第34話 聖剣をめぐる冒険

 髪を切って正解だった。吹きすさぶ風に煽られながら、私は思う。長く伸ばして結い上げた髪を頭に載せたままでは動きづらくて仕方ないもの。


 王妃をするような(それも成人するような息子たちまでいる!)女が断髪したのはそれなりに外聞が悪い話だ。けれども、とやかく言う者は誰も居ない。


 それはそうよね。そんな事態じゃないもの。


 王城に建つ物見から王都、そしてはるか先までを眺め渡す。西の空には黒雲が渦巻き、時おり奇妙な軌道の雷が閃いていた。地から生じて天を衝く、逆さ向きの紫電。不穏な力の奔流が近付いていた。


 あの雲の下で、まもなく戦いが始まる。


 騎士団、近衛兵団、有志貴族の手兵たち、そして掲星党が橋渡しとなって組織された民兵団。それら混成部隊が王都を発って七日が経つ。皮肉なことに、この事態を前にして王国の全ての人々は真の意味で手を結んだ。


 王国の西部――ヴォジェニ公爵の勢力圏だ――に突如として現れた魔物モンスターの存在を王都が認知したのは、出現からしばらく経っての事だった。


 もともと秘密主義的な土地柄だったけれど、それ以上に現地の混乱が祟った形のようだった。どうやら、件の魔物は出現直後に領地の中枢部を徹底的に破壊しつくしたらしい。代官所が瓦礫の山になったという報せと一緒に、件の魔物の情報がもたらされた時、私は冗談かと思ってしまった。


 それは奇妙な姿をしていた。『館を一つ飲み込んだ、生ける大樹』という形容が、詩的なほのめかしでも何でもない、姿を素直に形容したものだというのだ。にわかには信じがたい事実だった。尚も奇妙なのは、ヴォジェニ公爵の私兵達がその怪物に付き従い、進軍していることだ。


 進路は一直線、障害物をもろともに飲み込みながら向かう先は、王都。もっといえば私や夫、レオシュの居る王城を正確に指し示しているそうだ。


 道も、地形も全てを無視した進軍は怪物側の手兵の損耗を何ひとつ考慮していない。破壊の跡には、どの勢力のものとも知れない死体が累々と折り重なっているという酸鼻極まりない光景が広がっているという。


 この王国は、これまでとはまた違った形の危機に瀕していた。けれども皮肉なことに、この事態にあって掲星党けいせいとうを通じた民衆と、王族との連携はこの上なく速やかに行われている。高位貴族ですら、協力を申し出る者は少なくない。


 非戦闘員の避難誘導も順調だ。けれども予想に反して、この場に留まる事を選ぶ人々は多かった。逃げ出した先に何もないことを悟っているのかもしれない。


 実際、見通しは暗い。この総力戦で押しとどめられなかったら、国の未来はないも同然だ。


 あの怪物がどこから来たのかは誰もわからない。けれど、怪物の使う雷撃魔術は公爵家当主にしか用いえない秘術によく似ているのは確かだ。ある学者はその事実をもってヴォジェニ公が同一存在であると断言している。本当に? 人があんな姿に成り果ててしまうことなんてあるのかしら。


 それが事実だとしたら、なんと悲しく恐ろしい出来事なのでしょう。


「――王妃様!」


 私が物見塔から降りてきたのと殆ど同時に、詰め所へ飛び込んでくる者があった。パメラ・ハーディ。最近になって私が召し抱えた、黒髪の女の子だ。私や近衛ではなかなか力の及ばない、諜報や潜入の仕事を請け負ってもらっている。


 そんな彼女が奇妙な申し出をしたのは、確か一か月前になるかしら。王が秘密裏に民と会談した、あの夜からそう遠くない時期のことだった。


『もしもこの先、が王国に出現したら、何も言わず旅立たせて欲しい』


 と、パメラさんは言ったのだ。……まるで彼女と、そしてだけがこの事態を予測していたかのように。今回の事態をもって、私は約束した通りに彼女を送り出している。帰参したのは前夜遅くのことだと既に報告が上がっていた。


「東への旅はどうでした?」


「万事つつがなく。出立をお許しいただき、本当にありがとうございました」


「いいのよ! ……例の怪物は今でも速度を変えず東へ移動を続けているわ」


「では……」


「ええ。貴方に改めて命じます。この事態を収めるために力を尽くしてきて頂戴」


 私は指輪を抜き取ると、パメラさんに手渡す。


「困ったらこの印章をお見せなさい。大概の融通は利かせられるはずだから」


「そんな――!」


「いいのよ、貸してあげる! その代わり、ちゃんと返して頂戴ね。これでも王妃様をやっているから、悪用されたらちょっと厄介なの」


 半ば強引にパメラさんに印章を握らせる。彼女は握りしめた手を胸に当てると、顔を上げた。その表情に、もう迷いは見られない。


「必ず戻ります」


「是非そうして。気を付けてね!」


 それきり、彼女は振り返ることなく去っていく。風のような子だ。その自由さが好ましくて、私は彼女の身元を引き受けることに決めていた。


◇◇◇


 うまやに立ち寄ると、既に馬を貸し与えてくれる算段がついていた。王妃様は私が出立することを予測していたのだろうか。


 好きな馬を選んで良い、ということだった。少し考えて、私は結局ここに来るまでに乗ってきた馬――デクスター兄さんから譲られた子を選ぶ。胴が太くて見栄えはしない。けれどもとにかく頑健で図太い性質たちだった。多少の悪天候や荒事くらいじゃひるまないように仕上がっているから、今から向かう先を思えば心強い。


「よろしくね」


 首元を軽く叩いて声をかけ、鞍へ飛び乗る。馬は地面の具合を確かめるように並足で数歩ゆくと、放たれた矢のように駆けだした。ひと気のない大通りを走り抜け、門から王都の外へ。はるか西方の黒雲を目指して馬を駆る。


(あの先に、彼が居る。おそらくは、きっと)


 クレメント様が行方をくらませたのと、あの怪物が姿を現したのは同時期だ。そこに関係を見いだすのは、そう突飛なことではない。同日に姿を消した近衛兵の一人が、恐らくはヴォジェニ派の間者だ。


 ぎりり、と唇を噛み締めてしまう。血が出ようが構わない。


 私が選んだ結果だ。彼を探すより先に、東方へ発つことの方がクレメント様の望みにかなうことだと、あの時判断した。だから、今は諦めない。悔いるのは全てが終わってからだ。


 頬に冷たいものが当たる。雨粒だ。嵐が近い。私はぐっと身を伏せて馬の横腹を蹴って合図を送り、一路、西の黒雲を目指して先を急いだ。


 不眠不休の三日三晩を経て、私は合同軍の前線基地へと到達する。私は首から下げた印章を掲げ、目につく人々に片端から声をかけて小高い丘の上に設えた急ごしらえの基地に文字通り飛び込んだ。人々が警戒するように立ち上がるのを、見かねて案内役を買って出てくれた古兵の方がとりなしてくれる。


「彼女は王妃様の名代です! どうやら将校に用があるようで……」


「いいえ……彼は貴族でも、騎士でもない」


 伝え聞くところによれば、彼の身分は平民のはずだ。私は息を整えると、身を起こして彼らへ告げる。


「――掲星党の関係者はいらっしゃいますか。アランという青年に取次ぎを!」




 現れたのは、思った以上に若々しい青年だった。決して幼い訳ではないけれど、まだ少年時代の面影が残っている。年齢もあるだろうけれど、きっとそれ以上に、彼はこの世の理不尽をまだ被っていないか――それに抗うことを諦めていないのだろう。


「どういった用向きでしょうか?」


 アランという名の青年は、訝しみながら私に問いかける。それはそうだろう、お互いに初対面なのだから。覚えのないまま呼び出され、出向いた先には見知らぬ女が待っていたのだ。不審に思うのも致し方ないだろう。


「クレメント・ボロフカからの伝言を預かって来ました」


「――!」


 けれども彼の名を出した途端、アラン青年の表情に真剣みが増した。どういう訳かはわからないけれど、二人の間には面識があったようだ。私は半ば安堵して話を続ける。


「私はパメラ・ハーディと申します。クレメント様の――ええと、知己の一人です。あなたにこれをお渡しするよう頼まれています」


 私はベルトポーチから目的の品を取り出す。ハンカチに包んだままなので、アラン青年も正体を図りかねているようだ。私は包みを解き、中身を両の手に捧げ持って彼へ差し出す。


 そこに載っているのは、くすんだ灰色の金属片だ。片手で握れるような柄に、申し訳程度の刃が取り付けてあるから、刃物と言い張れるような代物だった。剣というよりは子供が最初に与えられるような、小ぶりのナイフと呼ぶ方がまだ近い。


「王家所有の遺跡に安置されていたのを、許可を得て持ち出してきました。クレメント様は手紙の中で、これを『聖剣』であると示しています。そして、その唯一の使い手であるあなたに託すように、と」


「いや、ちょっと待ってください! どういうことですか?」


「時が来て相応しい使い手が振るえば、このナイフは剣へと変じるそうです。古代魔法で鍛えられた魔剣の存在はあなたもご存じでしょう? これもまた、その一振りと考えれば……」


「そ、そうじゃなくて! なぜ僕なんですか!?」


「……さあ……?」


 言われてみれば、そうなのだ。私もまた、何故彼でなければいけないかの理由は聞き及んでいない。てっきり、アラン青年本人ならば了解している何かしらの資格でもあるのかと思っていたのだけれど。


 私が首を傾げたっきりなのを受け、アラン青年は絶句していた。周囲で見守る無骨な面々も交えて、場には気まずい空気が垂れこめた。うーんと、これはもしかして、あまりよくない流れだろうか? 


 お母さまに散々食らったお小言がよぎる。「お前は愛想もなければ言葉も足らない。せめて片方だけになさい」と、折に触れて言われてきたものだ。その度に脱走して木に登っている場合ではなかったかもしれない。


「あの」


 沈黙を破ったのはアラン青年だった。


「僕はここから離れる訳にはいきません。部隊の指揮があるし、父の補佐もしなければ」


「それは世界を救うよりも大事なことですか?」


「そんな訳ないでしょう」


 アラン青年は即答した。そして、こう続ける。


「僕はむしろ、世界のためにこの場を離れないと決めました。それが僕らの国を、そして人々を守るための最善手だからです。……民兵と騎士や貴族の橋渡しができる人材って少ないんですよ。僕はこれでも王立学院の出ですから、多少の心得がある。そんなに出来は良くなかったけれど……」


「そう、ですか……」


 彼の言い分は地に足がついていて、もっともな内容だった。むしろ闖入者であるこの私が無理を通そうとしているのだ。それはわかっている。けれども、クレメント様の窮地を救えるのはこの世界で彼だけなのだ。クレメント様自身が、自分の身に何かあった時のために私に残した手紙によれば……そのはずで……。


「パメラさん、でしたっけ」


「はい」


 不意に話しかけられ、私はいつの間にか囚われていた思考の渦から顔を上げる。彼はどこかこちらを見透かすように、こちらの表情をうかがっていた。けれども、そこには悪意も善意も見えない。


 ただ、こちらの意思を汲もうとだけ試みる、どこか透明な気配。それを漂わせたまま、彼はこう告げた。


「あなた、すごくつまらなさそうな顔をしている」


「へ?」


「本当はもっと他にできることも、したいこともあるんじゃないですか? 腰に帯びているのが護身用のナイフじゃなければ、ですけど……」


 彼の視線を追うと、その先には剣帯に吊るした銀の剣、私の『キサラ』があった。父から与えられ、今や手足のように馴染んだ剣が。


 思わぬ深みから、急に汲み上げられたその言葉は、けれども正直に言おう、図星だった。


 私は手元に視線を落とし、ここまで運んできた荷物を改めて見つめる。何度見てもくすんだ、さもない品だ。けれども刃は水面のように輝いている。古びた神殿で放置されていたとは思えないほどに。


 ……そこに映る私の顔は、なるほど、迷いだらけの情けない表情をしていたのだった。私は首を振る。少しだけ頭が冷えて、ふたたびアラン青年と向き合った。


「わかりました。あなたにはもう頼みません」


「では、次に何を?」


「せっかくなので、『これ』を使ってあの怪物の対処を試みます。聞けば彼奴はお城ひとつを飲み込んで、それごと動いてるんでしょう? クレメント様はきっとあそこに居る」


「ええっ!? そんな事情が……」


「なんですか。いまさら譲りませんよ」


 彼は苦笑して両手を上げた。


「手柄の横取りなんてしませんよ! ――では、露払いは僕らに任せてください。必ずあなたを怪物の懐までお送りします。その後のことはお任せしても?」


「ええ」


 私は改めて、周囲を見回す。一人一人と目が合うたびにうなずいて返された。


 なんだか妙な雲行きだ。でも、そう嫌な気分ではなかった。


「手が空いているのは私だけのようですから。……ご助力に感謝します」


「どういたしまして! とはいえ、僕らにできることはそう多くない。後はパメラさん、あなたに託します。……クレメントさんに、よろしくと伝えてください」


 そうと決まれば、すぐに行動へ移すべきだ。私はそう判断して踵を返し……かくんとその場にへたり込んでしまった。


 薄れる視界の中で、アランや古兵のお爺さんが慌てて駆け寄るのが見える。


「……い」


「はい!?」


「一刻だけ眠ります……! その時間で起きる訓練はしている……のでは……適当な寝台にでも転がしておいて……」


 最後の方は、果たしてきちんと言い切れたかどうだか。私は直後に気絶して、目覚めた時には女性将校用のテントで丁重に寝かされていた。


「――現在時刻をお願いできますか!?」


 誰かの従騎士らしい少女に声をかける。委細を言付かっていたのだろう、彼女はきびきびと返答してくれた。


「お眠りになってからちょうど一刻。間もなく作戦会議の開始時間です。おいでになりますか?」


「ええ。是非お願いします。荷物は――」


 問いかけつつ枕元を探ると、装備の一式がまとめられていた。畳んだ外套の上に、例の『聖剣』が押し戴くように乗せられている。私はそれを懐に収めると、身支度を始めた。


「甲冑はお使いになりますか? 私の主人が背格好の近いものですから予備を貸し与えても構わないと」


「結構です。身軽な方が性に合っていますので……ご厚意に感謝します、とお伝えください」


 それきり無駄口を叩くことなく、従騎士の少女は私の身支度を手伝うと、一礼をしてその場から去って行く。


 私は事前会議に参加すべく、陣幕を跳ね上げて大テントへと向かった。雨はあがり、あたりは思いのほか明るい。雲の切れ間に行き会ったのだろうか、空を覆っていた雲は散り散りとなって陽光がわずかに差し込んでいた。


 けれども、嵐が去った訳ではない。私は間もなく、荒天の中心に赴くだろう――彼を助けるために。


 いえ、自分の思い定めたことを遂げるために。

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