第11話 オークションハウスの闘い

 この世界には『渾天大祈祷書』と呼ばれる魔導書が存在する。

 ゲームのストーリー中では、こいつが世界の破滅の危機を招き、なかんずく俺の人生の行く末まで左右する。そんなキーアイテムだ。


 平たく言えば俺の死因である。こんな代物、断じて放っておく訳にはいかなかった。


 ヴォジェニ公爵が命じた邪神伝説の調査を、俺は内心「冗談じゃない」と思いながらも忠実に勤め上げている。


 と、いうのも俺にとって最悪のパターンは、他派閥の誰かしらが祈祷書を入手して尻尾を振ってヴォジェニ公爵へ献上することだからだ。

 ヴォジェニ一派以外の何者かが手に入れるのも、同程度には悪い。


 どちらにせよ俺の手の届かない場所で世界の終わりが訪れる可能性が濃厚だ。それでは手の打ちようがない。なにはなくとも、俺はまだ死にたくないのだ。


 ならばこそ、俺は公爵の命に従って邪神マニアの顔を作り、書痴の界隈に潜り込んで『渾天大祈祷書』の情報を収集している。そのおかげもあって、今のところ情報戦では有利に立ち回れていた。


 かといって、ヴォジェニ公爵の求めに馬鹿正直に応じて祈禱書を渡す訳にもいかない。


 そこから先はゲームの筋書き通りにことが運び……俺はアレを読まざるを得ない状況へと追い込まれるのは必定だ。禄でもないことに、件の祈禱書には微弱だが精神操作効果がある。ある程度切羽詰まったシチュエーションで懐に飛び込んできた場合、ことの真相を知る俺ですらアレに縋ってしまう可能性があった。


 俺にできる対抗策はただ一つ。


 祈祷書を求めるあらゆる連中に先んじ現物を入手することだ。……そして、人知れず処分してしまう。

 それ以外に確実な生存が保証される筋道は存在しなかった。


 あるいは密林の奥深くの神殿が未発見のまま、本が永久に放置されている可能性に賭ける手もある。が、しかし、その可能性はかなり望み薄だった。


 理由は二つあった。まず、この書物はすでに国内において存在が知れ渡っている。さほどの考古学的見地をお持ちでないヴォジェニ公爵ですら興味を示す程度には有名な代物だ。この時点で発見の可能性はゼロでなくなる。


 そしてもう一つの理由を象徴する出来事が、俺が今見上げている白亜の建造物にて催されようとしていた。


 オークションハウスは豪奢なファサードで飾り立てられ、王都のメインストリートに面する建物の中で威容を誇っていた。よくある邸宅に比べると随分と縦長の構造体だったが、これは相応の『大物』を搬入することもあるためだろう。


 あらゆる高級品、芸術品、その他の名品珍品はここに集められ、その値打ちを定められる。そんな場所だ。


 本日の段取りを反芻しながら、俺は一歩を踏み出した。


 まばゆいばかりに輝く水晶製のシャンデリアの真下を通り、豪奢なホールを足早に横切る。

 壁には絵画が、床には彫刻が、品性を損なわないギリギリの密度で展示されている。その間を通り過ぎてメインルームへ赴いた。


 ここがオークションハウスの中枢だ。

 高級感のある設えの椅子がシンメトリーを描き整然と並べられ、客たちが各々の立場にふさわしい様子で腰かけていた。

 貴族らしき客の背後には秘書や小間使いがひっそりと控えていたし、山師然とした人物は連れだった全員が横並びに椅子に座っていることが多い。


 極端なまでに高い天井の室内は、煌びやかな灯りに照らされながらも静かな熱気が充満していた。


 俺が持ち場について程なくして、一段高くなったステージに着飾った競売人が姿を表し、オークションの開始を朗々と告げた。

 流れるようなうたい文句と共に運ばれてくる品は、絵画や古いコイン、曰くつきの宝飾品に、名工の武具と多岐にわたる。


 しかし居並ぶ客たちの中で、競売人に向かって挙手を……つまりは、落札の意思表示をする者はさほど多くはない。

 冒険者然とした人物と軍人らしき貴族が効果付与エンチャントされた剣を多少競り合った程度だ。


 それもそのはず。本日の目玉商品が出るのはまだまだ先のことだ。ここに詰めかけた人々の大半は『それ』を狙っている。


 邪神マニアのコンラート……と称した人物もまた同様だ。少なくともそう嘯いている。


 目当ては探検家ゾルターンの遺した手帳、ただ一つ。そこには、密林の奥深くの神殿に辿り着くヒントが記されているはずだ。

 そして神殿にはレアものの魔導書が安置されているというのだ!


 近年の魔術の発展は著しく、それに伴って強力な古代魔法のニーズも高まっている。古く強大な魔導書は、貴族たちの箔付けの道具であり、投機の対象でもあった。


『渾天大祈祷書』もまた、実在を疑われながらも魔導書専門の賞金稼ぎグリモワール・ハンター達の標的の中で常に上位にリストアップされるものの一つだ。


 この調子では俺が何の手だても講じないままであっても、そのうち誰かが遺跡に到達するのは想像に難くない。どうか祈祷書だけは見つかりませんようになどと祈るのは阿呆のすることだ。


 そのうえで断言する。あの召喚書が人目に触れるのは物凄くヤバい。しかし世情はを暴き立てる方へ向かっている。


 時代のうねりを止めることは誰にもできない。王も、勇者も、流れの前では無力だ。ましてやそのどちらでもない俺にできることは殆どない。


 書籍マニアの界隈で存在感を示し、邪神関連の情報を何でも買い漁る。しかできない。


「――お待たせしました。次の商品は偉大なる探検家が遺した『冒険の手記』でございます!」


 洒落者の競売人が声も高らかに宣言する。静かなどよめきが起こり、詰めかけた者たちの熱気が増していく。


 あらゆる者の視線が、舞台上に現れた男――お仕着せを纏った従僕だ――の手元に集中した。彼の手によって運び込まれ、うやうやしく台の上に乗せられる様子を固唾をのんで見守っている。


 当然だ。この場のほとんど全員が、今まさにビロードの台座に鎮座する品を求めてオークションハウスへと詰めかけたのだから。


 手垢にまみれた薄汚い手帳、ただ一冊をめあてに。


「それでは金貨五十枚から……」


「百!」

「五百」「千!」「二千!!」


 競売が始まり、あっという間に開始金額の十倍以上の額面へと膨れ上がっていった。

 俺が月毎に得るささやかな地代なんぞはあっという間に上回り、額面は年収に迫りつつある。


「五千!」「……七千!!」


 そして今、一年あたりの収入も抜かれた。とてもじゃないが、俺ごときに手の出せる額ではない。邪神マニアのコンラートは頭を抱え、首を横に振り、嘆きの声を上げた。しばしその場に立ち尽くすと、それ以上競売に参加することなくすごすごと去っていく。


 ――とまあ、段取り通りにことは運んでくれた。


 あらかじめ金を掴ませておいたコンラート役の浮浪者が手筈通りに立ち去るのを確認し、従僕に化けていた俺もまた壇上からはけていく。


「これで時間は稼げたな」


 お仕着せのタイを緩めながら、俺は一仕事を終えた充実感に包まれた。


 からくりはこうだ。

 コンラートという男は俺がコレクター界隈に潜り込むために作った架空の人物である。が、顔には引用元があった。あらかじめ背格好の似た浮浪者を見繕い、彼の『顔』をコンラート氏のものとして運用していたのだ。


 この場において『コンラート氏は競売に参加していた』というアリバイを作り、俺が自由に動くための布石である。


 オークションハウスというのは、こと物品……特に貴重品の値付けにおける権威を持つ。ついでにいえばマネーゲームの胴元である訳で、相応以上の金持ちだ。買収が効かない上に、競売品には魔術による厳重な盗難対策が施されている。


 という訳で俺は、法に定められた範囲をギリギリ半歩踏み出したヤバげな防犯魔術を解除するよりは幾分かマシな手を選んだ。

 従僕に成りすまし、オークションの裏方として舞台裏に潜り込むのだ。


 既に、手帳の主要な内容は書き写してあった。用があるのはあくまで中身の情報だ。それさえ手に入れたら問題解決には事足りる。


 そのうえで現物を冒険のノウハウが存在しない場所に送り込んでしまえば誰にも手出しはできなくなる。


 先ほども言った通り、強力な魔術書はこの国では投機の対象で、そして、貴族が箔付けの為に手に入れることもある。


 俺こと、邪神マニアのコンラート氏はここ半年というもの、一部の界隈である意味非常に派手に立ち回っていた。

 関連した品を買い漁る際の相場観の無さも相まって、最初はいいカモに見えていたことだろう。しかし、それでいてコンラートには一定の判断基準が確かに存在した。彼は決して偽情報は掴まなかったのだ。


 種を明かせばこの芸当も、俺が先のストーリー(つまるところ、邪神伝説を解き明かす過程だ)を知っているから可能なことに過ぎない。だが、俺の周囲の人物にはよほどの知識と鑑定眼の持ち主に映ったことだろう。


 そのうち彼らは徐々にこう考え始める。『もしかして、邪神伝説ってマジモンなのか?』と。


 かくして、今ここに実体なき鉄火場が出来上がった。稀覯本マニア達の興奮に煽られ、関連する品々はあまりに高騰しすぎた。


 ある程度冒険の勘所を備えた……もしくはそうしたベテラン冒険者にツテのある山師達も、資金回収は無理だと判断して次々に手を引いている。

 彼らは、少なくとも異常に加熱した相場が落ち着くまでは待ちに徹することだろう。


 今ここで口角泡を飛ばしてゾルターンの手帳を取り合っているのは、単に情報を掴みたいという欲求に突き動かされた金持ち達だけだ。

 そして彼らが『ゾルターンの手帳』に見出しているのは投機的価値、それのみだ。彼らは冒険のノウハウを持たない。


 そして冒険を生業とする者は、まさに金を稼ぐためにこそ危険を冒しているのだ。

 よって既に稼ぎ終えたガチのマジの資本家と真っ向勝負を仕掛けられるほどの資金力は、無い。


 木槌の音が高らかに響き渡る。

 どこぞの金持ち貴族が、激戦を制して手帳を競り落としたのだ。


 これで実効的な探索計画が立つまでにはずいぶんと時間を稼げた形だ。後は相場が落ち着くまでの間に俺がしかるべき筋に情報を流せば万事解決という訳だった。


「――お前ら、別に邪神伝説とか信じていないだろうが!!」


 しかるべき筋。

 それは現時点では、つい今しがた椅子を蹴倒して叫んだボサボサ頭の青年を意味していた。


 邪神伝説研究の専門家と言ったら、この国においては彼、イジー・リフリークを置いて他には居ないのだから。

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