第20話 貴族稼業についての、いくつかの問答
「領地ったって、農場つきの寒村って所ですよ! 彼らが自分を食わすので実のところ精一杯なのは、作付面積や飼育頭数の記録からも明らかですしね」
俺が笑い飛ばしてみせても、彼女は真面目な顔つきのままだった。それに気づいた俺の笑い声は尻すぼみになり、やがて消える。それに気づくと、彼女は少々慌てた様子でとりなした。
「ご立派だと思います。よほどの篤志家、それも扶持に余裕のある方でもなければ、なかなかそういうことは――あ」
言外に俺を『貧乏貴族』と指したのに気づいてか、パメラが口元を押さえる。とはいえ、異論はない。事実だからだ。
「俺だって、別に善行を施してやるなんて気持ちはありませんよ。単にその方が合理的というだけで」
ヴォジェニ公爵の命であれこれ働く際の経費はともかく、日ごろの食い扶持は自力で稼がねばならない。それは、親の代から引き継いだ小規模な領地からのあがりをやりくりすることを意味していた。
「できる範囲で彼らの働き方に目を配るのは必要なことでしょう。彼らだって人間です、いたずらに締め付けを厳しくすれば反発したくもなる」
「――まさか、反乱軍に加わると?」
反乱軍。その単語がパメラの口からとび出て、俺の心臓がドキリと跳ねる。ここ一年ほどでにわかに存在感を増した集団だ。……そしてそんな連中は、俺の前世の知識には登場していない。
彼らの存在や浮浪者の増加が示す通り、国は徐々に荒れ始めている。……これも、邪神召喚の祈祷書を燃やした影響だとでもいうのだろうか?
「……極端な例でしょうが、ないことではなさそうですね。辺境じゃ随分勢力を増しているとか?」
「ええ。クレメント様と赴いた南方も、今は安全な行き来が困難になってしまったようです」
「あの辺りか。実質的には植民地の類でしたもんね……」
南方では元から先住民と入植者との間で争いの火種がくすぶっていたとも聞く。例の遺跡の考古学調査もとっくの昔にストップしているようだった。
「あおりを受けてか綿布の値段も上がっています。主要な交易路は活きていますが、危険地帯を掠めますから」
「護衛を雇う費用もばかにならないでしょうね」
俺の問いかけへ、パメラがこっくりと頷いて返した。
「どの人員も手当てを上乗せしないと集まらなくなっているとか。兄がそうぼやいていました」
「ええと、
「次兄のデクスターが番頭格で、長兄はもっぱら父に従って『外』に出ていますね」
ハーディの家も我が家と同様、景気が良いのは裏ばかりのようだ。
その後、陽が落ちる前にレストランを出ると、俺はパメラを自宅へ送り届けた。このような形で彼女とは健全なデートを重ねている。ハーディ家にとって、ボロフカとの姻戚関係は上昇婚にあたる。そのためだろう、俺が彼女を誘う際は快く送り出してくれていた。
と、思っていたのだ俺は。今日この時までは。
パメラを玄関口まで送り届け、使用人頭が彼女を出迎える様子を確かめる。そして背を向けた瞬間のことだった。
「――氷遊びをしてきたとのことで、どうもお疲れ様でした。よろしければ、お茶でも飲んでいかれませんか?」
出し抜けに背後から声を掛けられる。男の声だ。不意打ちを食らった俺がびくりと肩を跳ね上げたのがよほどおかしかったのか、低い含み笑いが聞こえる。
「ああ失敬! 申し遅れました。パメラの兄です」
パメラの兄だって? 確か5人くらい居たよな?
記憶を手繰りながら振り返ると、そこには黒髪の青年が立っていた。パメラとよく似た面差しの、怜悧な雰囲気を纏った人物だ。
優男に微笑みかけられているだけだというのに、喉元に刃を突きつけられたかのようだ。何しろ目元が笑っていない。確か彼は、上から数えて二番目の……。
「パメラはもう休ませますが、茶の席でしたらこのデクスターめがお相手つかまつります。なに、お気になさらず! この不況下じゃ仕事も上がったりですから」
殺伐たる実用主義的な空間の片隅に申し訳程度に据えられた布張り椅子とローテーブル。俺とパメラの兄、デクスターはそのささやかな応接セットにて差し向かいとなっていた。
部屋の主は手際よく茶を淹れている最中だ。彼が俺を引き止めにかかった理由は分からない。否、分かりたくないというのが本音だ。
「どうぞ」
茶を注ぎ終えたカップを、デクスターは俺の側へ突き出した。以前、この家で出迎えてくれたパメラと同様の所作だ。
「お貴族様には信じがたいかもしれませんが、我ら平民はこうして何でも自分で自分の世話をしないとなりませんのでね」
「それだけが理由でもないでしょう」
俺の指摘に、彼は肩をすくめる。
「口に入れる物を他人に触らせるのは、どうも……。まあ、家訓というほどの物でもありませんが、食事は我ら
「道理でパメラさんも料理上手な訳だ」
「食べたんで? 妹の、手料理を」
相槌を打った途端、デクスターの眼光が鋭さを増した。
「いや、手料理といいますか。以前おうかがいした際にいただいた菓子が、彼女のお手製だった……の、です、が……」
俺が言い切らないうちに、デクスターがぬうっと身を乗り出した。
「――てめえ、パメラをどうする気だ」
「は、はい!?」
「あんたは我が妹に対して随分と冷淡な態度を取っていたはずだ。それがある時期から突然ベタベタと接触を持ち始めたと思いきや……なんと、婚前旅行に連れ出したんだって?」
南方への旅行(ダンジョンアタックだが)の件が兄貴の耳まで届いていたのか! 俺の焦りを余所に、デクスターが蛇のような底冷えする視線でこちらをねめつけている。
「パメラさんへ決して不埒な真似は……」
「外聞の話をしてるんだよ」
ですよね。
「俺はねえ、クレメントさん。あんたがウチの末妹に心ある態度を取ってきたとはとても思えない。そうかと思えば突然『御役目』絡みであちこち連れ回したかと思えば、外泊までさせたと来た」
俺自身の記憶を紐解いてみても、ヴォジェニ公との対面、すなわち前世を思い出すより以前の俺は……内心ではパメラの底知れなさに人知れず怯え、表面上は冷たく接していた。身内からすれば『今さら何なんだ』と言いたいような対応ではあるのだろう。
「長兄や親父殿は、お宅との姻戚にゃ割り切った考えだ。あくまで家同士の繋がりを保つのが主眼だとな。だが、そうは言っても今のお宅が末娘を所有物扱いする程の正当性はなかろうよ」
デクスターは言葉を切ると、じろりと俺の顔を睨みつける。
「俺としては、あんたの態度には納得が行ってないな。まさかこの接触過多を『心を入れ替えて優しく接しています』などと言い募るおつもりで?」
その途端、極端な
……それにしても心を入れ替えた、と来るか。偶然だろうが、痛い所を突かれてしまった。
「確かに、南方での仕事に彼女に同行してもらったのは軽率だったかもしれません」
そこで言葉を切ると、俺は次の言葉を継ぐまでにしばし間を開ける。その間、デクスターは口を挟まず俺の出方を待っているようだった。これでどうにか会話の主導権を取り戻せたろうか。
「――件の旅程はあくまでヴォジェニ公の指令を達成するためのものだ。物見遊山をしにいったのではない。なんならかかる日数と経費を割り出して、実際の行程と比較なさればよろしいでしょう。結構な強行軍であるのがわかるはずだ」
「何が言いたい」
「ひとまず、体面の件への反論をしたまでです。俺たちはヴォジェニ公の手足も同然だ。あの御方の為になるならば、泥水だって啜って見せる。そうでしょう?」
デクスターはニタリと獰猛に笑って見せた。俺が浮かべている笑みもまた似たり寄ったりの皮肉気なものだろう。
「その上で、兄君にご心配をおかけした件については謝罪する用意があります。が、そこは線引きが必要でしょうよ」
「結構! この件で俺とあんたに妥協できる余地は一つもないからな」
結局のところ、俺が自分の都合ひとつでパメラを振り回していることは動かしがたい事実だ。彼の言う通り、両者の和解は望めない。
ひとまず、譲れない一線を明確化できたというのが場の納めどころだろう。
「つまるところ、
「無論です」
「その言葉、忘れるなよ。もしも
「……すれば、どうなると?」
「さてね。俺は滅茶苦茶に怒るだろうよ。弟たちはどうだろうな? あんたにどう映ってるかは知らないが、ああ見えてパメラは可愛がられていてな」
俺は無言で頷く。その点については察しておりますとも、とは言わずにおいた。
「――思ったよりは骨のある奴らしい」
デクスターの纏う雰囲気が明らかに緩む。組んでいた足を崩してソファにどっかりと腰を落ち着かせると、俺の双肩にかかる圧力も失せた。
「それだけに不可解だな」
おいおい、今度は何なんだ。そうした感情が表に出た訳でもないだろうが、デクスターは俺の顔を見返して意味深な笑みを浮かべた。
「あんたは貴族らしくない。おっと、褒め言葉じゃないぞ」
コツコツとテーブルの天面を叩きながら、デクスターが言葉を続ける。
「むしろ貴族らしく居てくれなけりゃ、末妹を預ける甲斐もないんだ……聞けばお前の領地じゃ農民共は随分と安楽な暮らしができるってんじゃないか」
「地代を減らした件のことでしたら、将来的な損失と秤にかけた上で……」
「そうだな、あんたなりの筋道はあるんだろうさ。だが、それで? 損失の補填は? いたずらに資産を減らし、対策も打たないと? お宅の年寄り執事がなんて吹聴しているか教えてやろうか。『ボロフカ家はここが末代だ』だとよ」
「……」
我が家の執事がいまひとつ忠誠心に欠けた振る舞いをしているのは事実だ。たちの悪いことに、今しがた開陳された情報には真実味があった。デクスターから『お前の内情は筒抜けだぞ』と告げられたも同然だ。
彼は揺さぶりをかけている。俺を試しているのだろうか。なぜ? なんのために? それが見えてこないのが不気味だ。
「……俺は」
沈黙を破ったのはデクスターの側だった。
「年の離れた妹を惨めな穴倉に押し込めるような真似はしたくないだけだ」
それが本音か。
所作や視線の揺れからしても、今の彼の言葉に虚偽や欺きは含まれていないようだった。ハーディの人々は、普段は抑制的な分、いざ感情があらわになると非常に読み取りやすいのだ。
「――ご忠告痛み入ります」
やり取りらしいやり取りはここまでだった。以降の俺たちは黙したまま茶を飲み、会話らしい会話もないまま解散となる。なんにせよ、俺の思考と貴族社会における
そんなこんなで楽しい休日は終わる。帰宅の途につく馬車の中で、俺は盛大にため息をついた。
疲れた。非常に疲れた。……しかし、早く家に着いてくれとも思えない。帰ってしまえば、あの厄介ごとへの対処をせねばならないからだ。
厄介ごととはすなわち、何者かによる横領被害だ。窃盗と呼ばない理由は……証拠の数々からして、内部犯の可能性が濃厚だからだった。
(それにしても、なんでまた俺の家からチーズをちょろまかそうと思ったのかね……別に名物という訳でもない、何の変哲もない代物なのに)
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