第31話 待ち合わせの顛末

 『ザ・ペーパー』、またはロマナン――そして本名をハヴェル・モルナール。ある時は掲星党の長、そしてまたある時は俺の部下(まあ、偽だったが)、とまあ随分と様々な姿で俺の前に現れた奴だ。そしてその一方で、奴には常に一貫した特徴もあった。


 目だ。


 かつてその瞳を輝かせていたものに名を与えるなら、好奇心あたりが相応しいだろう。それが随分と様変わりしたもんだ。


 それなりの小細工を弄してようやっとテーブルに差し向かいまでこぎ着けた現場で、俺はため息を噛み殺す。


 視線の堅さと削れた眼光は、むしろ『黄表紙』を思わせるものだ。


 こんなにも奴の影響を受けたきっかけは推察するしかない。が、掲星党の内部で粛清の嵐が吹き荒れていることと無関係ではないだろう。


「今更、何をしに来たんだい?」


 険しい表情を隠しもせず、ロマナンが詰問する。


 今更、今更か。先だってアランへ投げつけた言葉がよみがえる。俺の口の端は自嘲に押し上げられ、笑いの形につり上がった。


 取りかかるのが遅かろうが早かろうが、やるべきことは去ってはくれない。俺がここにいる理由は、ただそれだけだ。


「なに、ちょっとした会談のセッティングをするために」


「話し合いの段階はとうに過ぎた!」


 あんたが? それを言うのか?? 俺の視線に込められた意味合いを正確に受け取ったらしいロマナンは苛立たしげにため息をつく。


「――掲星党ウチの内情は?」


「『黄表紙』の件についてなら、何も知らないに等しいな」


「ああ……仇は取ったと返すべきだろうね?」


 俺はただ肩をすくめて返す。やはり、始末されていたらしい。それも恐らくは彼に近しい者か……さもなくば彼自身が手を下したのか。憔悴ぶりを見るに、どちらの可能性も充分にあり得そうだ。


「奴もヴォジェニ派の手先の一人だ。俺が溜飲を下げる日はまだ先だな」


「……というと?」


「先祖代々仕えてきた派閥へ背信行為する腹が決まった。つまりはあんた等――掲星党の本流に味方するってことさ」


 ロマナンがわずかに身を乗り出す。そこからは、やや関心を抱いているという非言語メッセージが伝わってきた。……とはいえ額面通り受け取るわけにもいかないだろう。奴が海千山千の人物なことに変わりない。


 つまるところ、向こうのエンジンにもようやっと火が点いたらしい。


「会議一発で現状をひっくり返す手があると言ったら、あんたはどうする?」


 そうして両者が額を突き合わせての打ち合わせが始まる。ある企みについての。




 避難民の列の只中でじりじりと前進する。傍らでは帯剣した女性たちが絶えず目を配り、俺たちを誘導していた。目指す先にはもうもうと湯気が立ち、周囲に漂う焦げ臭さや垢じみた臭いを縫うようにして食欲をそそる香りがここまで届いた。


「スープは一人一杯。受け取ったものからビスケットの列へお並びを」


 女性騎士が告げる横で、職人然とした人物が大鍋に柄杓を突っ込んでは、突き出された椀やカップへ湯気の立つスープをなみなみと注ぐのを手早く繰り返していた。護衛兼誘導員の女性騎士のサーコート、彼女らの頭上を覆う天幕、料理人のエプロンに至るまでに山吹色の麦の円環が染め抜かれている。


 この炊き出しが、王妃マルケータの名のもとに行われている証だ。


 そして王妃の代理たる部下たちは体制派であれ、反乱軍の一味であれ、一切の分け隔てなく扱っている。


 こうした一連の振る舞いは王家のスタンスをこの上なく示している。『我らは貴族階級より臣民に寄り添う立場である』と。この動きがもう少し早ければ、あるいは、事態の収拾は容易たやすかったかもしれない。


 もっとも議会(実効的な役付きは高位貴族で占められている)との押し引きにさぞかし時間がかかっての今なのだろうが。


 俺は今、特に『顔』を装ってはいない。


 クレメント・ボロフカ自身が炊き出しにやってくること。……それが、先般コンタクトを取った、ある人物からの指定だったからだ。


 ――ぐい、と袖を引かれる。


 どうやら待ち人が来たらしい。さもなくばお尋ね者の俺を探す敵方であるか。俺は見極めるため、顔をそちらに向ける。そして、しばし呆けた顔で相手の顔を凝視してしまった。


「クレメント様……」


 見間違うはずもなかった。俺の腕を掴んでいたのは、パメラだった。


 彼女の襟元で光るマントの留め金を見て、俺はふたたびの驚きで気が遠くなった。麦を象ったブローチが曇り空の下で鈍く光っていた。持ち主が王妃の配下であると示す、この上ない証として。




 パメラにぐいぐいと引っ張って行かれた先は職員の詰め所だった。王妃付きの近衛団であるためだろう、行き交う者たちの殆どは女性だ。


 女所帯に薄汚いなりで混じるのはいささか気が引けた。が、彼女たちもまた額に汗して忙しく立ち働き、こちらに気を留める者は居ない。顔や手が清潔に拭われているのは食品を扱う役割の者たちばかりで、そんな彼女たちにしてもブーツには乾いた土がこびり付いていた。


 対面のパメラもまた、ほつれた髪が額に張り付いている。……しかし顔色は良さそうだ。そのことが俺を安堵させる。未だに何と話を切り出したものか迷っているが、それはもしかすると彼女も同様なのかもしれない。


 パメラが通りかかった職員に何事かを耳打ちする。程なくして、俺の前に無言で豆のスープが入った椀とビスケットが供された。


「あ。どうもありがとうございます」


「いえ……。まずは腹ごしらえから、どうぞ」


 お互いにぎこちなく言葉を交わし、俺は遠慮なく食事に取り掛かることとした。石つぶてのようにごつごつとしたビスケットを割って、スープに浸して口にする。今日初めての食事が胃の腑に染みわたった。


 スープは具だくさんで、ほとんど煮物といって差し支えない。椀の中で身を寄せ合う野菜と豆類を匙で掬うと、変わった色合いの豆が目に留まった。紫がかった黒色と骨のような白色の斑模様。これは確か……。


「ヤウ豆、ですね」


「ええ。クレメント様が贈った花、あれから採れたものだそうです」


 ようやっと掴めた会話の糸口を逃すまいと、俺たちはとつとつと言葉を連ねた。


「私にこうして今があるのは、お披露目のパーティーで王妃様とお会いできたからなんです」


「そうだったのですか」


 なんとも懐かしい。王妃に取り入るため、彼女にも協力してもらった一件は、もはや遠い昔のようだった。


「ええ。ですので、あの方に多少なりとも気にかけられている方に、私は賭けました」


「……賭け?」


「ええ。私自身を売り込むために」


「だ、誰に?」


「ですから、王妃様にです」


 一瞬遅れて彼女の言葉を理解する。手元から注意が逸れて、持ち上げたばかりの匙からスープがだばだばと器にこぼれて行く。


「こんなご時世だからでしょう、王妃様は私の求めに応じて、仕事をくださいました。そればかりか保護も。……この御恩は返しても返しきれるものではありません」


「ま、待ってください。それではまるで貴方が女王付きの近衛にでもなったかのような」


「いえ? 正規の騎士という訳ではありません」


 そう言うとパメラは、自らのまとったマントの端を摘んでみせる。


「この格好は場に馴染むためのものです。ブローチもメッセンジャーを仰せつかった際にお借りしました。ちょうどいい目印になりますから」


「では、普段は何を?」


「……」


 彼女は俺の顔をひたと見据えると、ただ肩をすくめてみせた。『察してくれ』ということだろうな。詳細を部外者に話すような真似はできない(俺自身が、もはや彼女の人生の輪の外にあるという事実は少なからず胸の痛むことだった)。とはいえ、彼女の適性を鑑みれば見当もつく。恐らくは隠密の類か、何らかの工作活動も含まれるだろうか。


 なんにしても、表沙汰にはならない類の仕事を請け負っているのは想像に容易かった。


「――私も、掲星党側のメッセンジャーが貴方だとは思いませんでした。クレメント様」


 そう、だろうな。


「色々あったもので」


 お互いに、そういうことなのだろう。オペラ座で、自宅の応接間で、悪だくみの片棒を担いで貰ったあの日々から随分と隔たった場所に俺たちは居た。埃っぽいバックヤードで、土の上に直に据えられた素っ気ない作業台を挟み、陣幕の隙間から瓦礫が垣間見える、そんな中に。


「正直、聞きたいことも話したいことも山ほどあります。が、時間が惜しい。早速ですが、そちらのお返事を聞かせてください」


 俺は空になった器に匙を置くと、改めてパメラへ――王妃の名代へと切り出した。


「ええ。王妃様はそちらの提案を受け容れました。王様にも話は既に通っています」


 流石の仕事の早さだった。有難い限り。


「王は次の新月の夜にでしたら、まみえられると」


「……五日後か!」


「『速度は強さ』だ、そうです」


 なるほど、違いない。俺は改めて彼女へ問いかける。


「では、こちらの提案に乗り気である、ということで合っていますね?」


「ええ、その通り……」


 パメラは次の言葉を発することを一瞬だけ躊躇した。が、結局のところは背筋を伸ばした姿勢のまま、俺を真っすぐに見据えてこう告げる。


「王は、掲星党の長との会談に臨みます」


 俺の背筋にぞくぞくと寒気が走る。


 もう後戻りはできない。ここから先は走れる限り走るだけだ。――どこかしらの勢力が倒れるまで。

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