第9話 やりがいのある仕事はどこですか

「魔導書は新進分野であるだろう? 我が派閥も後れを取る訳にはいかないからな。良い形にまとめて来なさい」


 ヴォジェニ公の気まぐれとしか思えないお達しに真摯に努めるべく、俺は頭を捻ることとなる。魔導書研究は、王立学院づきの研究所も取り組むような分野だ。付け焼刃で渡り合えるはずもない。


 ならば、ありものを乗っ取るのがいいだろう。そう判断した俺は王都内でやにわに増えた民間の研究所や工房について調査させた。主に見るのは経営状況である。金の動きを見れば大概の物事は丸裸にできる。なるべく買いたたきやすく、まともな技術力を有するブランドを物色する日々をしばし送る。


 そうして目をつけたのがビェリーク書房である。最初のきっかけは下調べとして各所の店や工房のめぼしい魔導書を注文すべく手紙を送った際のことであった。


「――おいおい、発注書と食い違ってるじゃないか」


 絹張りの装丁に金の箔押し、小口はマーブル模様に染められた一冊の本を前に俺は首をひねっている。庶民向けの廉価版の魔導書に、こんな壮麗な装丁をわざわざ施すか?


 当然、名義はボロフカ男爵家のものではない。平文でしたためたのが良くなかったのか? いやしかし、同じ文面で送った他の店は特に問題なく求めた通りの品物が送られて来ている。いぶかしみながらも同封された請求書を見て、俺は思わず「げっ」と声を上げた。


 なんだこの額面! クソ高いじゃねえか! いや、この世界の文化レベルを思えば凝った造りの手製本は高価で当たり前だ。しかし、庶民向けのリーズナブルな魔導書というイメージからはかけ離れている。


 よくよく確認すれば、基本の冊子にあらゆるオプションがもりもりと足し合わされている。おいおい勘弁してくれよ。どうやら俺のしたためた注文書の文面その他から相応に金を持っている奴と目されてふっかけられたらしい。


 タチが悪いな。内容は『着火マッチ』や『送風ふいご』それに『凝水湿気取り』といった、日常生活で用いるようなさもない魔法を記したものばかりだというのに。


(だからこそ、庶民層から圧倒的な支持を得ているというじゃないか……ん?)


 ぱらぱらと中身をめくりながら俺はふと違和感を覚える。魔導書とは、面倒な魔法の詠唱を読み上げによって肩代わりする道具だ。……だよな? 何かがおかしい。


 俺は予感に突き動かされるように、ターゲットをビェリーク書房に絞り込み、追加調査を命じた。そうして組織的な不正の証拠と、それを掴んでいる内通者に渡りをつけるところまでこぎ着けたのだった。


 それから2週間後、コーヒーハウスにて。


「――本っ当にビェリークさんは何にもわかっていないんです! 魔導書はおろか、魔法の知識だって! 理念だけ! 理念と、パトロン達の顔色を伺うばっかりだ!」


 ガン、とコーヒーカップをテーブルに叩きつけるように置いた若い職工が憤りのままに吐き出した。


「なるほどなるほど。……で、具体的にはどのような、その、お仕事を?」


 記者に扮する俺はメモを取りながら、職工から話を引き出していく。


「僕の役割は指定された内容に応じて魔導書の版下を作成すること……です」


「それだけ伺うと競合する他の工房と変わらず聞こえますが」


「はぁ? 大違いですよ! よく聞いてください、内容なんですよ。ウチの顧客層はご存じでしょう?」


「ええ、庶民層の味方だと大した評判だ」


 職工は鼻を鳴らす。


「味方? あれが? ――あなた方のような学識のある方々には想像も付かないんでしょうね。その日の飯にも事欠くような連中に本を売りつけるという意味を」


「と、言われますと?」


「――文字ですよ!! 誰が読めもしない記号の羅列を有難がって買い求めると思いますか? そりゃ、最初の内は良かったですよ。客と言っても中間層から、時にはブルジョワの人々が相手です。最低限の教養があるから、魔導書の中身をただ音読するぐらい訳ないことです」


 そう、識字率の問題がある。商材が書籍である以上、販売できる顧客の天井はおのずと定まって来る。それも、想像以上に少ない割合で。


「ですが、ビェリーク書房の魔導書の普及率は大したものだ。……庶民層の識字者を全て足し合わせた数に迫る、いや追い越す勢いだ」


「その秘密がそいつですよ。見てみるといい」


 職工が吐き捨てた通り、俺は彼から渡された包みをほどく。そこにあるのは数枚の紙片だ。凸版印刷でインクを馴染ませる際の下刷りであろう、印字がところどころ掠れている。


「いや、字というか、これは……絵ですか?」


 絵文字というべきだろう。小さなイラストが羅列されており、頭文字など、読み上げるべき音が時おり指定されている。


「ビェリークさんからのお達しだよ。『文盲にも音読可能な文面を作れ』とさ。そんな夢のような技術があるもんか。だったら、こんな誤魔化しで納期に間に合わせるしかないじゃないか」


「……失礼ですが、説明なしにこの文面を目にして正しい音韻で読み上げるのには無理があるのでは?」


「そうとも。……こんなの、事故が起こっていないのが奇跡だよ」


 うなだれる職工のことを、いまやコーヒーハウス中の客が押し黙って観察していた。俺はその様子をちらと見回し、肩をすくめた。


 更に時間が飛び、現在。うららかな晴天の昼間、ビェリーク書房の応接室で、俺はこうした証拠の数々をビェリーク書房の代表であるところのビェリーク氏へ叩きつけているところだった。


「――どいつが機密を漏らしたァ!?」


「言えませんね。情報提供者の身の安全くらいは守るのが筋だ。……で、どうします? 余計な悪評を流されたら困るのはあんたでしょう。ここいらで撤退するのが賢い奴のすることだと思うが」


 両脚の角度を増し、どっかりと座りなおす。あたうかぎりの威圧感を醸し出しながら、眼前の男へ凄む。


「あんたもう詰んでるんだよ」


「ッ、うるせえ!」


 テーブル越しに掴みかかるビェリークへ、俺は詠唱を終えた『鈍足の呪文スピード・ダウン』を浴びせかけた。途端、重油の海にでも落ちたかのように動作を鈍らせるビェリークを、俺は悠々と制圧して、とうとう証文にサインさせることに成功したのであった。


 明けて翌日。


 例によって例のごとく、悪趣味エレガントな調度に囲まれながら、俺はヴォジェニ公爵へ進捗を報告していた。


「――以上の通りです。工房には既に我々の手の者を配し、教育を受けています。また、ビェリークが溜め込んでいた希少な魔導書も……」


「クレメント」


 直立不動の俺が行う報告をさえぎり、ヴォジェニ公爵がゆったりとした動作で両手を組む。


「お前は文字や数字を追いかけるのが好きなようだ」


「は、」


 確かに調査ベースの仕事の進め方をしていたが、別に手を抜いてはいないのだが。勤勉な無能者と思われたらおしまいだ。


「先代のボロフカは足で稼いでいたものだよ。王国各地を飛ぶように巡り、ときには外つ国にまで赴いたこともあった」


 ええ、そうですね。そうして溜め込んだ心身の負担(そしてストレス発散の酒と女)が原因で先日死にましたね。働き盛りの年齢で。……と、反論できるはずもない。


「父に見習うべき部分が多いとは思わんかね」


「……はい!」


 つまり、俺にもそうやってあからさまに心身をすり減らしてみせろと。


「肝要なのは、なあクレメント。真に信じられるのは自らの手足を使い、実際に見て、聞いて、手触りを確かめたものだけとは思わんか?」


「不勉強でございました。申し開きようもございません」


 割とよく聞く『自分が見たものしか信じない』というキャッチフレーズだが、俺としては同意しかねるものがある。人間の知覚がどれほどハックしやすい物かを知らない物言いだからだ。


「若さと未熟は分かちがたいものだ。これから真心を示していってくれれば、それで良い。……下がってよいぞ」


 というかそもそも、豪奢な椅子にふんぞり返って、他人をあごで使っている男が言っているのだからお笑い種だ。天下の公爵家の長子に下積み時代が存在するはずもない。


 要は、もっと『やった感』を示して見せろということか。自分のために身を粉にしている様子を眺めて悦に入りたいということか。自らの握る権力を噛み締めるために。


 この、他人の血肉を啜る化け物が。


(そもそも仕事の首尾には問題なかったろうが)


 帰りの馬車には乗り込んだ。しかし御者に行き先を告げる気力が湧かない。車内のベンチに身を預け、窓から月を眺めてへろへろと息をつく。


 ヴォジェニ一派のブラックぶりを改めて思い知らされた形だ。やはり、こんな界隈に骨を埋めるのは無理だな。


 とはいえ、いみじくもヴォジェニ公とは一点だけ見解が一致している。我が父親から学ぶものは多い。……彼の二の舞にはなるまい。


 俺自身、何も知らないままならば慣習にどっぷりと漬かって、ヴォジェニ派のドグマに染まっていたことだろう。恐らくは、その果てにゲーム本編のクレメントが辿る末路がある。


 他人を蹴落とし、弱いものを踏みにじり、下位の者は人とも思わぬ扱いをする。


 まあ、非合理だよな。人間はされたことを決して忘れない。サディスティックな振る舞いを辺り構わず行うものではない。


 ……これが、今の俺の価値観に照らし合わせた見解だった。


 何はなくとも、俺は死にたくないのだ。そのために必要な短期目標は『ヴォジェニ公の機嫌を損ねない』だったが、最終的な目標は『ヴォジェニ派からの足抜け』だ。それも、可能な限り穏便に。


 そして中期目標は。


「……世界の破滅も回避しないとな」


 ゲーム本編でヴォジェニ公爵が全ての黒幕たる悪役扱いをされている理由がこれだ。彼の権力欲によって世界は破滅の危機に曝される。ついでに言えばその過程で俺は惨死する。


 そちらに関する仕込みもすぐにでも始めるべきだろう。

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