第13話 彼女とダンジョン、ときどき俺

 あたりの空気には馴染みのない料理と甘ったるい果実の匂いが混じり合い、そこここから聴こえてくる売り口上には強い南方訛りがあった。


 ひしめき合うテントや店先の日よけが西日を受けて地面へ濃い影を投げかけている。俺たちはその日の寝場所を求めて、市場を足早に通り過ぎる。ようやっと見つけた宿屋は、看板に『鍵付き・個室あり』とうたう石造りの平屋だった。戸口をくぐって日陰に入っても、粘りつくような暑さはさほど減じない。


「部屋のグレードは?」


「寝台の数でしか分かれてねえよ」


 カウンターの向こうで仏頂面の男が肩をすくめる。


「そうか。では個室を……あー、二つ頼む」


 男は若干訝し気な様子でありつつも木札を二本取ってカウンターへ放ってきた。さしずめ、俺たちを冒険者の類と思ったのだろう。連中ならば男女混成パーティーも同室で雑魚寝するのが通例だ。


 しかし俺たちは冒険者ではなく、一応は婚約している間柄だ。けじめは付けておきたい。


 渡された木札は二枚。部屋番号の代わりか、簡素な絵が記されていた。片方をパメラへ手渡すと、こうした品が珍しいのかしげしげと眺めている。


「では部屋代を」


「いやいやいや! こちらの仕事で来ていただいてるんですから、どうぞお構いなく」


 彼女が懐から財布を出そうとするのを慌てて制して、隣続きの部屋にそれぞれが収まった。


 旅行者が訪れることもない場所のためか、この宿は零細商人や冒険者用と割り切って使うもののようだ。そのためか個室のレイアウトはかなり思い切ったものだ。広間を板で区切ったスペースはごく狭く、床面積はほぼ寝台で占められている。


 俺の前世の記憶が『地方のビジネスホテル以下の居住性だな』などと囁いているが、致し方ないだろうが。


 部屋の鍵と称するものは板金と掛け金を組み合わせた簡素極まる代物だった。力任せに引けばあっさり引きちぎれてしまいそうだ。施錠する気も失せ、室内へ足を踏み入れる。


 壁と寝台の隙間に荷物を押し込んで、あちこちほころびたマットレスと、その上に畳まれている敷布に視線を送る。……ダニや南京虫の存在に思いを馳せるのは止め、俺はその上に座り込んだ。そこより他に腰を落ち着けられる場所がない。


 明朝のダンジョンアタックに備え、俺は荷物の最終点検を始めた。


 退屈な作業だった。必要とする脳みその容量はさほど多くない。残りの思考リソースは次第に俺の意識を茫洋としたかなたへと送り出し、パメラとの二人旅へ至った顛末を反芻し始める。




 迷宮の攻略に関しては自力で行う他ない。そう結論付けた俺だったが、単独踏破はまったく現実的なプランではなかった。


『現代日本』の記憶をひも解けば、ゲームの敵ユニットとしてのクレメント・ボロフカの性能はデバッファーだ。従えた配下を前線で戦わせ、彼自身は後衛から妨害呪文の数々を駆使して足止めしてくるという嫌らしい性能をしている。


 ひるがえって今生の俺が習い覚えた呪文もその手のものだ。一つの呪文をまともに実用できるレベルまで練り上げるには相当の時間を学習と訓練に割かねばならない。俺自身の運用に関しては後衛働きに最低限の護身さえできればいいと割り切っている。前線に出張るのはあくまで部下の仕事だ。


 ダンジョン攻略に使えそうな物といったら、このあたりだろうか。


足萎えの呪文スピードダウン……敵ユニットのスピードを割合で低下させる

暗幕の結界シャドウベール……拠点待機時に隠密効果(移動時に解除)

遁走の煙幕エスケープ……戦闘から逃走する(確定)


 基本的な戦法としては、敵を足止めしてから逃げるというものになる。しかし攻撃手段を一切持たないのは危険極まりないという他ない。縛りプレイにしたってやり過ぎだろう。


 そのうえ、あのダンジョンにはボスエネミーとでも言うべき仕掛けが存在する。対策を打てないこともないが、正直俺自身が攻撃手段を持たない以上、ジリ貧にならざるを得なかった。


 あれ? これって詰んでないか?


 やはり今からでも冒険者を雇うべきだろうか? しかし口が堅く、相応に腕の立つ者のコネなどは持っていない。

 情報漏洩はなんとしても避けるべきなのだ。


「――やっぱり、彼女の家に頼るしかないか?」


 ハーディ家。我がボロフカと同じく、先祖代々ヴォジェニ公爵家に仕える家系だ。猟犬にも喩えられる彼ら彼女らは、荒事や戦闘行為を専門としている。それも、暗殺作戦であるとか、表沙汰に出来ない対人戦闘の指揮など、そこいらのごろつきを雇うよりもエレガントな『仕事』を担っていた。


 バチーク伯爵筋の将校率いる兵士たちが実質的にヴォジェニ公爵の私設軍の様相を呈しているのをとするなら、ハーディ家は裏の私兵達を統率する立場といえた。


 前世のゲームの中でも何度か立ちふさがってきた……まあ戦闘員という奴だ。しかし名有りの幹部格ともなれば誰もが難敵で、強敵だった。


 そして俺の婚約者であるパメラ・ハーディとはこの家の末娘だ。この伝手を使えば、有用な人物に渡りを付けられるかもしれない。


「――残念ですが、人員をお貸しするのは難しいかと。私の一存ではなんとも」


 パメラは俺の頼みをにべもなく断った。訪問の理由を失った俺は、出された茶を大人しく飲むほかない。


 ハーディ家の応接間は質素だったが、粗末な訳ではなかった。最低限の調度はどれも磨き上げられ、剥き出しの木の床は丁寧なワックスがけで鈍い光沢を放ち、どこもかしこも塵一つなく清潔に保たれている。


 手垢一つ付いていない漆喰の壁には、やはり深い色合いの木材でもって出窓が設けてあった。窓からの景色は高い生け垣に覆い尽くされていて、それがここ、ハーディの家業を暗に示している。


 他者の視線にひどく敏感で、観察のきっかけを与えない。そんな哲学が空間全体に張り巡らされているかのようだった。


 パメラは壁の純白と窓からの濃緑を背景に、背筋を伸ばして白磁のティーカップを手にしている。


 彼女もまた、ハーディ家のインテリアと同様に華やかでなくても品のいい……しかし色彩に乏しい服装をしていた。高襟のドレスは薄墨色のレースで控えめに装飾してあったが、街で見かける娘たちのひらひらしたフリルやドレープがたっぷりの格好に比べれば、やはり地味に見えた。


 ……いやまあ、女性をあまりじろじろ眺めるものでもないな。手持ち無沙汰に陥った俺は、ひとまず手元の皿へと視線を落とす。


 茶菓子はイチジクのタルトだった。黄金色に焼き上げられた生地の上には、カットされた果実が花弁のように並べられ、黒ずんだ紅色の皮と生白い果肉が鮮烈なコントラストを描いていた。


「マルケータ王妃からの賜りものを使っておりました」


「ああ、王妃様の庭園で開発されたものですよね。イチジクも盛りですねえ」


 タルトの上ですましかえる果実は、なんの変哲もない代物に見えた。……しかし、ほんの一かけら口に運んだとたんに、舌の上で暴力的なまでの甘さが爆発する。


「す、すごいですね!?」


 強烈な甘みはほとんど質量を伴うかのようで、喋ろうにも舌がもつれてしまう。世辞を言いそこねた俺を前に、パメラは幾分かばつの悪そうな顔をする。


「……フィリングの砂糖を減らすべきでした。糖蜜を塗ったのも余計でしたね。次からは気を付けます」


「へ? パメラさんが作られたのですか、これ」


 俺が思わず聞き返すと、彼女は少しだけ間をおいて答えた。


「我が家の者は、みんな糧食の作り方を仕込まれます。……ですので、その応用です」


 ほんの僅かだが、視線が泳いでいる。彼女のような人も失敗することがあるんだな。


「……それで、クレメント様はいつご出立なさるのでしょうか」


「そうですね、可能な限り早くとは思っていますが、用意したい物との兼ね合いもありますし……どうかなさいましたか?」


 何か用事でもあるのだろうか。そう思って聞き返した俺に、パメラが返したのは意外な言葉だった。


「私もご一緒できたらと思いまして」


 未だ口内に残る甘みを茶で流していた俺は、ご一緒? どこに? と一瞬思考が止まる。


 まさかジャングルの奥地まで同行する気か? そう思い至った俺はつとめて冷静にカップをソーサーへ戻……そうとして見事に失敗した。陶器の打ち合わさる耳障りな音が応接間に響き渡る。


「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」


「ですから、その迷宮攻略とやらの助力をできたらと思いまして」


「その迷宮がどこに有ると思ってるんですか! 南方の最も奥地に広がる大密林ですよ! 現地に移動するだけでもひと苦労の……王都からも遠く離れて、何日もの行程を組まなければならないような場所だ! よしんば迷宮に辿り着いても内部は危険極まりない魔物や罠が……」


「クレメント様」


「は、はい」


 パメラは姿勢を正すと、俺の顔を真っすぐ見つめる。


「家長の末娘に過ぎない私には、配下や、まして家の者を動かす権限はございません。ですが、私自身なら話は別です。ただこの脚で思い定める方へ歩けばいいのですから」


「ですが……」


「先日も申しました通り、私はあなた様に下賜された剣の一振りです……少なくとも、かくあれかしと研鑽を積んできました。どうぞ、望むままににお使いください」


 なおもはっきりしない態度の俺に焦れたのか、パメラは不意に表情を曇らせる。


「……それとも、私の能力は信頼いただけませんか?」


「とんでもない! あなたがどれほどの剣技の持ち主であるか、疑ったことはありません!」


 なんせ、ゲームの中で何度も倒してきたから――とは言えなかった。前世の俺にとって『ハーディ一家のパメラ』といえば、倒す段取りを一手でも間違えば最後、手が付けられないほど暴れまわる難敵として深く印象に刻まれている。


「では」


「ええ……お力を貸してください……」


 ほとんど敗北宣言のように俺が告げると、パメラは「お任せください」と言ってドンと自らの胸元を叩いた。普段の立ち振る舞いからすればずいぶんと大げさな身振りは、彼女のやる気のほどをこの上なく表しているかのようだった。

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