第23話 ダナ女史,ボロフカ邸,チーズとベーコンを10日分

『レニー氏,三番街,銀貨20枚』


 謎の書きつけを前に首をかしげる。その日も俺は、埃っぽい納屋の片隅でひたすら報告文の清書を行っていた。


 掲星党けいせいとう王都支部とは名ばかりの前線基地にて、俺が任された仕事は大別して2種だった。新聞各社への投書という名のアジ文章をしたためることと、本部へ送る報告書の清書だ。


 こんな新入りに内部文書を見せてしまって構わんのかね、と俺も思ったがさにあらず。重要な報告文には暗号が用いられているようだった。


 暗号は一見しただけでは解読不能な複雑さを保ち、まとまった量を書き写しても頻出単語が見えてこなかった。定期的に鍵情報を変更しているようだ。トップか、もしくは側近が切れ者なのだろう。なおかつ幹部クラスもそれに付いていけるだけの能力の持ち主ということだ。


 アジテート文にしても、『盛った』部分を差し引いても無視できない情報が盛り込まれていた。行動は組織立ったもので、度々騎士団を出し抜いている。王家に仇なす反乱軍掲星党の捕縛を殆ど達成できていないという点で、騎士団側が後手に回っているのは確かだ。


(軍事方面のノウハウを持つブレーンでも居るのか?)


 掲星党は単なるチンピラ集団ではないらしい。


 きれぎれに持ち込まれる紙片を整理し、暗号を一文字ずつ付き合わせながら筆写するのは骨の折れる作業だ。


『レニー氏,三番街,銀貨20枚』


 そんな中で遭遇した、そのメモは異質だった。簡潔かつ、平文である。


「ぼさっとしてんなよ『牛乳屋』」


 椅子の足を軽く蹴られる。ちょっかいをかけてきたのは『すすくろ』という小柄な少年だ。どう高く見積もっても18歳は越えていない。


「これ何て意味ですか」


「『巻き雲』~! 『牛乳屋』が仕事教えろってさ!!」


『煤くろ』は無言で肩をすくめると、まとめ役へ丸投げした。奥まった小部屋でガタガタと物音がし、30から40歳ほどの年恰好の人物がぶつくさ言いながら姿を現す。


「ああ、『牛乳屋』は初見だったか。三番街在住のレニーという人物から銀貨20枚の支援金を得たという意味合いだ」


「……支援金、ですか?」


 慎重に問い返す俺へ、『巻き雲』は重々しくうなずく。


「市井の人々からの尊い援助を得たら、証を本部へ送ることになっている」


 を集約しているだって?


「よくこうした証文を保管しておけますね。南方の本部も頻繁に居を移していると聞くのに」


「冊子にまとめ、軍事顧問の『青背熊ブルーベア』氏の預かりとしているんだ。武に長けたあの方が持つのだから安心したまえ。ともあれ、処理の説明をしようか。こちらに直筆のサインもあるだろう? 貼付のうえ身元と額面を――」


『巻き雲』が丁寧に指示する間、俺の脳裏に駆け巡るのは「冊子さえ処分すれば何とかなるな!」という目論見だけだ。腕の立つ人物というのなら、搦め手を使って出し抜く必要がありそうだ。


「――『煤くろ』、うるさい」


 そこまで考えをまとめた辺りで、視界の隅でぼろきれの塊がもぞりと動いた。そうして簡易寝台からけだるげに這い出てきた少女は、『煤くろ』よりは二、三歳ほど年上に見える。


「おれは外回りしてんだもん。『雨蛙』、お前が『牛乳屋』を手伝ってやったって良かったんだぜ」


だ。書きもの仕事は『巻き雲』や『牛乳屋』君のように学のある奴が書くべきだろ」


「またそんな謙遜を……」


『巻き雲』が口を挟もうとした途端、『雨蛙』が大きな目を鋭くすがめ、間髪入れず反論をする。


「事実さ。アタシがこの頭の回りのせいでどんな目に遭わされてきたか!」


 怯んだようにびくりと肩をすくめる『巻き雲』を、『雨蛙』が痛ましげに見つめ返す。


 どういうことだ? 『雨蛙』が酷い目に遭ったという話だというのに、横っ面を張られたような顔をしているのは『巻き雲』の側だ。


「いやまあ、『巻き雲』がをした訳でなし」


「手習い所のセンセーの皆が皆アレじゃないのは、『巻き雲』を見てりゃわかるよ」


「……とはいえ、同業者があんなことを……」


 俺がぽかんとしたまま会話を追っていたためだろう、『煤くろ』が肘鉄を入れてきた。鎖骨のあたりに、彼の骨ばった肘がきれいに決まる。


「げふ」


「あんま聞き耳立てるな。デリケートな話なんだから」


 身を折り曲げた俺の耳元へ『煤くろ』が囁いて見せる。あー、教師が、あー……。目をつけた女子生徒を……。


 ……あー……。


「なんにしても、だ。小娘の口が回ったところで信じる者もない。頭の中身なんてぶちまけた所で畑の肥やしにもなりゃしない」


『雨蛙』が吐き捨てる。……この世界の文化水準で『知性とは頭部に宿るもの』という理屈を解しているのだから、確かに知力としては上澄みだった。


 ことが起こったのは、それから数日後の宵の口だった。


「――一度でいいから匙が立つような粥を腹いっぱい食いたいもんだ」


「そうだねえ」


 木箱に板を渡しただけの食卓の前で『煤くろ』がぶー垂れるのに、『乾し草』と呼ばれているひょろりと背の高い女が同調する。


「まあまあ、この『牛乳屋』青年のお陰で我が支部の食事事情も改善はしたから」


 穀物粥を満たした鍋を抱える壮年の男、『灯芯』が朗らかに告げる。俺はその言に「恐縮です」とだけ返して、彼が粥を注ぎ終えた椀にチーズのかけらを突っ込む作業に勤しむ。


「あっは、『恐縮です』だってさ」「キョーシュクってなに?」「わかんね」


「あれは謙譲表現。有難さを感じて身をすくむような……こら聞きなさい」


『雨蛙』『乾し草』『煤くろ』がケラケラと笑った。『巻き雲』の小言も若者連中にはそよ風のようなものだ。悪意のなさは表情から知れるので、俺も苦笑を返して席につく。


 数時間ぶりの食事が胃に染み入る。粥を噛み締め、乾いたチーズをしがむ合間に、同席した面々は活発に語り合う。


「『足長』はどうしたんだ」


 卓上の椀が6つきりと気づくや『雨蛙』がたずねる。


「他領まで客を出迎えるんだとさ」


「彼はあらゆる抜け道を熟知しているからな」


『灯芯』と『巻き雲』の答えを待つ間に、彼女の興味は飯へと移り変わっている。


「量はともかく、『灯芯』さんの飯は旨い」


「もどしかたがいいんだよ、ちゃんと水につけておくから」


「ありがとよ。昔はこれでおまんまを食っていたから」


 匙を片手に、『灯芯』が鷹揚な調子で返す。


「おまんまなんだから食って当たり前じゃん」


「今のは『それを生業にしていた』という意味だ」


『煤くろ』の茶化しに『巻き雲』が解説を差しはさむが、誰も聞いていない。まったく目まぐるしいものだ。


「『灯芯』さんは、料理をお仕事にしていたんですか」


「これでもちょっと名の知れた店をやってたんだ」


 俺が水を向けると、『灯芯』は活き活きとした表情で応じる。


「旨い飯を食わせるのってこの世に幸せが増えるじゃない? お客は来るときも笑顔、帰る時も笑顔でね。で、それを見た俺も笑顔になるってもんだ。……少なくとも俺はそう信じていたんだけどねえ~」


 過去形か。


 掬うたびに匙から逃れるようにたらたらとしたたる穀物粥と、乾ききったチーズの夕飯。確かに、腕のある料理人がやりたがる仕事ではない。


 けれども続く『灯芯』氏の言葉は予想とは異なっていた。


「店がねえ、お取り潰しに遭っちゃってね。ああいや、あれは家に使う言葉かね?」


「『圧力を受けて潰された』が適当でしょうね。ヴォジェニ派からの差し金だったのでしょう?」


『巻き雲』の憎々し気な一言が突き刺さる。ヴォジェニ公が? 料理店を? ……いや、あり得る。


「雇われ料理長の俺は知らなかったんだけど、店が対立勢力の密談に使われていたとか」


 まさか、モルナール派が密談を行っていた料理店か。


「……あの、水鳥のオレンジソースの……?」


 俺が思わずこぼした言葉に、『灯芯』が反応する。


「そうそう、俺の得意料理だよ! ――よく知ってるねえ。あの店は富裕層やお忍び貴族向けのけっこう良いところだったのに」


「え、ええ。お祝い事で一度だけ」


『灯芯』からの追及をなんとか躱している間に、周囲の視線は俺に集まっていた。『雨蛙』がおもむろに口を開く。


「『牛乳屋』んって金はあるし、息子に教育も受けさせてるんだろ。君はどんなツいてないことがあって、こんな所まで来ちゃったんだよ」


「いや、掲星党の理念に惹かれて――」


 俺はひとまず最も無難と思われる答えを返した。


「じゃあ『巻き雲』と『雨蛙』のお仲間だ」


「やる気がある」


「そうそう、人生に背骨がある奴だ」


『乾し草』と『煤くろ』が頷きあっている。


「どんな境遇だったとしても、どこかで躓いちまうことがあるのは世の定めさ。おっさんだってそうだもの」


『灯芯』が割って入って冗談めかしてみせる。


「運のなさなら、ここに居る連中はどいつも人のことは言えないか!」


「そうだよお。あたしはダンナがしんじゃった」


『乾し草』が麦わら色の髪の毛を揺らして応じる。


「家なき子の俺はスリ共の使いっ走りに使われ使われ塵も積もれば重罪人!」


『煤くろ』が節回しをつけて歌うように後に続く。


「そんで都合の悪いアタシは言葉ごとなかったことに」


『雨蛙』が諧謔で返す。


「おじさんは職なし家なし、蓄え? 料理の研究ですっからかんだよ」


『灯芯』はちょっと音痴だな。


「――私はなんとしても制度を変え、社会を変え、あまねく人が平等に集う学び舎を再建させる……」


『巻き雲』がそこまでの流れを全て無視して重々しい口調で言い切った。


「こんな具合で、俺たちはこの国じゃ幽霊も同然だからさ。少しは声を張り上げなけりゃ踏みつぶされちまう」


 そうまとめた『煤くろ』の顔は真剣そのものだった。


「それにつけても、『牛乳屋』はちょっと頭でっかちだ。『足長』はそういう所が気に食わないんだろうね」


「誰にでも相性の問題はあるさ」


『雨蛙』と『巻き雲』の慰め言葉の通り、俺は確かにこの場に居ない7人目からの当たりがいささかきつかった。流石に俺の身分が貴族とバレている訳では無さそうだったが……。


「――手を下ろせ。本部から最高幹部の方がいらしてくださった。礼を尽くせ!」


 噂をすれば『足長』の帰還だ。見上げるような長身痩躯にやぶにらみの顔つき。傍らに立つ男は『足長』よりは背が低い。しかし姿勢と体格の良さのためだろうか? 黙ったままでも存在感がある。


「いや、構わない。食べながらで結構だから、挨拶をさせてくれ。私は『青背熊』。貴方がたの戦闘指導を行いにやって来た」


 彼が掲星党幹部の『青背熊』、つまり名簿の持ち主か? というか、この声、この顔は、まさか――。


「……いや、私の行いは何にもはばかるものでない。ただ、ロベルトと呼んでくれ」


 見忘れるものか。俺にとって因縁深い相手だ。


 彼は古参騎士ロベルト。ゲームの主人公、アランの父。『前世』の記憶を得た俺が、最初に与えられた仕事のターゲット。


 そいつが、闊達な笑顔で俺たちの前に立っていた。




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