第33話 悪役公爵の仕事おさめ

 ヴォジェニ公の悪事は白日の下に晒され、彼の罷免が決定された。下知と同時刻、特別部隊が彼の居城を急襲する。二者会談から数日後のことだ。


 しかし、十全な下準備によって割り出されたはずの彼の居所は、第五候補に至るまでの全てがもぬけの殻であった。ズビシェク・ヴォジェニは見事に逃げおおせ、行方をくらませたのだ。


 ……まあ、そうなるよな。彼の影響力からして事前に事態を掴めていないはずもない。元配下から言わせてもらえば見通しが甘いと言わざるを得なかった。王様よ、アンタは少々良いやつ過ぎるんだ。


 それがかれこれ一か月前のこと。そして現在の俺はといえば、そんなヴォジェニ公の潜伏先にいた。


 何故か? 王の保護下にあったはずの俺だったが、飯を運んできた男に突如として拉致られたからだ。居たらしいな、内通者が。そしてバレたらしい、俺が裏切り者だってことが。


「とっとと歩け!」


 ドン、と背中を蹴られてよろめきながら歩く。俺を引っ立てる間諜の男、それを見る騎士と思しき連中。影ながらヴォジェニ公に付き従う勢力はまだまだ多いことを示唆する面々。その眼差しが俺の全身に突き刺さる。非公式の場とはいえ、汚職から暗殺からヴォジェニ公一派の悪行を証言しまくったもんな。連中がお冠なのもむべなるかな、だ。


 間諜が俺の胸倉を掴んで憎々し気に告げる。


「――ここで貴様を殺したっていいんだぞ」


「が、そういう訳にもいかないんだろ? ここまで連れてこられたんだ、ヴォジェニは生きた俺に用があるようだからな」


「思い上がるなッ!」


 間諜が俺の胴をしたたかに殴りつける。道中でも服で隠れた部分は散々に痛めつけられていた。確かめる余裕はなかったが、恐らく骨の何本かがイカれている。


 そのまま地下の拷問部屋にでも転がされるのかと――そんな物があるかは知らないが、いかにも持っていそうじゃないか? ――思いきや、俺が通されているのは瀟洒な邸宅の奥の間だった。かつての俺の自宅よりはずっと大きいが、ヴォジェニ公のかつての居城からしたらあばら家のようなものだろう。


 昼なお暗い部屋はランプのか細い光に照らされ、影が不気味に揺らめいていた。


 重厚な調度品が揃っていたが、良く見れば型は流行おくれで、細かな傷が直されることもなく放置されている。机に向かう豚そっくりの男は小山のような体躯を折り曲げ、物憂げな様子で窓の外を見つめていた。中庭は手入れが行き届かず、伸び放題の枝葉で空が覆い隠されている。


 豚――ズビシェク・ヴォジェニが、俺に向きなおる。


「理由を」


「はい?」


「クレメント、理由を教えておくれ。お前は私の忠実な部下であったはずだ。それが何故、こんなことに」


 ――そっちが先に陥れてきたんだろうが! 瞬間的な怒りをなんとか抑え、しかし喉から漏れた反抗的なうめき声は止めきれなかった。縄を掴んでいる間諜が小突いてくる。ヴォジェニは片手を上げてそれを制した。


「縄を外してやりなさい」


「しかし……!」


 反射的に喰ってかかって見せた間諜へ、ヴォジェニは悲しげな顔をしてみせる。話はそれで終わりだった。間諜はぎくりと身をすくませ……慌てて俺の縄を切ったが間に合わなかったらしい。荒事慣れした様子の男たちが間諜の両肩と腕を掴んで、部屋の外へと引きずっていく。


 ドアが閉ざされる。くぐもった悲鳴。――沈黙。


「これだよ、クレメント」


「――何がでしょうか」


 ヴォジェニは物憂げな様子で俺に語りかける。


「私がいずこかを指し示す。すると、皆がそちらを向く。私が眉をひそめる。すると、その原因は取り除かれる。天の定められた決めごとに等しく、な」


「おっしゃる通りですね。我が家が所属していた派閥にとって、あんたは神にも等しい存在だ。それこそ、王よりも」


 俺が嫌味をたっぷりまぶしてへつらってみせても、ヴォジェニは意に介した様子はなかった。彼はこちらへちらりと視線を向けると、どこか晴れ晴れとした様子で「けれども」と言葉をつづける。


「クレメント、お前だけはその理から外れている。お前は自分の見たいものを見て、したいことをする。何故だ? お前の父に理由を求めるべきだろうか、さしたる後継者教育もできぬまま逝った、あの男へ」


 ……驚いた。ヴォジェニにはいつの頃からか、バレていたらしい。公言するはずもない俺の中身、現代日本に暮らしていた前世の記憶の持ち主であることを、彼は自身に対する反応だけで読み切ってみせた。


 それを知って、俺はどこか肩の荷を降ろせた気持ちで彼に相対している。


 例え敵対者であったとしても、この世界に理解者が居た。そのことに俺は安堵している。……まったく、恐ろしい話だった。


「いえ。の俺のありように父は関係ありませんね。俺はたまたま、知っていただけです」


「何をかな?」


「……天地が引っくり返ることもある、ってことを」


「そうか」


 それっきりヴォジェニは黙りこくった。彼が沈思黙考する間、俺はどうすることもできずにその場に立ち尽くす。しばらくの後、ヴォジェニはのっそりと身を起こして深々と椅子の背に身を預けた。


 不意にその顎が震え、「何が」とか細い声が発された。


「は?」


「何がいけなかったんだ。私は、ただ一心に務めを果たしていただけだ!」


 ヴォジェニは切々とした調子で声を張り上げる。彼は打ちのめされ、疲れ果て、怯え切っていた。涙すら流しながら、彼は訴えかけた。俺へ……というよりは、自らをこの場所へ運んできた運命か何かへ届けとばかりの大音声で。


「名を成し、格に見合う財を成し、高みへと至る。拡大と繁栄! それが、そうあれかしと望まれた私の役割だ。私は一心に勤め上げた! 誰よりも真摯に! その報いが『これ』か!? こんな、惨めな場所に追い立てられ、隠れ住むのが……正義はどこにあるというのだ!」


「――そうとも。アンタはひずみをモロに被ったろうし、そこに正義があるかは一考の余地がある。しかし、同情に値するかは別の話だ」


「お前が、それを言うのか……」


 ヴォジェニの哀れっぽい調子に、正直に言おう、俺は苛立った。何を今更、弱々しく振る舞って見せているのだ。確かに罷免を宣言されてからこちら、ヴォジェニ派からの離反者は少なくない数に上る。しかし、この通り支援者が全く失われた訳ではないのだ。


 依然、この男は油断ならない存在感を放っている。


 だというのに、当の本人がこの体たらくとは――! 


「そうだな、言わせてもらおうか」


 どうせ、これが最後だろうからな。俺は、自らが歯の間から唸るように発した声の剣呑さを頭の片隅で意外に思いつつ喋り始める。


「アンタにとっては降りかかる何もかもは自然現象か何かのようだろう。かしずく連中の一人一人の顔をまともに観たことが有るのか? 彼らの生活に思いを馳せたことは? 有るだろうな。有るんだろうよ、民のかまどを見るように。そこに価値を見いださないだけで」


 けれどもこの事柄は俺自身にもまったく当てはまる。これは告発の形を取った、ただの八つ当たりだ。似たもの同士の同族嫌悪。俺もこの男も、プレイヤー気取りという同じ罪を抱えていた。


 ヴォジェニが静かな口調で俺へと問いかけた。


「お前は、私に『優しくなれ』と説きたいのか?」


「違うね。ここに陽の光は届かず、正しさなんて一握り。そんな娑婆で俺たちが受けるべき報いについての話だ。お互いに運はないが、しかしこうなる蓋然性の種をずっと撒き続けて来たんだよ。日頃の行いって奴さ。そいつが、俺たちを収穫しにやって来た」


「ならば、私たちは何の報いを受けたと?」


「あまねく人間には意思と感情があるってこと、それぞれが願いを抱いて生きているってこと。その程度のことも忘れちまうから、こんな目に遭わされるんだ。アンタは遠からず処刑されて、俺はそれより前にアンタに始末される」


「……想像力の欠如は死に値する罪と来たか」


「想像というより、実感の話じゃねえかな。人間、骨身に染みなきゃなかなか真の理解には及ばない――誰だって、別に何か負わされた役割のために生きてる訳じゃないってことですよ。そこのところの理解が足りませんでしたね、お互いに」


 正確には、俺はその事実に指をかけるチャンスを得られていた。パメラやアラン、その他の様々な人々のおかげで。しかし遅きに失したのだろう。……この場を打開する可能性はあったが、それもまたか細い糸のような希望に過ぎない。


 それにしても、俺の偉そうな物言いに、ヴォジェニは特段の不審さを覚えていない様子だ。そのことが不気味でならない。このガチガチの身分社会じゃ、まずあり得ない事態だろうに。


 俺の胡乱げな視線を受けてか、ヴォジェニは愉快そうに笑った。


「フハハ! 散々に好き勝手振る舞ったかと思えば、途端に疑いの目を向ける。お前はどうしてそうも、くびきのない振る舞いができるのだろうな?」


 その顔から、怯えが拭い去られる。何かの確信を得たかのように、両の眼にふたたび力が宿った。ぎらぎらとした、何かを渇望するような。……尽きせぬ権力欲が灯る。


「お前が羨ましいよ。だから、私も『そうなる』ことにした」


 ふと、肘置きに預けたヴォジェニの手元に視線が吸い寄せられる。シワの一つもない、生白く、なめらかな皮膚。およそ労働とは縁のない、不気味なまでに美しい手指だ。かつては宝石つきの指輪でごてごてと飾られていたそこに、今ある装飾品はひとつきりだった。


 やけに古びた、奇妙な意匠の指輪。


 しかし、この曲線が奇妙に絡み合った文様は……。


「……それ、って」


「邪神と呼ばれる、外つ国の神格……いや、ここではないどこかからやってきた何か。この指輪はそれを降臨させるための神具だ。見覚えがあるかね?」


 そうとも。ヴォジェニの指に嵌められた装身具はあの祈祷書の中に記されていた文様とそっくりの装飾が施されていた。


 俺は唐突に理解する。


 あの神格は、この世界にいくつもいくつも似たような召喚具をバラまいていたのだ。そして派閥の中の何者かが、俺のような大冒険、ないし、裏工作を経てボスに献上していた。


 ――かくして事態はいびつに収斂する。当初に定められたのとはいささか形を変えて。


「私にまとわりつくあらゆるしがらみを取り払い、全ての主として君臨してやろう。平等に、人間らしく、何もかもを等価に……王すらを誅して!」


「よせ!!」


 哄笑するヴォジェニの身体が一気に膨れ上がる。彼の纏う皺だらけの豪奢な衣装がずるりと腐り落ち、青白い炎が上がってみるみるその身を包み始めた。


 狂ったような笑い声が次第に悲鳴に変わり、ごぼごぼと不明瞭な音に変わっていく。俺はその物音を背に、慌ててその場から逃れようとした。が、痛めた身体はいうことを聞かずにつんのめってしまう。


 部下たちが押し合いへし合いして部屋から出て行こうとする最中、俺の頭上を越えて、巨木のような何かが彼らを薙ぎ払うのが見えた。


 崩落した天井が身体に叩きつけられ、俺の意識は途切れる。

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