第32話 じじ抜き密談録
そして、新月の夜。
明かりを手にした者に先導され、一人の男が少数の護衛を伴って姿を現した。白髪交じりの頭と皺の目立つ顔つきは彼が相応に歳を重ねているのを示している。この場に赴く偽装のためだろう、その服装は良く言って隠者か何か、言葉を選ばずに述べれば浮浪者も同然だった。会談にあたって顔と髪、そして手だけは拭い清めて来たのだろう。髪の毛にはまだ湿り気が残っていた。
彼こそが王国の主、レオシュ国王だった。ぼろを纏っていても、王冠を戴いていなくとも、その振る舞いからは威厳がにじみ出てしまっていた。
俺はロマナンもといハヴェル……いや『紙』――ええい面倒くさい! ロマナンだ、今後も俺はこいつをロマナンと呼ぶことにする――ともかく掲星党のリーダーの肩越しに王の姿を目にした。率直な感想としては「本当に来たか」というものである。
両者は儀礼的な挨拶を交わすと、即座に席に着く。話を切り出したのはロマナンからだ。
「私は貴方に汚れた取引を持ちかける」
奴はマネジメントしているプロジェクトが炎上してそろそろ三か月が経ちます。鎮火の兆しはありません。といった面で言った。対する王は深々とため息を吐いている。残業明けの、くたびれ果てたサラリーマンかなにかのように。あるいは会社が傾きかけている社長もこんな顔をする日があるのだろうか?
顔を上げた王は無言で先を促した。ロマナンは頷きかえすと言葉を続ける。
「今ここで『この国で一番悪い奴』を決めましょう」
「……その者をどうするつもりだ?」
「そいつの首で、戦を手打ちにします。ええ、この内戦には何らの益がありません。誰もが止めるきっかけを探しているんだ。……もちろん、自分たちが泥をかぶらないような形で、ですが」
王はふと窓の外を見やった。降るような星空。前線を遠く離れたここには戦火の気配も届いていない。
「会談に応じた身ではあるが、言わねばなるまいな。戦と題する幕を切って落としたのは、そなた達、掲星党であろう」
「我々主流派の本意ではなかった! ……工作があったんです」
「ふむ?」
「党の過激派と、ある上位貴族との繋がりがあった。その人物の扇動によるものだと裏も取れましたよ。……彼の名はズビシェク・ヴォジェニ」
王の眉がぴくりと動く。今のはテーブルに乗せるべき首の提案だ。それを察知したらしい。
「そうです、王よ。貴方の親類であり、国内きっての大貴族だ」
「……真偽は問うまい。ことを収めるにはそれしかないだろうな」
王は腹を括ったらしい。決まった流れに今更異を唱えるつもりはないようだ。
とはいえ、ヴォジェニ公の行動は端的に事実でもある。俺は重々しく言葉を交わす両者を注視しつつも、思考を遊ばせ始める。
俺のような小人物としては、此度のヴォジェニ公の行動の意味がどうしても気になった……ので、自分なりに調べて考察してみた。そうして辿り着いた『何故ゴリゴリの保守派であるヴォジェニ公爵が彼ら言うところの反乱軍である掲星党へ支援を行ったか?』という謎の答えは、こうだ。
ヴォジェニ公には野望がある。この王国を
そんな彼にとって掲星党の存在は渡りに船だった。ヴォジェニは裏から手を回し、支援者を装って過激な一派の行動を煽り、その過程で国を荒らしてみせた。
何のために? 王の権威と裁量を削ぎ、自らの権力を拡大させるためだ。なんなら傀儡の王でも立てたいくらいなのだろう。そういう意味でも、この争いはヴォジェニ公のような体力旺盛な高位貴族にとって必ずしも損に働かない。
王と貴族の間には利害対立がある。掲星党はこの力学に絡めとられ、まんまと利用されたという訳だった。
誤算があったとしたら、掲星党が想像以上に健闘してしまったことだろう。『黄表紙』は単なる貴族の走狗ではなく、彼自身の信念に従ってヴォジェニ公をも利用しようと立ち回ったようなのだ。いかなる言いくるめによってか【銃】の大量生産に踏み切らせたのも彼の指示によるものだった。
おかげで内戦は泥沼化し、『黄表紙』ならびに彼に付き従う構成員たちは丸ごと死兵と化した。
……とまあ、こんな顛末だろう。ヴォジェニ公と彼のブレーンは、いわゆる共和革命の秘めたるパワー、そして時勢をほんの少し見誤ったらしい。
いっぽうの俺が相応に知った口をきけているのは、前世でこっそり読んだ母の蔵書――某大河少女漫画のおかげだ。男装の麗人が主人公でフランス革命についてもガッチリ描写されている、アレだ。あと、後年に読んだ劇画調のナポレオンの漫画も補助線となってくれている。
俺の暮らす国も、ちょうど近世の西欧と同じような転換期に気付けば立たされていたのだろう。このままだと行きつく先は暴力革命からの粛清の嵐だ。平和が達成されるまでに俺は寿命を迎えることだろう。そもそも天寿を全うできるかも怪しい。
何かを変えるなら今が最後のチャンスだ。王と民の代表が直に会談に及んでいる、この夜が。
そして話の流れは、私欲によって王国を危機に陥れたヴォジェニ公を生贄とすることでまとまりつつある。
(俺の臣従もここまでか)
仕え甲斐のある主とはとても言えなかったし、なんなら始末されかけた身ではあった。しかしあまりスカッとした気分になれないのは、本質的には相応の重ささえあれば、どんな首が転がっても話は変わらないからだ。
ヴォジェニ公は、単に王家と掲星党に出し抜かれただけだ。……俺の手引きによって。
俺の処遇にしても今後は不透明だ。あるいは功績を称えられるのかもしれない。が、平気で主君を裏切る者として卑怯者のそしりを受ける可能性だって同じくらいあった。
まあ、それでも果たすべき責任はある。俺が歴史を変えてしまったがために、現状があるのだから。これで少しは報いになったろうか。
ヨシュやダナや、アラン、それに掲星党で一時顔を合わせた面々。俺の介入によって少なからず人生を変えられてしまった人々の顔が浮かぶ。――何より、パメラが少しでも安楽に過ごせるのなら。まあ、いいさ。
ふと気付けば、ロマナンとレオシュ王が俺を見ていた。
「ええと、何か?」
「――君の身分を明かさせてもらった。事前に聞かせてもらっていた通り、ヴォジェニの悪行について証言をしてもらえるんだよね?」
ロマナンの問いに俺は頷いて返す。
「ああ、そうだ。この国に証人保護の観念があるかはわからんが、俺自身が手を下した悪事の責を問わないと約束して貰えたら有難いがね」
「……其方の身は全力で保護させてもらう。でなければ、ヴォジェニ公の喉元まで刃を届かせることは叶わない。なにより……」
王はそこでやや表情を和らげる。
「君と君のガールフレンドは、我が妃の大事な友であるからな。この会談は君の手引きによって実現したとも、彼女からよくよく言い含められている。約束しよう、悪いようにはしない」
――悪役貴族一派の俺を、王妃の友と呼ぶとは!
この場の全員が悪漢だった。誰しもが後ろ暗い事情を抱え、暗い密約を交わすためにここに居る。
何故か? 知れたことだ。これ以上の血を流さないため。戦を止めるために、俺たちは最後の血と泥を浴びる共犯者となる。
親類を切り捨てる国王。既得権益者と取引する思想家。上司を売った木っ端貴族。
それら三者が決めたのだ。停戦のメインディッシュを私欲にかられた大貴族の首とすることを。
――しかして、豚のような大貴族の男もまた、そんな現状を黙って受け容れるはずもない。俺は程なくしてそれを思い知り……生命の危機に立たされるのだが、それはまた別の話だ。
「とっとと歩け!」
ドン、と背中を蹴られてよろめきながら歩く。ちょっと気取ってみたが、まあこういう始末だ。どこから聞き及んだのか、俺がキーマンとなって動いたことをヴォジェニ公は敏感に察知なされたらしい。そしてとっ捕まって今に至る、という訳だ。
こんな瀬戸際に立たされて尚、かつての俺の
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