第18話 冒険の終わりと新たな世界
非現実的な光景を前に、俺たちはしばし立ちすくむ。
砕けた扉の向こう側、そこには壮麗なる庭園が広がっていた。そこではどれもが、色とりどりの鉱石でできていた。木も花も、東屋や小路に至るまでの、文字通りのあらゆる物体が、だ。
「――あれ、
木立を見つめていたパメラが縞模様の浮き出た幹を指さして問いかけてくる。あいにく宝石の類に疎い俺は、曖昧に頷くほかない。
「あの葉はヒスイ……いいえ孔雀石でしょうか。それに、あの花や実も、石でできていますよね……?」
「――パメラさん。もし気が進まないようであれば、ここは俺だけで」
「いえ! 私もお供します。こ、こんなおかしな場所、お一人で行かせられません」
やり取りの間も、澄んだ香りががれきの向こうから漂ってくる。
場違いな状況で出くわす清浄さとはこれほど不気味なものなのか。知りたくもなかった新発見を持て余しながら、俺たちは尋常ならざる庭園へ足を踏み入れた。
曲がりくねる順路に従い、きらめく花木が立ち並ぶ合間を縫って進んでいく。水晶の
あるはずもない息苦しさから逃れるように視線を上向かせた。梢の向こう側には濃密な闇が広がっている。天には月も星もない。この場の光の源は繁茂する植物達が発する燐光だ。葉や実や花々から湧き出る無数のかそけき光が合わさって、あたりを昼間の様に照らしていた。
思わず歩調を緩めた俺の傍らで、パメラがぽつりとつぶやく。
「なんだか、お墓みたい」
言いたいことは、理解できなくもない。
花実から湧きだす光が
清廉とした、しかし死に絶えた場所だった。生き物が身を置く場所ではない。
「パメラさん」
今となっては、同行者の存在がこの上なくありがたかった。ほとんど無意識に彼女へ呼びかけると、細い指先が俺の腕へ気遣うように触れる。温かい。少なくとも、そう感じた。粗く織った厚手のジャケットと薄い革手袋越しで伝わるはずもなかったが、彼女の心遣いを嬉しく感じた故の錯覚だったのかもしれない。
道は分岐と合流を無数に繰り返しながら、しかし確実に一つの方向へ俺たちをいざなっていた。終点に着いてしまえばなんてことはない、どうやらどのルートもこの一点に収束しているのだった。
ほの光る水晶敷きの小路の突端が取り巻くのは、ある黒曜石の台であった。天面には一冊の本があった。安置されている、というにはあまりに無造作な様子で置かれている。防壁のようなものは何もない。
それを知っていた俺もまた、本を無遠慮に取り上げると、さっと懐にしまい込む。
「行きましょう」
パメラに呼びかけて踵を返す。彼女も異論をはさむことはなかった。一刻も早く立ち去りたいと思っていたのは俺だけではなかったようだ。
火にくべた枯れ枝が、ぱちんと音を立ててはぜる。焚火の上に吊っていたやかんがもうもうと湯気をあげ始め、湯が沸いたことを教えていた。俺はやかんを下ろし、茶葉の入ったカップへ湯を注ぐ。
「思うに、あそこは一冊の本を手に取らせるための企てなのでしょう」
「そのためだけに、あの森……すべてが宝石でできた庭を?」
彼女の分を手渡して喋りかける。茶葉が湯に沈むのを見つめていた彼女は、俺の言葉に顔をあげた。
俺たちは鉱石性の庭園を後にし、洞窟寺院も危なげなく抜けて地上へと帰還を果たしていた。石造りの至聖所に出た頃にはすっかり日が暮れていたので、その場に留まってキャンプをしている最中だ。
ここは、当たり前の石材を人の手で組んだと信じられる。そんな場所に身を置く安心感のためだろうか。自然と俺の口は軽くなっていた。それは彼女も同じようで、俺たちは火を囲み、ぽつぽつと他愛もない会話を続けている。
「あくまで推論ですが、あれは
「……クレメント様、まるで本が意志をもって騙すかのように仰るのですね」
「見立てに過ぎませんがね」
俺は肩をすくめてみせると、懐から件の本……『渾天大祈祷書』を取り出す。紫がかった黒色の革で装丁された、一見すればなんの変哲もない写本にしか見えない。
「あっ!」
俺はそれを、火の中へ投げ入れた。
朽ちかけた本はあっという間に燃え上がり、気流に煽られてぱらぱらとページが捲れていく。色とりどりのインクを駆使して記されているのは、一見して異郷の文字のようだった。しかし、そう見えるだけだ。
なんの意味も示さない記号に過ぎないのを、俺は知っている。
ページが進むにつれて、偽装もどんどんおざなりになっていく。半ばを過ぎる頃には、そこに記されているのはページ全体を埋め尽くす奇怪な文様だ。
パメラは慌てた様子で腰を浮かせるが、その有様を目にして硬直する。俺が首を横に振ってみせると、彼女は不可解そうな態度のままながらも姿勢を戻した。
「――よろしかったのですか? あんなにご苦労を重ねて手に入れましたのに」
「勿論。このために遠路はるばるやってきたんです。これで、ようやく目的を果たせました」
パメラは俺の答えを聞き届けると「そうですか」と一言返したきり、ふうふうとカップを吹きながら茶を飲み始める。
「……理由は聞かないんですね」
「クレメント様がそれでよろしいのでしたら、私から言うことは何もありません」
「そうですか。……その、信頼していただいていると考えてよろしいのですかね」
「……!」
しまった。試すような言葉が口をついて出てしまい、俺は途端に後悔に襲われる。疲れのせいか、安堵のためか、どうも喋り過ぎてしまっていた。
「クレメント様」
「はい……」
「私は、気に食わなかったり、どうでも良いような相手に、わざわざ助力を申し出るほどのお人好しではありませんよ」
「へ、あ、それは、その……ありがとうございます」
「――どういたしまして」
……あれ? 今、笑ったか?
俺が見間違いを疑っている間に、パメラは元のとおりの表情の乏しい顔つきに戻っている。
「それで、クレメント様」
パメラは居住まいを正すと、俺の座る側へと身体を向けてきた。覗き込むような視線に、思わず腰が引ける。
「心配ごとは解決いたしましたか? もう、心にかかる事はなくなったのでしょうか」
彼女の真剣みを帯びた瞳を見据え、俺は大きく頷いて返す。
「――ええ! これで、懸念事項は全て片付きました。パメラさんのお陰です」
「でしたら私も剣を振るった甲斐があったというものです……でも、大詰めでは鉈を振るいましたっけ」
「思えば不躾なお願いでしたね……」
「いいえ。……えっと、今のは冗談のつもりでしたので」
思わず顔を見合わせる。次の瞬間、どちらからともなく噴き出した。ああ、この人はこんなに大口を開けて笑うこともあるのか。そんな感慨に浸りながらも、俺もまたたまらずげらげらと笑い声をあげていた。
構うことはない。ここは都から遠く離れた密林の奥地。誰に見とがめられる訳でもないのだから。
思えば、パメラは俺のためにこんな場所まで着いてきてくれたのだ。……少しはうぬぼれても良いのだろうか? 家同士が取り決めた婚約者同士という関係から一歩でも接近できたのだと。
「ああ、なんというか――」
「どうなさいました?」
パメラが俺を見つめる目は、今までにない柔らかさを帯びている。
「俺は、ようやっと自由になれた気がします!」
◇◇◇
後々になって振り返れば、この瞬間は俺にとってもっとも良き思い出のひとつだ。そして、俺にとっての最良の時期の終わりでもある。『これさえ始末すればいいのだ』という俺の発想がいかに的外れなものだったことか。
そいつを思い知らされる出来事は、すぐそこまで迫っていた。
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