第九章 その4
穀倉地帯のトレッキルだから食材が豊富なのか、それとも大キャラバンを所有する富豪の家で饗された料理だからなのか。食卓を飾った料理は実に素晴らしかった。
練った小麦を薄くのばしたトルテ。
それにチーズやトマトのペーストから作ったソースを塗る。
そして火の通した黄、紅、緑の野菜や肉を包み込むのだ。
これらの野菜や肉をどう調理するかでも味の違いが発生する。香草や塩をタップリきかせても良いし、カリで煮ても良い。
フォクシー達は食べる度に異なる味わいに喜んだのだ。
おかげでマージャがそこかしこでチラつかせる鼻持ちならない尊大さも、気にならなかったほどだ。
「伯母上、デリックさんは? わたくし相談したいことがあるのです」
「夫は、いま外出中です。仕事だと言っていましたが、実際はどこで何をしているやら」
「忙しいのは悪いことではありませんわ」
「ノガタル・キャラバンの代表なのですよ。巨大キャラバンの会頭なのです。些末な仕事は部下に任せ、でんと構えているべきでしょう? なのに情けないことに細かなことにまでいちいち関わって忙しくしていないと安心できないなんて、随分と小心者なのです」
「仕事のやり方はそれぞれですわ」
「フォクシー、貴女ならわかってくれますよね? 貴女も小なりといえど傭兵カンパニーの代表なのでしょう? 小なりといえど経営の苦労を味わっているはずです」
何であたしに話を振るかなと思いつつ、フォクシーは大急ぎで口の中の物を飲み込む。
「あたしの場合は、仲間が支えてくれてるので」
「ほら、ごらんなさい。彼女も言ってますよ。部下に仕事を任せることができないのは、小心さの表れだって」
んなこと言ってないとフォクシーは心の中で叫んだ。
「伯父上は外からきた入り婿さんです。先代から仕えてきた生え抜きの重役達をまとめるのにも相応の苦労があるんでしょう」
「入り婿なのです?」
ミミが尋ねると話がよくわからないですわよねとレオナは解説を始めた。
ノガタルは、レオナの高祖父が一台のトラックから立ち上げた巨大キャラバンである。
二代、三代と代を重ねるごとに規模が大きくなったが、レオナの祖父の代でちょっとした悩みが生じた。
娘二人がどちらも経営者には向かない性格だったのだ。
長子は口舌に棘がありすぎたし、次子は経営に興味を抱かなかった。
そのため祖父はマージャに、これと見込んだ婿を迎えてキャラバンのトップに据え、次子――すなわちレオナの母をミグルン家へ嫁に出したのだ。
もちろんそれだけではない。
傘下商会をいくつかの集団に分割し、生え抜きで忠誠心に篤い番頭達をそれぞれのトップに据えて強力な裁量権を与えた。
その番頭がパクレル、マークシー、アーリントなのだ。
彼らが全体を統括する婿養子のデリックを支えることになる。
祖父が能力を見込んで引き立てた番頭達三人は有能で、裁量権を与えられるとそれぞれ支配下としたキャラバンを巧みに経営して荒茫大陸の各地に活動の手を広げた。
ノガタル・キャラバンの規模と力はさらに拡大していったのだ。
しかしそれは同時にパクレル、マークシー、アーリントの力と勢いが、祖父が企図していた以上に拡大することを意味していた。
全体を統括するデリックの統制力は相対的に低下していったのだ。
「伯父上はなんと申しましょうか、穏やかな性格なのです」
三勢力の代表達はそれぞれに対立している。
おかげで全体を統括するデリックは、各勢力間の関係と利害の調整で奔走する毎日を送らねばならなかった。
「レオナ、あなた随分と詳しいのですね。本当にカーリェにいたのですか? 実はトレッキルのどこかに隠れて事情を探ってたんでしょ?」
「情報収集は商売の基本ですわ伯母上。このくらいの噂話は、遠く離れていても耳を澄ましてれば聞こえてまいります」
そんな話をしていると噂話の当事者が戻ってきた。
「今帰った」
「あら、あなたお帰りなさい」
マージャは腰を上げると夫を迎えた。
デリックは一人ではなかった。番頭にして傘下キャラバンの長であるアーリントを伴っていた。
「これはお嬢様。お久しぶりです」
アーリントは頭を垂れる。番頭にとってのマージャは幾つになろうとお嬢様なのだ。
「久しぶりねアーリント。今日はどうしたの?」
「アーリントがわざわざ知らせてくれたのだ。カーリェが大変なことになったそうだ」
「カーリェの件なら、ちょうどその話をしていたところよ」
「なんだと? おお、そこにいるのはもしかしてレオナか!?」
デリックはようやくレオナの存在に気がついたのだった。
レオナは、ここに逃れてくるまでの経緯をデリックに語って聴かせた。
「それで、わたくし伯父上に相談したいことがあるんです」
「それは何だね?」
「わたくしのこれからのことです」
「心配することはありませんわ。私達で良い婿捜しをしてあげます。貴女ほどに美しいメスはきっと引く手あまたでしょう」
「うむ。我々で稼ぎの良い立派なオスをみつくろってあげよう」
「あ、いや、それはそれで大変に有り難いのですけれど……」
レオナがやんわりと断ろうとする。しかしデリックは聞かない。
「どうだろうか? ここにいるアーリントのところの長男は? 歳の頃合いもちょうど良かったと記憶しているが」
するとアーリントも諸手で賛成した。
「おおっ、それは光栄なお話ですな。レオナ様と我が子が結ばれたら両家の絆はさらに深まる。両家はさらなる繁栄を迎えることができるでしょう」
「あら駄目よ!」
しかしマージャは声高に反対した。
「何故です?」
「別に、貴方の家が駄目だと言ってるのではないわアーリント。誤解しないでね。私は御三家のどの家でも反対するつもりなの」
「ご懸念は理解しますよ。御三家のどこであっても特別な立場を手に入れるとグループ内のバランスが崩れるとお考えなのですね?」
「そうよ。しかも別の問題もあるわ。レオナはミグルン家の家督を継ぐ者です。フレグ家との間にもいろいろな意味で軋轢が生じてしまうでしょう?」
「あー、それを失念していたな。フレグ家はカーリェ鉱山を占領しているのだ。その宗主権を持つミグルンの家督をアーリントが手にしたら、外交的に気まずい立場になってしまう。アーリントはノガタルにおける外交官でフレグ家との取り次ぎ役だ。そんな立場で利害の対立がもたらされるのは得策ではない」
自分の婿捜しから話題が政治向きへと変わってしまった。
レオナは困惑しつつ、自分の企図した方向に話題の修正を試みた。
「伯母上、伯父上。わたくしは婿捜しよりも先にやらなければならないことがあります。まずは、その話から聞いて下さい」
「それは何かね?」
「フレグ家への復讐です。彼らに自分の行いの報いをくれてやらなくてはなりません」
マージャは満足げに頷いた。
「復讐ですね――それはとても大切です」
「うむ。やられたままにしておいては舐められてしまう。だが、フレグ家の隆盛は留まるところを知らず、配下として働く戦車傭兵のウルフパックの力は手に負えないほど精強だ。そんな奴らと、君はどうやって戦うと言うのかね? 今から戦車傭兵を掻き集めるのか? しかしそれだけのコネは? 資金はどうするね?」
「わたくしに考えがあります。それは――」
三人が耳を傾けるとレオナは身を乗り出して金銭の力でマ・ゼンダの目論見に味噌を付けてやるという計画を語り出した。
金の戦い、金の戦場。
この言葉に大いに興味をそそられていたフォクシーも、レオナの言葉に必死になって聞き耳を立てていた。
しかしレオナの言葉はもっぱらデリックやマージャ、アーリントへと向けられている。使う言葉の選択も、説明も、キャラバンの経営者としてベテランの域に達する二人に向けられている。おかげでフォクシー達にはさっぱり理解できなかった。
フォクシー、ミミ、カッフェはこの時、自分らの仕事が終了したと感じた。
自分達がレオナにしてやれることはもうないのだろう――と。そのため会話に参加することなく、ただひたすら食事を平らげることに専念したのである。
翌朝、フォクシー達はノガタルを辞すことにした。
ナナヨンカンパニーが受けた依頼は、ノガタルに到着したことで完了したのだ。
レオナも名残を惜しんではいたが、フォクシー達を引き留めるまではしなかった。
もし「もう少しいてくださいませんか?」とか「身辺の警護が必要なのです」などと頼まれたら、それを理由に居座る選択肢も生まれただろう。しかし「三人をわたくしの復讐に巻き込むわけにはいきませんし、いろいろと居心地の悪い思いをさせてしまうのも気が引けます」と、ちらちらマージャを見ながら囁かれては無理も言えないのだ。
「商売や投機とか、お金での戦いを教えて貰いたかったんだけど」
フォクシーはガレスから預かったの餞別金の詰まった空薬莢を引き渡しながら言った。
「また来てください。わたくしの復讐が済んだ後なら、いくらでもお付き合いたします」
「約束してくれる?」
「ええ、きっと」
こうして別れの言葉のやり取りを終え、フォクシー達はノガタルを後にしたのだ。
「コノ後、何処ニ行ク?」
金色に輝く小麦畑のあぜ道をナナヨン戦車がひた走る。
「ししょうの手がかりを追おうと思ってる。手がかりも手に入ったし」
普段ならば次の仕事を探して営業活動をするところだ。しかし今は懐に余裕がある。
「しばらくは整備の心配も要らないのです」
「ウム。シショウを探ス。賛成」
ミミもカッフェもこれに同意した。
「でも、仕事をしないのも何だか落ち着かない気がするんだよねえ……」
仕事のない状態がもどうにも据わりが悪いとフォクシーが呟く。
するとミミもカッフェも同じ気分のようだ。
明日の燃料代、武器弾薬代、そして食費を稼ぐことにあくせくしてきた日々が長く続き過ぎたからだ。三人ともこの状態に慣れていないのだ。
マージャは自分の夫を忙しくしていないと安心できない小心者だと罵っていたが、フォクシー達もまた彼と同じく小心者らしかった。
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