第7話 父は腑抜けで社会はクソだ。……なら、自分は?

 本当に居やがった。というのが、最初に思ったことだ。そして、彼にとっては気まずいタイミングで姿を表してしまったことも察した。


「こんなこと、誰にも言えない。……どうせ、わかって貰えないんだ」


 この声が聴こえてきたのはつい今しがた、俺が温室の扉を開けたのと同時のことだ。発言の主は金茶色のくせ毛に空色の瞳、やや童顔だが長身の恵まれた体格と、俺にとって見知った外見をしていた。かつてモニターの向こうで良く見ていた姿そのものだった。


 彼こそがアラン、このゲームの主人公でまず間違いない。そして今、俺と彼の間には気まずい沈黙が横たわっていた。


 ……彼の自意識たっぷりの独り言につい返事をしてしまったからだ。なかったことにして立ち去りたい気もしてきたが、それでは何のためにだだっ広い敷地をあちこち徘徊したのか分からない。


(――ええい!)


 俺は覚悟を決めた。ずんずんと温室の内部へと足を踏み入れる。涼しい屋外から一転、ガラス張りの小屋の内部は陽光に温められて暑いくらいだった。


 小さな畑や鉢植えが並ぶ棚がゆったりとした間隔で配置されている様は、植わっている薬草の多種多様さも相まって、ちょっとした桃源郷のようであった。王妃の離宮にあった質実剛健な庭園ともまた趣が異なるのは、どこか神秘や呪いの気配が漂っているせいだろうか。


 奥まった一角は芝生敷きとなっていて、小さなテーブルと椅子が据えてあった。


「気持ちのいい場所だな。時季によっては、ここで花を眺める者もあるのかな」


「ええと、スヘイバル先生――薬草学の先生の私物です。春になったらここでお茶を飲むのが楽しみだと」


 俺が鋳鉄製のテーブルへ視線を向けて問いかけると、アランは毒気を抜かれた様子で素直に答えを返した。


「そりゃいい趣味だ。君もそのスヘイバル先生とやらに師事しているのかい?」


 答えが返ってこない。おどおどした様子で押し黙り、ややあってから重たげに口を開く。


「……去年、薬草学の基礎コースを受けたので、その時に知り合って。最近は花の世話をしたり、草取りを手伝ったりしています」


(なるほどな)


 知り合ったのは去年なのに、直接の接点が無くなった最近になって仕事を手伝っているということになる。察するにその教師は、立場を危うくしたアランの避難場所を買って出たのだろう。


「それで、あの、何か御用ですか?」


「いいや、特に何も。……ちょっとした伝手で模擬試合の観戦に来れたものだから、いい機会と思って散策しようと思ったんだが」


 そこまで喋って、言い淀む。視線をさ迷わせて、ばつの悪い表情を一瞬だけ浮かべて慌てて消した……ような身体演技を行う。言外に『こんな大の大人ですが、道に迷ってしまったんですよね』と振る舞ってみせると、アランの緊張や警戒心が見る間に緩んでいった。


「この学院って広いですからね……。敷地の裏手になるこの辺りは、もうほとんど山みたいなものです。道を知らない人だと、そのまま山間部に迷い込んでしまうかも」


「それは御免こうむりたいな。試合場の、大まかな方角だけでも知れたらいいんだが」


「……それなら、あのー、僕で良かったらご案内しましょうか?」


「いいのかい? 君には君の用事があるだろうに」


「ええ勿論。近くまででよければ、ですけど」


 アランの中の引け目と親切心の押し引きは、さほど時間をかけずに決着したらしい。


 目の前に困っている人が居るならば、手助けすることは彼にとって当然の行いなのだろう。たとえそれが、自分が逃げ出してきた場所にわざわざ近づく真似を意味していても、迷うことではないらしい。


「なるほど、御父上が仕事で失敗をしたらしいと」


 案内される道すがら水を向けてみると、アラン少年は自らの状況についてぽつぽつと話し始めた。どのみち独り言を聞かれてしまった相手だから、口も軽くなったのかもしれない。


 実際には彼の父、ロベルトの失脚の原因を作ったのは俺であるのだが……。それにしても、件の出来事が息子である彼にとってここまで影を落とすとは正直計算外だった。よほど素直で、真っすぐな育ちだった故だろう。良くも、悪くも。


「それは大変だったな」


「いえ……僕自身に何かが起こったわけでもないのに、情けないです」


 そりゃあ、それだけ共感性が高いってことだ。他人に降りかかった出来事を、まるで自分ごとのように感じられるというのは、単にそういった性格傾向というだけの話だ。それを美点とするか弱点とするかは、自分自身の乗りこなし方にかかっているのだろうが。


 と、いうことを直に伝えても説教臭いだけだろうな。どうしたもんか。


「例えば俺が教師だったら、君に『お父さんと話し合ってみては』と言うだろうな」


「……はい」


「で、そこら辺の酒場で昼酒をかっ食らっている奴なら『人生そんなもんだ。慣れろ』と言うかもしれん」


「うーん……」


「で、たまたま通りがかった俺は『別にいいんじゃないか? 悩んだままでも』と思っている」


 アランの肩がぴくりと動き、こちらへと振り返る。――彼にとって聞き捨てならない言いぐさだったらしい。その表情に浮かんでいるのは困惑といくばくかの不信だ。『そんな自分が嫌いだから、こうして余計に思い悩んでいるんじゃないか!』とでも言いたげだった。


「父親に何があったのか、ことの真相はわからないのだろう?」


「はい」


「で、どうやら機密に関わることだ。ならば、聞かれても答えられないだろうな。そもそもそれは父親の人生の重大事なんだから、解決できるのは彼自身を置いて外にない」


 そして賢いアラン少年にとって、そんなことは自明だ。


 聞くところによれば家族仲は良好な様子。だとしたら息子が父の状況を心配していることは、向こうだって察していることだろう。どっちにせよ親子関係に関しては時間が解決することだ。他人がわざわざ踏み込む話ではない。


 彼が向き合うべきは己自身の『気づき』に対してだ。


「……つまり、父の苦悩は父に返せばいい、ということですか?」


 しばらく無言で歩き続けたあと、アランはおもむろに俺へ話しかけてきた。俺がその言葉に頷いて見せると、彼は歩調を緩めて俺の隣に並び立った。この際、行きずりに出会った変なオッサンを問題解決のために使い倒そうと決めたようだ。


「身体の不調は……?」


「適切な休息を取れば解決できる。心労が身体にまで響くのは人体の構造の問題だから致し方ない」


「じゃあその心労をどうにかすべきってことですか」


「それについても、今の対処でいいんじゃないか? あの温室に行けば迎え入れてくれる人が居て、植物の世話をするというさしあたっての軽い作業タスクもある。じきに調子も戻るだろう」


 この辺りで、アラン少年の表情からこわばりが抜けつつあった。


「――僕、何について悩んでいたんだろう?」


「社会構造の不備と、人生の理不尽さじゃないか?」


 そしてそれは、一個人の力で解決するには、あまりにばかでかい代物だ。


「えっと……それは確かに……でも、まだ何かあるような……」


「この手のことにぶち当たった時どう感じるかは、個人の性格いかんで変わるからなあ……」


 なんというか、親父は腑抜けだし社会はクソ! とでも叫んでしまえばそれで終わる話ではあるのだ。十代の俺だったら確実にそうしていただろう。なんなら先代ボロフカ男爵であるところの今生の父には、その手のは散々得させてもらっているし、前世の親子関係も似たり寄ったりだ。


 ただ、アランという人物は、己にそうすることを許さないらしかった。


「そもそも、どうしてそんなに自分に失望してる様子なのか、そこが不思議といえば不思議だ」


 俺の言葉を受けて、アランは慎重な様子で言葉を返す。


「――要するに僕は、父の一件があって以来、元気を失くしていたんですね。それも、体調を崩すくらい」


「の、ようだな」


「生まれて初めてだったんです。こんなに何のやる気も起きなくなったのは。だから、いつか戻るものかどうかもわからなくて……そうか、怖かったんだ」


 喋る間にみるみるうちに声色が明るくなっていく。


「こんなに苦しいことなんてどうせ誰にもわかって貰えないんだって思っちゃってたんです。だから、逃げて、人目を避けて、それで余計に落ち込んで」


 そう言ってこちらを振り返った彼の顔には、既に活力がみなぎっていた。


「――あの、すみません。僕、謝らなくちゃいけない人と、しなければいけないことがあるんです。競技場は、このまま真っすぐ行けばもうすぐ着くので……」


 当人なりの答えに辿り着いたらしい少年へ向けて、俺は無言で手を振る。既に進行方向には風にひるがえる旗竿が見えていた。


「構わない。道案内をありがとう」


「こちらこそ! えっと……」


「互いに名乗らないことにしようじゃないか。もう会う機会もないだろうから、言えることもあったろう?」


 返事を待たずに歩き去る。アランのメンタル問題も解決をみた訳だし、下手にこれ以上の関わりを持つのも考えものだった。なんせ俺は、彼の父親からやりがいのある仕事を奪った……まあ……命は取らないまでも、規模感として中くらいの仇ではあろうから。


 アランはしばしその場に立ち尽くしていたらしい。だが、程なくして別の方向へ駆け去っていく足音が俺の耳に届く。例の訓練士に頭を下げに行ったのだろう。本来の役割、従騎士役をまっとうする決心を固めたに違いない。


「これを恩と思ってくれるなら、せいぜい優秀であってくれよ。――アランあんたには大迷宮の底であれを……『渾天大祈祷書』を手に入れて貰わないと困るからな」

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