そうして半時間も経つ頃には、俺は敷地の中でも最も奥まった一角に差し掛かっていた。行く手にはガラス張りの温室がある。
(そういえば、アランの初期スキルに『初級調合術』があったな)
と、すれば薬草にある程度の馴染みがあっておかしくない。そして、おそらくは武官志望者やその指導員といったバリバリの体育会系の視界にこの手の施設はまず入らない。……かもしれない。後半は俺の偏見だ。
駄目でもともとだ。忍び込めないかどうか確かめるくらいはするべきだろう。
◇◇◇
学院の卒業生と行う模擬試合。それは、騎士団への加入を目指す生徒にとって、夢への大事な足がかり。そんなことは僕だってわかっているし、先輩の足を引っぱりたいわけではない。
ただ、どうしても思ってしまうのだ。『頑張って、頑張って、その先に何が待っているんだ?』と。
父さんは立派な騎士だ。地位は高くないかもしれない。でも、周囲の多くの人から慕われ、信頼されていた。だからいつだって仕事が忙しく、僕の小さいころから、ほとんど家に寄り付かない人でもあった。
それが、ある時を境に夕飯前には帰って来るようになった。家族で食卓を囲めることを母さんは歓迎していた。だけど……。
深酒をする父さんの丸まった背中を眺める時、僕はいつも複雑な気持ちになる。父さんの目元に刻まれた皺と、酒を注ぐ震えた手つきを見ていると、僕の舌にも苦いものが広がってくるようだった。
僕は同級生たちの顔を思い出す。一人ずつ、丁寧に。貴族の子、平民の子。平民の中でも、多額の献金ができる大商人の息子も居れば、僕のような貧乏人の子も居る。
最初から、僕と皆は違った。地位も、お金も、僕を守るものは、何もない。
父さんは、何か大きな権力と戦って……そして、戦場すら奪われた。このくらいは僕にだって察せられた。殺されたりしなかったのは、その必要がなかったんだろう……ただの平民ごときに、何ができるのかと突きつけられたかのようだった。
すっかり腑抜けてしまった父さんを見ているうち、僕は……真っすぐ立つことができなくなった。こんな体調では剣術の訓練どころじゃないから、休まざるを得なかった。めまいは次の日には収まっていたけれど、何故か僕は復帰する気をなくしてしまっていた。
1日だけだったはずの休みが3日になり、1週間になり、届け出るのも怖くなった僕の療養生活が『サボり』と名前を変えて…どのぐらい経つだろう。
このままじゃいけないことを、僕自身が一番よくわかっている。でも、どうしたらいいのか、見当もつかない。
「こんなこと、誰にも言えない。……どうせ、わかって貰えないんだ」
「そうなのか?」
不意に声がした。僕は反射的にその場から立ち上がって向き直る。温室の戸口に立っていたのは、見知らぬ男性だ。……ほんとうに見覚えがない。
誰だ? この人。
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