第30話 デッドロックの思い出

 霞がかかった月の周囲に光の輪が浮かび上がっていた。雲の流れが早い。地上もまた、同じだ。春の盛りには不似合いな大風の只中、私は拠点へと急いだ。絶えず吹き付ける風が砂埃を巻き上げている。砂は衣服のあらゆる隙間から忍び込んだ。


 私は微かな苛立ちを無視しながら歩を進め、廃墟に偽装した隠れ家に身体を滑り込ませる。


「――パメラ!」


 全身にまとわりついた砂を払っていると、父が大股に歩み寄ってきた。顔中に刻まれた傷跡がぐにゃりと歪む。これが彼にとっての満面の笑みだ。どうしようもなく凶暴な、けれども私にとっては見慣れた笑顔。


「哨戒から戻りました。異常はありません」


「ご苦労。では、休んできなさい」


 父の勧めに従い、私はその場から下がる。振り向いた彼の背中越しに、テントの奥に据えられた大テーブルが見えた。兄たちが卓上の地図や駒をあれこれ指し示しながら何事かを話し合っている。


 胸のつかえを取るように、肺に満ちた空気をほうと吐いた。私は、幕に囲われた一角――女と怪我人に宛がわれた片隅――へ向かう。


◇◇◇


「――さて。マイルズは助け出せた。無事に……とはいかねえが、少なくとも息はある」


 親父殿の総括に、俺と長兄――トバイアスは無言で頷く。これで後戻りはできなくなった。監獄に攻め入り、ヴォジェニ派の息がかかった監理をぶちのめした挙句にどさくさ紛れに三男を助け出したのだから。


「俺たちは晴れて、飼い主に背いた犬ころとなった訳だ。ぼやぼやしていたら叩き殺されるのがオチだろうな」


 俺の皮肉にも動じる気配はない。とはいえ、背後に控えていた弟共がにわかに騒ぎ始めた。


「つったってデクスター! マイルズは拷問までされてたんだぞ! ここまでされて黙っているいわれはないだろう!?」


 四男のシオドアが息まいている。俺は奴の顔を『手前にはがっかりだ』の表情で見つめ返してやった。声がでかいんだよ。ようやく助け出した三男マイルズがすぐそこで寝息を立ててるっつうのに。


「よ、止してくれよデクスター」


「兄さんを付けろ」


「……デクスターの兄貴」


 まあ、よし。俺は頷き返すとシオドアから視線を外して親父殿と兄貴……長兄のトバイアスを順繰りに見やる。


「まあ、俺としても落ち目の上位貴族と手を切るいいきっかけになったと思うぜ」


「……そんなんだからカタギにかぶれたって言われんだよデクスター兄さん」


 お前はそうやって存在感を出そうとするんじゃねえよ。五男のヒューゴーの茶々に渋い顔をしていると、親父殿が鼻を鳴らした。


「ヒューゴー。お前、デクスターの働きと左目に同じことが言えるのか?」


 俺としてもそこを突かれるのは痛いんだが。顔面の左半分、布地を巻いたそこに俺は思わず手をやった。我ながらヘマをしたもんだ。俺の左目は掲星党の手練れの命と引き換えに失われていた。実際、この場に真の意味で無傷で立っているのは親父殿(指揮官だからな)とトバイアス(こいつは単に化け物じみてやがるせいだ)ぐらいのものだ。


 事態が落ち着いたら義眼でもこさえなきゃ、おちおち客先にも出られん。そんな日が来るかはともかくとして、だ。


「――なんにせよ、だ。俺たちはもはや後戻りできない道へと至った訳だが、今後の方針はどうするんだ? そろそろ早馬が向こうに届くころだ」


「おいおい、厩は抑えたし伝令も潰してるぜ?」


 シオドアが騒ぎ、ヒューゴーも頷いている。


「お前ら素人か? 最悪を想定して動けってんだよ」


「あ~あ、デクスターの兄貴は心配性だなァ!」


「違うぜシオドア。俺らを信用してねえんだ」


「……シオドア、ヒューゴー。落ち着け」


 トバイアスの一言で、弟どもは即座に黙り込んだ。いかなアホ二人も、動いて思考する殺人経典の機嫌を損ねるのは避けたいらしい。


「で、どうなんだトバイアス」


「兄ちゃんをつけろ」


 ……嫌なこった! お互いいい歳こいて。俺は聞こえなかったふりをする。


 たっぷり数分の時間が経過し、諦めたトバイアスがため息をつくと改めて口を開いた。


「『掲星党』と話をつける」


 おいおい、どうやってだよ。と、咎めようとした所で俺は思い至った。


「連中の探し求める首級くびを手土産にすると?」


 トバイアスが重々しく頷く。あんた口下手過ぎるんだよ。弟どもがぽかんとした顔つきのまま固まっているじゃないか。……仕方ねえな。俺は噛んで含めるように奴らへ説明をし始める。


「マイルズがヴォジェニの手勢に捕縛されていた理由を思い出せよ。連中にとって不都合な情報をあいつが握っちまったせいだったろ? で、奴がぶっ倒れる寸前にその原因を教えてくれてたじゃねえか」


 そこまで告げて、シオドアとヒューゴーにも合点がいったようだった。


「確か『掲星党』に武器の納品をしたと言ってたな!」


「それも、窓口になったのはあいつの配下なんだろ? ……えー、黄色……黄色い……犬じゃねえし花じゃねえし」


「馬鹿野郎『黄表紙イエローブック』だ。『足長』っつったらそいつが引き入れた子飼いのチンピラだ。繋がりは明らかだろう」


 俺の訂正にもヒューゴーは怯まない。


「つまり、アレか! 『掲星党』にはヴォジェニ公爵の息がかかっていて、直接繋がってるのは『黄表紙』ってことか」


 まあ及第点だな。返答は親父へ譲ることにする。俺の目くばせを受けて、親父殿は大きく頷いた。


「そうだなァ。連中の声明文の裏取りをしてみりゃ、連中はまったく素直な物言いだったさ。この内戦は『黄表紙』の暴走が招いた結果で間違いない。『掲星党』の上層部じゃ頭を抱えてるとよ」


 で、トバイアスの発言に立ち返る訳だ。


「……大半の武闘派は『黄表紙』に着いて出奔したようだ」


「で、そいつらと俺たちはやり合う訳だ」


 俺の発言に弟共が色めき立つ。


「どうせどっかの都市に潜伏してるんだろ? 市街戦なら俺たちに分があるぜ!」


「だが、その裏切り者の元締めを捕まえてどうする?」


「そいつの身柄を手土産に『掲星党』の軍門に降るんだろ」


 が、俺の言を聞いた途端、二人してぎょっとした顔でこっちを凝視してきやがった。勘弁してくれ。俺だってもろ手を挙げて賛成したかねえよ。


「いくら方々で騎士団を押してるっつったって、本当に連中に先があるのか? 市民階級に地位を与えるだなんてまともな発想じゃねえ」


 ヒューゴーの疑わし気な言葉に、シオドアも頷いている。


「どころか、議会の参加権までよこせとよ。俺自身、正気の沙汰とも思えない。が、投機っつうのはどっかでリスクを背負いこむのが常だからな。肝要なのは許容できる一線をどこに引くかと、『張る』と決めたら腹をくくるこった」


 そしてそれを決めるのはシオドアやヒューゴーといった下の兄弟ではない。決定権を持つのは頭目である親父か、さもなくば跡継ぎ息子のトバイアスだ。


 ならば後継ぎのスペアであるところの俺の役割は? まあ、ちょっとした憎まれ役だ。例えばこういう部分に釘を刺すような。


「一応聞くが、マイルズを差し出せば忍従の道に戻ることもできるぜ」


 トバイアスは無言でこちらを見つめ返す。『がっかりだ』の顔すらしないのが癪だな。自明のことを聞くなとでも言いたげだ。


 まあ、そうだよな。家族に手を出されたのでは黙っちゃおれない。貴族から犬のそしりを受ける俺たち共同体の、それは絶対の教条ドグマだ。


 俺たち一家の一員に迎え入れたならどんな末端であれ『家族』と呼び、そいつが命と身体を張る限り、俺たちは絶対の庇護を与える。『家族は決して見放さない』というルールが、俺たちを血よりも濃く結びつけているのだ。


 ……まして頭目の血縁者に手を出された以上、俺たちに取り得る道はひとつきりだった。でなければ、今度は配下一同が俺たち親兄弟に牙をむく。そういった瀬戸際に我が家は立たされている。


「デクスター。知恵を貸してくれ」


 おいおいなんだよトバイアス。らしくない物言いじゃないか。


「商会を仕切っていたのはお前とマイルズだ。市井の空気を誰より掴んでいたお前に意見を乞いたい。俺たちの進む道は本当にこれだけなのか?」


「まあ、二手に分かれるのが常道ってもんだな。そうすりゃどっちかは生き残る」


 ならば、と親父殿が話を継ぐ。


「差し当たって俺とデクスター、そしてトバイアスに分かれるのが筋だろうな」


「「俺らは!?」」


「後でくじでも作って引いておきなさい」


 トバイアスは弟共へ端的に命じ、俺に向きなおる。


「二手といったが、当てがあるのか? さっきも言ったが、ヴォジェニ派から離脱するのは決定事項だ」


 俺は肩をすくめると、父と兄弟たちの顔を見渡した。


「――――なら言わせてもらうが、二手に分けるとしたら、パメラと俺たちだ」


◇◇◇


 物事は公平に見なければ。私は家族から大事に扱われている。危険から遠ざけられ、なるべく傷つけられないよう気遣われている。それが私自身には何らの期待もされないことの裏返しであっても、事実は事実として取り扱うべきだ。


 言うなれば私は、猟犬一家にあってリボンをかけて贈られる子犬だった。家同士の繋がりを保つ結び目と言い換えてもよかった。爵位を得ることはハーディ家の悲願だったからだ。


 しかし状況は大きく様変わりしてしまった。あのままでは、彼も破滅の道に引き込んでしまうことになりかねない。だから、去らなければならなかった。


 帰参した判断を間違っているとは今でも思わない。例えようもない淋しさには、これから長い時間をかけて慣れていかないとならないけれど。


「マイルズ兄さん、具合はどう?」


「……パメラか……」


 寝る前にと思い、マイルズ兄さんを見舞った。簡易寝台に横たわる彼に施された手当は、必要最低限のものだ。全身のほとんどを覆う包帯には血や漿液が滲んでいる。


 ここでは清潔な布地も高熱を押さえるための薬も、何もかもが足りない。


「悪くない気分だ。少なくとも、牢にぶち込まれてあれこれ痛めつけられた頃に比べりゃ天国さ」


「比べる先がおかしいってば」


「本当だって! ありがとうな、お前のおかげだ」


 マイルズ兄さんはいつもこうだ。兄たちの中でもとりわけ朗らかで、人を良く見ている。……だから、こうして私が一番欲しい言葉をくれるのだ。


「――邪魔するぞ!」


 デクスター兄さんが出し抜けにやって来たのは、その直後だった。一声かけてから、間仕切り代わりの陣幕をぱっと捲って足を踏み入れてくる。てっきり、マイルズ兄さんに用があるのかと思って、私はその場から退こうとした。


 ところが、デクスター兄さんの右目が見据えているのは、どうも私の顔なのだった。




「ヴォジェニ派に保護を求めよと?」


 デクスター兄さんの発言をおうむ返しすると、兄さんは辛抱強く頷き返してくれた。


「幸い、お前は一家のから距離を置いている。そのことを話してヴォジェニ公爵の慈悲を乞うといい。女には女の役回りがあるから悪いようにはされないだろう。俺たちの内情なんていくらでも話して構わんから、お前は生き抜くことだけ考えなさい」


 理解はできる。これは血を繋ぐための苦肉の策だ。私は恐らく、後ろ盾を失った哀れな娘としてさしたる障害もなく受け入れられるだろう。その後は、派閥内の貴人の使用人になるか、はたまた『ハーディ』という一族の性能を得んとする何者かの愛人に収まるか。


 どちらにしろ、生きることなら充分に可能だろう。けれども、家族とはここでお別れだ。


 兄さんの言うことは正しい。何の間違いもない。


 だけれど、こめかみがどくどくと脈を打ち、両手を知らず知らずのうちに固く握りしめていた。私の中の何かが吠え猛るのを必死で押しとどめるように。ここで怒ろうが泣きわめこうが、事態は何も変わりはしない。……だけど。でも。


「――なあ、デクスター兄ちゃん」


 不意に、寝台の上のマイルズ兄さんがゆらりと腕を上げた。私は荒れ狂う自省から目を覚まし、弾かれたように彼に駆け寄って屈みこむ。デクスター兄さんもゆっくりとした足どりでそれに続いた。


「マイルズ兄さん?」


「兄ちゃん、さしずめカタギ視点の判断でも仰がれたんだろうが……そりゃちょっと違わねえか、なって、俺は思うんだ」


 私が背中を抱え起こすと、マイルズ兄さんはぜえぜえと荒げた息の下から語り始める。


「無理に喋るな」


「いいや――言わなきゃならんことはまだある。本当の意味で犬小屋の外を知ってるのは、案外パメラだけかも知れんぜ」


「まさか婚約の件を言ってるんじゃないだろうな!?」


「まさにその件だよ、聞けばあの青年について色々と仕事をこなしてきたんだろ? なあパメラ」


 マイルズ兄さんの手が私の腕を優しく叩く。


「マイルズ!」


「使えるものは何でも使うべきだ。俺たちにもう後はないんだから。……俺がヘマをやっちまったせいなのは、まあ、謝るからさ」


 マイルズ兄さんの力ない笑い声に、誰も続こうとしなかった。デクスター兄さんは殆ど怒気のような緊張感を漂わせながら私たちを見つめている。


「パメラ、よく思い出してごらん。なんでもいい、知恵でもコネクションでもなんでもいい。思い出を取っ掛かりに、よく考えろ。この状況を打破できる何かを、探してみな」


 デクスター兄さんが枕元の瓶を手に取った。


「喋り過ぎだ! ……いい加減寝ないと本当に危ういぞ」


 マイルズ兄さんもそれ以上の抵抗はせず、鎮静効果のある水薬チンキを大人しく口に含んだ。程なくして深い寝息が聞こえてくる。私はマイルズ兄さんへ薄い毛布を掛け直してやりながら、先ほど告げられた言葉を幾度も噛み締めていた。


 クレメント様との思い出? そんなもの、いくらでもある。こめかみがずきずきと痛む。特にここ数年は、また色々なお誘いを受けることも増えてきて、私は……本当に嬉しかったのだから。鼻の奥がツンと痛くなる。彼と共にあれることが、彼のために剣を振るうことが、どんなに嬉しかったか! 


「――!」


 不意に、脳裏に浮かんだのは可憐な黒い花弁だった。そうだ、を思えば、私に取り得ることはまだ残されている。


「……デクスター兄さん」


「なんだい」


 寝台から立ち上がった私が呼びかける。応じるデクスター兄さんの表情は苦々しいものだが、少なくとも話を聞いてくれるつもりはあるらしかった。


「言いつけに従う。……だけどその前に、ひとつだけ試させて」


「……何を?」


 きっとあの方が今も詰めているであろう、薔薇色の離宮を脳裏に思い浮かべながら兄に告げた。私の心臓は力強く脈打ち、血潮が全身に巡るのがわかる。私は初めて、みずからの意思で確証のない道へ身を投じようとしている。


「王妃様に会いにゆきます」


 けれども、怖くはなかった。デクスター兄さんは皮肉気に笑って見せて……けれども、どこか晴れやかな口調で、こう言った。


「そりゃまたアホほどデカい賭けだな! 『無理に決まってる』という根拠なら百だって思いつけそうだ」


「『不可能』だって断言できるほどの材料もないはず。流石の私たちも、王家との取引は未経験だもの」


 正確には遠い昔、いち流民だった頃の先祖と、後の王家となるいち豪族の間柄だった頃まで遡るならわからないけれど。そして、そうした家の歴史を教えてくれたのは目の前のデクスター兄さんに他ならない。……なにしろ、トバイアス兄さんは説明が苦手だ。


 デクスター兄さんは「仕方ねえな」と呟いて、残された右目に鋭い光をまとわせた。


「お前に。馬を一頭分けてやるから、明日には出立しな。……その後、お前がどこに向かおうと俺たちには関知のしようがないがな」


 だから好きにするといい。そういうことなのだろう。そう悟った私は「ありがとう」とだけ返して寝支度に向かう。ここから王都までの距離を考えればできれば夜明け前には発ちたい。少しでも睡眠の時間を確保したかった。

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