概要
老保母にお引取り頂いて迎えた、2年目の春
1985年3月、55歳の年度末と定められた定年を迎え、終戦直後から40年近く養護施設(現在の児童養護施設)よつ葉園で保母として働いてきた山上敬子保母は、大槻和男園長の説得もあって定年退職した。特に嘱託として残ることも、なかった。
ベテラン保母が退職して1年が経過し、いよいよ、2年目の春を迎えた。
よつ葉園では、この春、尾沢康男児童指導員の再度の発案により、これまで「横割り」に変えていた本園の体制を、全面移転した1981年5月時点のような「縦割り」に戻した。
しかし、かつての養護施設をほうふつさせるような雰囲気は、すでに影を潜めていた。
それはひとえに、大槻園長の手腕によるものであった。
3年前に訪れた大宮哲郎氏は、函館から大阪に転勤し、現在妻とともに大阪在住。
この連休期間を利用して再び
ベテラン保母が退職して1年が経過し、いよいよ、2年目の春を迎えた。
よつ葉園では、この春、尾沢康男児童指導員の再度の発案により、これまで「横割り」に変えていた本園の体制を、全面移転した1981年5月時点のような「縦割り」に戻した。
しかし、かつての養護施設をほうふつさせるような雰囲気は、すでに影を潜めていた。
それはひとえに、大槻園長の手腕によるものであった。
3年前に訪れた大宮哲郎氏は、函館から大阪に転勤し、現在妻とともに大阪在住。
この連休期間を利用して再び
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