第二章 激ヤバ魔導書を焼き捨てろ

第10話 邪神伝説と新たな仕事

 非常にまずいことになった。


 オークションの目玉は冒険者ゾルターンの遺した手帳。額面はちょっとした城が一つ買えるほど。加熱した投機市場が、たかだか紙の束を金貨の山と引き換えになるほどの価値に押し上げてしまった。


「――お前ら、別に邪神伝説とか信じていないだろうが!!」


 思わず椅子を蹴り倒すと周囲の視線が突き刺さった。


 護衛が身構える。競売人がそれを制し、丁寧な、しかし有無を言わさぬ調子で退場を命じてくる。駆け付けた従僕達が、こちらの肩をさも気遣わしげに掴んで穏便に追い出しにかかる。


 そんな混乱の中、ステージの上に立つひとりの従僕がこちらを見つめているのが見えた。彼が浮かべている表情は驚きや怯えではない。あろうことか、あいつは――。


 こっちを見て笑っていやがった。


◇◇◇


 【オークションから遡ること数ヶ月前】


 前世の記憶を取り戻してからこちら、ロベルトの暗殺回避から始まって女王の懐柔にアランとの対面、そして魔導書工房の買収と目まぐるしい日々が過ぎていった。


 以降の半年あまりは、比較的平穏に過ごせている。表向きの食えない貧乏領主の勤めはこれまでどおり。ただ、裏で仰せつかった仕事に腰を据えて取り組めていたからだ。


 今の俺は稀覯きこう本のコレクターという新たな『顔』を作り、国内のあちこちを飛び回っていた。


 ここ最近のヴォジェニ公がもっとも強い関心を抱いているのが『邪神』と呼ばれる存在だからだ。なんでも失われた国に伝わる化外の神、強力無比な力の持ち主なのだという。今の王国内では学問の対象というよりは、うさん臭い伝承の類として扱われていた。


 よって、いささかオカルトじみた蒐集趣味の者たちの話題にのぼる機会の方が多い。


 とはいえ、ヴォジェニ公は実際家である。俺に邪神関連の情報収集を命じつつも、邪神伝説を額面通りに信じている訳ではないようだ。


 ……これはゲーム本編の知識によるものだが、彼は本当にギリギリまで、『邪神』のことを古代の兵器や失われた大呪文のような、強力無比な武力の言い換えであると思い込んでいた節がある。彼の探し求めた召喚書『渾天大祈祷書』が掛け値なしの本物であると、俺たちヴォジェニ一派が思い知るのは、本来ならばもう少し後のことだ。


 そんな訳で俺が扮する『ビブリオマニアのコンラート氏』は、同好の士の間ではオカルトマニアだとか、ちょっとしたゲテモノ趣味の持ち主と目されている。


 とはいえ、色物あつかいも悪くない。例えば今日のように、有用な情報が入ることだってあった。




 主人へ来客を告げた召使が、重厚なドアを押し開けて俺に向けて一礼する。危うく返礼しそうになるも、貴族らしくないふるまいをどうにか堪えて足を踏み入れた。


 あらゆる窓には分厚い緞帳どんちょうがかかっており、照明もまた最低限に抑えられている。昼なお薄暗い室内にぼんやりと浮かび上がる壁は、奇妙な調子を備えた縞模様をしていた。――壁紙の図案という訳ではなかった。あらゆる壁が作りつけの本棚となっているのだ。


 そして本来は広々としているであろう室内のあちこちに据え付けられた飾り棚に陳列されているのもまた、書物の数々であった。


 そうした本・本・本の洪水のような空間を背負うように設えられたテーブルセットには、ここだけ煌々と灯りがともされていた。火の気を嫌ったためだろう、魔法の照明を用いた読書灯を設置したデスクの向こう側、豪奢な椅子にちんまりと腰かけているのは小柄な若い男だった。


 俺の顔を見た途端、彼はバネ仕掛けのおもちゃのようにその場から立ち上がる。


殿!」


 彼は王国内でも指折りの商会の次男坊だ。そして、膨大な暇と財産をおよそ本と名の付くものにつぎ込む書物狂としても一部で有名な存在だった。


 俺は彼のすすめられるまま向かいの席へ腰を落ち着けると、手を組んで身を乗り出す。


「興味深いお手紙をありがとうございます。――して、『ゾルターン・コレクション』の一部が放出されるという話ですが」


「ええ! ボクが最近、博物学にちょっと熱をあげてるのはご存じでしょう? それを知った馴染みの古物商が情報をよこしましてねェ。しかし、ゾルターン氏といったら、そのォ……」


「ええ。正規の学者でないし、どちらかといえば山師の類ですね。あなたのご趣味とは違いますでしょうに」


「そうなんです! ボクの好みからはちょっとばかし外れてましてェ――ですが、『ああ! これはまさにコンラート殿のご専門じゃあないか!』と思い至って、こうしてお報せをね」


「ありがとうございます! 彼に直接ゆかりのある物は、滅多に市場に姿を現しませんから」


 ゾルターンは、言うなれば山師の盗掘家だ。いっぽうでは冒険者のはしりのような人物とも目されている。何しろ彼の狩場は様々な未開の地である。国内外の様々な未踏の地に足を踏み入れては見聞記をしたため、時には発掘品を持ち帰ることもあった。


 毀誉褒貶はあるが、考古学上は無視しがたい。そんな立ち位置の人物である。


 彼が冒険の過程で各地から収集した珍品や記録は、総称してゾルターン・コレクションと呼ばれていた。しかし晩年の彼が金に困ったこともあり、今では大半が散逸している。


 そしてこの件においてもっとも重要なのは、生前の彼が『邪神崇拝の神殿を見た』という証言を残していることだった。この神殿こそが、件の邪神召喚書『渾天大祈祷書』が奉納されている巨大な迷宮の入り口なのである……というのは、現時点ではゲームのプレイヤーであった俺しかあずかり知らぬことだ。


「それで、その……実際に出回る品の情報というのは掴めていらっしゃるのですか? ああいや、お答えは差し支えなければで結構ですが!」


「いえいえ! コンラート殿にはオペラの台本を譲ってもらった御恩があります。そのうえ主演のサイン付き! そんなことをお答えするくらい、お安い御用ですよォ。なんでも、直筆の手帳だそうですよ!」


 ビンゴだ。『ゾルターンの手帳』といえば、前世の記憶にも刻まれている。


 と、いうのもゲームの中で登場するアイテムだったからだ。こいつを入手することで、地下迷宮の入り口が出現する。というか、マップ上にダンジョンの入り口が表示されるフラグが立つ。


 俺の生きるこの世界の尺度に照らし合わせれば、広大な密林のどこぞに存在する入り口の在り処が記されている、ということだ。残念ながら、具体的かつ詳細な位置を示せるほどの鮮明な記憶は今の俺に残されていない。何にしても手帳の現物をあらためる必要はあった。


 俺が眼の色を変えた――正確にはそう装った――ことに、相手も気づいた様子だった。今度は彼の方が、こちらへ興味深げに身を乗り出す。


「コンラート殿がそんなに食いつくとなると、よほどのレア物なんでしょうねェ?」


「いえ、そういう訳ではないでしょう。関心を持つ者以外には、さしたる用もない代物です。ただ……」


「ただ?」


「邪神の伝説に少しでも関わるものは、何でも手に入れたい。私はそんな、奇妙な手合いの一人というだけです」


「……フーム」


 重々しく言い切った俺を目の当たりにし、書物マニアは目元を糸のように細めた。金彩を施した丸眼鏡のフレームが冷光を反射してきらりと光る。


 俺は暇乞いも早々に書物マニアの館を後にした。必要な仕込みはまだまだ残されている。


 とはいえ、首尾は上々だ。……今のところは。

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