第27話 【銃】と火球、そして血は流れる

 爆音がとどろく。窓の外が不自然な角度から赤々と照らされる。


 俺はその夜もまんじりともせずに過ごしていた。戸外から大勢の息遣いと、荒々しい足音が聞こえる。寝台から跳ね起きて、最低限の着替えを始める。


「襲撃です!」


 ジャケットに袖を通していると執事のヨシュが寝室に飛び込んできた。出迎えた俺は、召使たちをバックヤードから避難させるよう指示する。


「ですが旦那様は!?」


「お客の応対に出るさ。ご指名されたことだしな」


 そう喋っている間にも、飛び交う怒声が窓をこまかに震わせていた。耳をすませば『掲星党けいせいとうだ!』『ボロフカを出せ!』『弁明をしろ!』という声が切れ切れに聞こえてくる。なぜ掲星党が俺に目を付けたかは知らないが、穏当な用件では有り得ない。


「危険です! 相手は反乱軍ですよ!」


「どっちにしても脱出経路は全て抑えられているだろうよ。――相手が掲星党なら、雇われ人のお前たちを害さないはずだ。さ、行ってくれ」


 そもそも、だ。俺ごときの安全になんの価値がある? どうせ、なるようにしかならない。なにも使用人をこんな奴の巻き添えで危険に曝す必要はどこにもない。……逃走手段のあてくらいなら、どうにかなる。




 エントランスは酷い有様だった。辺りには煙が充満し、瓦礫が散乱していた。くすぶる建材をまたぎ、焦げたタイルの破片を踏み越え、きな臭い空気の中を進む。玄関が存在した位置に穿たれた大穴をくぐり、俺は群衆の取り巻く前に歩み出た。


 前庭には松明を掲げた人々の群れが集結していた。空気には煙臭さと共にビリビリとした緊張感が充満している。彼ら彼女らは皆、粗末な紙束を携えていた。あの【銃】の魔導書を。


 俺は群衆の前まで進み出て声を張り上げる。


「できれば花壇は踏まないで欲しいものだが! そこには大切な苗が植わっているんだ」


 群衆が一斉にブーイングを始める。


「ふざけるな!」「我らの怒りを前に、花だって!?」

「……俺は花屋だったんだ。だが、お前たち貴族のせいで全て失った!」

「家を焼かれようって時に花の心配か! さすがのお貴族ぶりだ!」「そうだ!」「やっちまえ!」


 ここに来るまでの間に、彼ら彼女らはかなり状態になっているようだ。……それにしても、焼く? 俺の家をか?


「そんなことをして何になる?」


「お前たち貴族の所業を世間に広く知らしめるためだ」「命乞いか!?」「汚れた血筋め!」

「貴族に産まれたことをせいぜい悔いるんだな!」


 ひとつ問いかける度に数倍の罵声を浴びせられる。群衆の興奮はいや増して留まるところを知らないかのようだ。


「貴族という地位を一緒くたに扱うのは非合理な行いだろう。俺たちだって一枚岩では――」


「お前は、あのヴォジェニ公爵の手先じゃないか!」


 おっと。そこまでバレているのか。一体どんなルートで明るみに出たのやら。狙いすましたように、俺だけが。……どうやらボロフカ家はヴォジェニ派から損切されたされたらしい。そこで差し向けるのが掲星党か。あの派閥らしい趣味の悪さだ。


「悪の貴族の犬が!」


 まあ、その点に関しては否定しない。俺は口を開く。


「掲星党の理念とは平等を謳い、公正な社会を築くものだったはずだ! 今のお前たちの行動は果たしてその名に恥じぬものなのか?」


「貴様が我らの理念を語るか!」「本当に共感するなら全ての地位を投げうって我らに投降するがいい!」


「――いいや、それは認められないな」


 暗がりから進み出たのは白髪の老人だった。刻みつけられた皺は苦悩と怒りを示し、目には拭いきれない絶望が浮かぶ。


(これは駄目だな。対話不能なタイプだ)


「『黄表紙イエロー・ブック』さん!」「おお!」「『黄表紙』さんが先頭に立ってくれた!」


 群衆たちが口々に彼の通り名を叫ぶ。彼が掲星党の最高幹部、『黄表紙』のようだ。老人は確かな足どりで群衆の取り囲む中心まで歩み出て、おもむろに俺へ人差し指を突き出した。


「この男は悪の貴族の走狗。邪悪な傀儡だ。見せてやろう。汚れた保身の末路を。知らしめてやろう。王国に蠢く蛆たちへ」


「――それがヴォジェニの意思なのか?」


 予想外の反応をされたためだろう、群衆にどよめきが走る。俺が投げかけた言葉を咀嚼するためだろう、皆が顔を見合わせて何事か囁きかわしている。


「俺をこの場で裁くなら、弁明の機会くらいは与えて欲しいものだな! そもそも『黄表紙』さん。あんたがこの場の人々と心と同じとしているか、俺は疑っているぞ」


 俺としても内心は必死である。群衆心理を引っかき回すのに徹し、連中を攪乱かくらんして、ひいては混乱を巻き起こすためだ。


 この場から逃れるうえで避難する召使に紛れ込むと、最悪彼ら彼女らごと虐殺される危険があった。どうしても一度、俺の姿を群衆の前に曝す必要があったのはそのためだ。


 そのうえで連中の間に動揺を広げて統制を崩す。そうして場を混乱させ、その隙に『顔』を変えて人々の間に紛れて難を逃れる。掲星党は来るものを拒まず、大所帯であるがゆえに末端構成員はお互いに見知らぬ者同士のことも多い。


 アドリブではあるが、そう悪い策でもないはずだ。


「掲星党の一部は、裏でヴォジェニ派の支援を受けている! 俺は知っているぞ、お前たちが手にしているその本が――」


「撃て」


『黄表紙』が端的かつ冷然と命じた。


 群衆の輪から進み出た者が俺を指さす。――ああ、『乾し草』じゃないか。久々の対面だったが、彼女の表情はついぞ見たことのない程に殺意でギラついていた。あんた、そんな顔もできたのか。


「――耀弾バレット!」


 詠唱と同時に指先の輪郭がぬるりと光る。魔力の渦が凝集し、撃ちだされる。光弾は残像を描きながら俺目掛けて直進した。鈍化する時間経過のなか、もがくように回避行動を取ろうとする。が、間に合わない。


 その時死角から強く突き飛ばされ、スローモーション――危機的状況に陥った脳の高速処理は終わりを告げる。


 受け身を取り損ね、身体は地面に強く打ち付けられた。肺から空気が押し出される濁った声とは別に、か細いうめき声も背後から聞こえてくる。肩越しに振り返ると、地面に横たわる影が目に入った。


「ヨシュ……」


 そこには、老執事が居た。彼の身体の下から染み出る液体が地面をどす黒く染める。もつれる足を叱咤して駆け寄る。止血を試みる俺の両手は、あっという間に鮮血にまみれた。


「旦那様……」


「喋るな!」


「お逃げください、クレメント坊ちゃん……!」


 ヨシュの両眼が不意に力を取り戻し、はっきりとした口調でそう告げた。次の瞬間、彼の目は再び閉ざされる。


「たかだか仕事でこんな目に遭ったら世話ないだろう、なあ……ヨシュ」


 お前、俺の愚痴を方々で言い立てていたじゃないか。そんな奴を身を挺してまで守って何になるんだよ。


 周囲を取り囲む群衆は、一斉に押し黙っていた。


 俺が枯れ枝のような老人を必死に救命する様子を、ただ見つめる目たち。手助けはないが、妨害されることもない。自分たちのしでかした事態の推移を食い入るかのように見守る気配。


「――観ろ! これがお前たちが直面している現実だ!」


 停滞した空気を『黄表紙』のしわがれ声が引き裂いた。


「これが王国の搾取の構造、その象徴だ! 我らは踏みつけられ、権力におもねる者は血の一滴まで絞りつくされ……見るがいい! この男はまったくの無傷だ!」


 いっときは収まりかけた群衆の怒気が再び膨れ上がる。あちこちから罵声が上がり、あらゆる人々の銃口指先が俺に向けられる。火炎瓶の類であろう小型の油壷が掲げられ、導火線が松明に触れる。


「打ち壊せ!」「貴族共を許すな!」


 着火した火炎瓶が邸宅に次々と投げ込まれ、幾人かの者たちが大火球の呪文の詠唱を始める。


 屋内の家具や布類に着火したのだろう、窓からもうもうと煙が上がりだす。そこを目掛け、火球が次々と投げ込まれ、屋敷はいよいよ手が付けられない勢いで燃え始める。


 雲の垂れ込めた闇夜に火の粉が舞い上がった。屋敷が焼け落ちていく。この土地に根ざして長く続いたボロフカ邸が。我が家が。俺の、生まれ育った家が。


 炎に照らされた顔の中には、『乾し草』を始めとして見知った者も含まれていた。『足長』、『煤くろ』、そして掲星党の王都支部ですれ違った何人もの人々。


 何だこれは、人間って奴は上も下もここまでどうしようもない連中なのか? こんな場所で俺は生きて……いや、死ぬのか?


「――俺はどうすりゃ良かったんだよ!」


 焼け落ちる邸宅と踏みにじられた前庭の間で俺は叫ぶ。問いかけに答える者は、誰一人として存在しなかった。

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