序章 その2

 しばらくすると真っ暗に閉ざされていたガネラの意識が蘇った。

 目の前に広がっているのは崩落した遺跡の天井の隙間から見える青空。全身に感じるのは激痛。

 今、自分はどうなっているのだろうか?

 仲間は? 戦車は? 周囲を見ようとするが頭が全く動かない。

 腹の奥、胸の奥で焼けるような苦痛が溢れ喉へとせり上がりつつある。

 すぐに理解した。ああ、これが死か、と。

 苦痛を味わいながらの緩慢な死は酷く惨めだ。しかし自分にはこれが相応しい。

 これまで生活のために金のために戦車で戦ってきた。

 盗賊、敵に雇われた戦車傭兵。さらには獲物となった隊商の非戦闘員。大勢をその手に掛けてきた。オスもメスも老いも若きも、敵や敵でない命すらも金に換え、食い物や酒、淫売、戦車の部品や砲弾として消費してきたのだ。

 だからこういう死に方をするのも当然で、つまりは報いなのだ。

 ジリッと砂を踏む音。

 誰かが近づいてきた。

 その誰かは三人で、一人がガネラの顔をそっと覗き込んだ。

 

「こいつ、まだ息があるよ」


 言ったのは白色の毛をもった狐種の娘だった。

 生意気そうな顔つきで一瞬、オスかと思った。

 しかしよくよく見れば微妙な曲線で作られた凹凸が身体の各所にある。

 半分子供で半分メスになりかけている年頃なのだろう。

 冷たい外気から身を守るための真っ赤な革製ジャンパーを着ているのに履いているのは引き締まった素足を太ももからむき出しにするショートのパンツ。そして黒革の戦車長靴。黒革の革手袋。


「師匠を呼ぶですか?」


 もう一人は小柄な少女――いや、ドワーフの娘だった。

 緑の髪を腰までの太い三つ編みにしている。瞳は紫。

 顔立ちは整ってはいるがソバカスがあって地味な印象。

 こちらはダボダボのつなぎ服を着ている。

 上半身部分は脱いで腰で縛ってとめているので、ぴったりとした黒シャツには腹筋の列が作る畝やら鎖骨の上下のくぼみやら綺麗な曲線からなる水蜜桃がくっきりはっきり見えていた。

 見た目の小ささから子供かと思ったが、もう少し年嵩かも知れない。

 マイクロ・ドワーフという種族だろう。

 裾から覗く素肌には比較的大きな火傷跡やら切り傷が刻まれていた。

 衣服で隠されているがこの傷はもしかすると全身を覆っているかも知れない。

 手にはゴツい耐熱用革手袋。そして戦車兵ブーツを履いていた。

 腰にはスパナやらハンマーの入ったツールベルトをしている。そのためか拳銃のホルスターは胸の真ん中にぶら下がっていた。


「うん。使える部品は回収したいからね」

「わかった。ナナヨンで引っ張り上げてもらうのです」


 マイクロ・ドワーフの娘は踵を返すとガネラの視界から出て行った。

 すると入れ替わるようにミルク・コーヒーを思わせる暗褐色の肌を持つ娘が前に出てきてガネラを覗き込んだ。

 薄灰色の前髪で目が隠されていた。

 小ぶりな三角耳と細長尻尾から察するには黒豹種だろう。

 唇は艶めかしいローズピンク。こちらは身体の線がくっきりと浮き出るほどにぴったりとしたジャンプスーツを着ていた。それにベルトを巻いて工具類を下げている。

 黒豹娘は前髪の隙間からわずかに見える水色の瞳でガネラの状況を冷静に観察していた。


「このオス、モウ無理。助カラナい」


 やはりそうかとガネラは嘆息する。

 すると狐娘が腰から拳銃を抜いた。銃身の短いリボルバー式拳銃だ。


「苦痛を長引かせるの良くないよね」


 ガネラは銃口を見てこの激しい痛みから解放してもらえることを期待した。

 つい先ほどから今に至るまでこの苦痛からどうやって逃れるかばかり考えていたのだ。

 だが、この苦痛から解放されると分かれば少しばかり欲が出た。助かるとわかればもう少し、あと少し。それが生き物というものだ。


「ありがとう。お前達に頼みが……」


 伝言を一言二言、言い残したい相手がいる。そしてそれを狐娘に伝えようとした。

 しかし自分に向けられた銃口はそれを待たなかった。

 え、まさかこのタイミング? と思う間すらない。

 唐突に突然に、あたかもスイッチを切るように突然闇に包まれるてガネラの思考と苦痛とが消え失せたのだ。

 後に残ったのは闇と無。ひたすらの闇、無――。

 一人の戦車傭兵の生涯がここで終わりを告げた。


    §    §


「フォクシー!」


 カッフェは信じられないとばかりにフォクシーを振り返った。

 末期の言葉くらい残すのを待ってやっても良かったのではないかと言う。


「そ、そんな残酷なことできないよ」

「どシテ?」

「乳歯を抜いた時と同じだって。カッフェだって経験あるでしょう?」

「意味が全然ワカラナい」


 カッフェがますますわからないと肩を竦めるので、フォクシーは説明を始めた。

 昔のことだ。フォクシーの最後の乳歯がグラグラしはじめた頃だ。

 いよいよ大人の歯が生え揃う。そんな喜びの中でフォクシーは歯に糸を結びつけ自分で引っ張って抜こうとしていた。

 しかしこれから歯を抜くぞと思うと、襲ってくる苦痛が思い出されて思い切れない。

 そんな時だった。

 不意に突然に奇襲的に師匠が手を伸ばし、横から糸を「ていっ」と引っ張った。

 全く予想してないタイミングだったため身構える暇すらなかった。

 しかしおかげでフォクシーの最後の乳歯は簡単に、あっさりと抜けた。

 苦痛を感じることすらなかった。

 その経験から、フォクシーは他人に苦痛を与えるなら、予告しない方が慈悲なのだと理解したのだ。


「末期の言葉を聞いてやったらさ、このオスは次はいつ撃たれるだろうって、考え始めるでしょ? そんなのって残酷だと思うんだよねー」


 フォクシーは屍体を見下ろしながら眉一つ動かさなかった。

 リボルバー型弾倉を開いて空薬莢を引っこ抜いてポイと捨てる。そして新しい弾丸を入れるとヒップホルスターに戻した。

 遺跡の地下空間にチリンチリンと空薬莢の転がり落ちる音が反響していた。


    §    §


「ピーッ! ピーッ!」


 ミミが号笛を鳴らしながら両手を大きく振る。

 操縦席のカッフェが合図に従って【ナナヨン】をジワジワと後退させる。

 すると戦車に取り付けたワイヤーがピンと引っ張られ、地面の大穴を跨ぐようにかけた鉄骨三本からなる三又を通じて【カンヘル】のエンジンが持ち上がってきた。

 仲間達がそんな作業をしている傍ら、フォクシーはジャンク屋を相手に商談していた。

 ジャンク屋は戦いが始まりそうな気配を感じ取ると戦場の近くで待機する。そして戦いが終わってから無線機で呼びかけると、トラックと共にいそいそとやってくるのだ。


「中戦車【カンヘル】の主砲、同軸機銃、車載機銃、榴弾、粘着榴弾がそれぞれ十二発ずつに、高速徹甲弾が三発か。あと【アケロン】と【ポリヴィーク】の武器が少々」


 ハイエナ種のジャンク屋はクリップボードにあちこちから回収した品々のリストを作るとフォクシーに突きつけた。


「【カンヘル】の車体はダメ?」

「まるっきしダメだねえ。シャーシがポッキリいっちゃってるんだもの。けどパワーパックの具合は良いぜ。値段にして銀五〇〇~六〇〇ビスってとこか。今回はそれに主砲と砲弾と、パワーパックとか諸々を合わせて銀九〇〇ビスってところでどうよ?」

「うー他の戦車はどう?」

「無理無理! 前から言ってるけどさ、鹵獲品で儲けたいならさあ弾の当てどころを考えようぜフォクシー。あの【ギーブル】なんて、何処に持って行ったって十万ビスの値がつく超高級品だぞ。それが丸焼けになってくず鉄だ」

「く、くず鉄として売ったら幾らくらい?」

「馬鹿言うな、運搬代だけで足が出らあ」


 ジャンク屋との交渉はこれで終わり。

 エンジンパーツやら砲身やらを積み込んだトラックが立ち去ると、フォクシーに壮年の男性が歩み寄った。


「どうだフォクシー。少しは元が取れそうか?」

「無理。すっごく赤字。赤字も赤字、大赤字だったから!」

「な、なんでだ?」

「ししょーが高価な弾を使いまくるからだっつーの!」

 フォクシーが回し蹴りをタクローの尻に放った。

「痛てっえな!」

「そもそも計画じゃあ、穴に落っことすのは【ギーブル】だったでしょ! 【ギーブル】をフランベしてローストにしなかったら百二十ミリ砲と砲弾、それとあの特大戦車を動かすパワーパックだけで十分に元が取れてたんだって! なのに高価なHEAT弾を撃ちまくったり、超高価なAPFSDSを三発も使ったりするからっ!」


 フォクシーの放つキックの嵐を、師匠は待て待てちょっと待て言いながら逃げた。


「他の回収品はないのか!?」

「まだ見終わってないから、そこにまとめてあるよ」


 フォクシーはジャンク屋すらも引きとらないガラクタの山を指さした。

 師匠は少しでもフォクシーの怒りを和らげるためか、自ら進んで金目の物を探そうとそれらの前にしゃがみ込んだ。


「見てくれるのはいいけどさあ、ししょー目利き大丈夫?」

 すると師匠は悪びれもせず首肩を竦める。

「正直言って全く自信がない……」


 このおっさん、買い物のお釣りに偽金を掴まされても気がつかないくらいなのだ。


「ホント、ししょーって戦闘以外じゃ全然役に立たないヤドロクだよね。あたしらがいなかったら今頃どうなってることやら」

「俺は武器と弾薬と人間の目利きができる! それでいいんだ!」


 胸を張って誇られるとフォクシーも嘆息で返すしかなかった。

 実際、師匠の目利きのおかげでフォクシーは今、ここでこうしていられるのだ。


「しょうがないなあ。これ、あたしが分類して整理するからししょーは書いて!」


 フォクシーは師匠にクリップボードを押しつけると、焼け焦げた回収品の山の前にしゃがみ込んだのだった。


「これ、二級品。これも二級品。これはゴミだから捨てる。これは修理すればなんとかいけそうだから三級品。これはゴミ、これもゴミ。おおっ、これは一級品だぞお。そしてこれは……財布をはっけーん」


 フォクシーは衣類やら装備品に続いて焼け焦げた財布を拾い上げた。

 期待通り中身はずっつりと詰まっていた。

 傭兵は仕事を引き受けると前渡し金として約束の報酬額のおよそ半分を受け取る。それらを懐に抱えて出撃するから結構な額が財布に入っているのだ。


「お金って、何だってこんな形してるんだろう?」

「俺が住んでいた国の隣国の古代時代にな、刀銭という刀の形状をした銭があって――」


 師匠が語る。

 物々交換経済から貨幣経済へと移っていく課程で、刀を模した青銅の物体を、刀と同等に交換物とするというコンセンサスが古代社会で形成されたらしい。この世界の貨幣が『ビス』という実用品の形状を模しているのも、それと似た過程を踏んでいるからに違いない。


「なるほど、わからーん」

「わからんか?」

「全くもって」


 ちなみにナットはビスの十分の一の質量。つまり一ビス=一〇ナットである。

 ワッシャはナットの十分の一の質量。つまり一ナット=一〇ワッシャである。

 その下には粒銅というものがあり、一〇個~一五個でワッシャ貨一枚になる。

 そんなかんやで雑談をしながら回収物の分類整理をしていく。

 すると回収品の山の中からフォクシーが黒い物体を見つけた。


「あれ? なんだろコレ。黒くて、艶があって……」


 それは首にかけられるように鎖に繋がれた艶のある黒い板だった。


「ししょー。これって前にししょーが言っていたオニキスプレートって奴じゃない?」


 オニキスプレートとは傭兵達――否、傭兵だけでなく商人や盗賊といったこの世に住まう全ての人々の間で伝説となっているレア・アイテムである。


「そ、それは……」


 師匠が目の色を変えたのがフォクシーにも分かった。


「あ、やっぱり本物なんだ!? やった、凄いよ、コレがあれば億万長者だよ!」


 喜ぶフォクシー。

 だが師匠の手がむんずと伸びてきた。


「ん? いや、ちょっと待ってよ、ししょー。いったい何しようとしてるのさ!」


 フォクシーはぐいっと伸びてきた手を笑いながら躱す。

 師匠はフォクシーの腕を押さえつけると、いささか乱暴にフォクシーからオニキスプレートをむしり取ってしまった。


「これはお前達が手にして良い代物ではない」

「なんで? それが本物だったら超お宝だよ! みんなが幸せになれるんだよ!」

「こんなもので幸せになれるはずがない」

「どうして! お金がたくさんあれば戦車の整備で悩むことだってないし、高価な弾薬だっていっぱい使えるし、美味しいご飯だって毎日食べられるし、嫌や仕事を無理して引き受けなくて済むんだよ! 嫌な奴の言うことをきかなくったって済むんだ!」

「悩みなんてものは金があっても湧いてくる」

「でも、世の中の大抵のことはお金があればなんとかなる。なんとかならない時はなんとかなるまでお金を積めばいいって言うじゃん!」

「ふん。そんな台詞、人生というものを知らん奴の台詞だな」

「だったら師匠は、これをどうするって言うのさ!」

「俺の捜し物の手がかりにする」

「捜し物って、前にも言っていた元の世界に還る方法のこと?」

「それだけではないが、そういうことだ」

「それだったらあたしらにだって関係あるよ!」

「いや、関わるな!」

「なんでそんなことを言うの!? 同じ戦車のクルーなのに!」

「お前達を、あいつらと――俺の同僚達と同じ目に遭わせるわけにはいかない!」


 師匠はオニキスプレートを握りしめると思い詰めた表情で立ち上がった。


「あいつらって、ナガセ達のこと!?」


 二人の背後ではミミとカッフェが【ナナヨン】の点検をしていた。戦闘の後だけに破損箇所はないか。オイル漏れはないかを念入りに確認しているのだ。

 師匠とフォクシーの間で何やら諍い怒鳴り合いが始まったことは気づいていたが、どうせいつもの口喧嘩だろうくらいにしか思っていないのだ。


「ちょっと待ってって! 戦果はみんなの共有だろ! 独り占めすんなっ!」


 立ち上がった師匠の手からオニキスプレートを取り戻そうとフォクシーが手を伸ばす。しかし師匠は全く取り合わない。

 師匠は【ナナヨン】に歩み寄るとその後部に積み上げた荷物の山へと手を伸ばした。


「ちょっと、何をしてるのさ!?」


 師匠は私物の詰まったバッグを担いだ。

 さすがにミミもカッフェもこれが普段のじゃれ合いとは違うと気づいたらしく、こちらに注目している。


「シショウ。どシタ?」

「カッフェ、ミミ。二人とも達者でやれよ。フォクシーを支えてやってくれ。ミミ、【ナナヨン】のことを任せた」


 師匠はそんな声を二人に投げかけてフォクシーに背を向けた。


「ちょっと、二人とも黙って見てないでししょーを止めてよ。カッフェ! ミミっ!」

「何があったですの?」

「わからない。とにかくししょーが変なんだよ! 急に変になっちゃったんだ!」


 仲間が当てにならないと知ってフォクシーは舌打ちする。そして全力で走ると師匠の前に出ると両手を広げて立ちはだかった。


「どこにいくつもり!?」


 しかし師匠はそんなフォクシー振り払って歩みを進めた。

 するとフォクシー再度走って師匠の前で両手を広げる。


「答えろよ、ししょー!」


 これを師匠は再度振り払った。

 これを三度繰り返すとフォクシーはトシュカ・クトゥーの構えを取る。

 それを見た師匠が小さくため息をついた。


「お前にそれを教えたのは俺だぞ」


 フォクシーが気がついた時には、その場に尻餅をついていた。

 ただ師匠が首に提げていたドッグタグを握りしめているだけだ。どうやら交錯した瞬間に師匠の首からむしり取ったらしい。

 師匠は地面に落とした荷物を拾い上げると歩き始めた。


「くそおお、わからないよ、わからないよ!」


 たたき伏せられたフォクシーはその姿勢のまま拳銃を抜いて師匠へと向ける。この時、初めて師匠が足を止めた。


「何でなんだよ!?」


 師匠はしばしフォクシーを見つめた。


「撃ちたければ撃て」


 フォクシーは震える手で師匠に銃口を向け続けて、引き金に指をかけた。

 指に力を込めようとする。しかし力が入らない。どうしても引き金を落とすことができなかったのである。

 師匠は背を向けたまま遠ざかっていく。


「馬鹿野郎!」


 彼は最後まで振り返ることはなかった。

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