エピローグ ~根本的な疑問への回帰
第25話 養護施設は子どもたちの「家」たりうるのか?
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この日の応接室での話は、この後もしばらく続いた。
とはいえ、これをすべて描き切ろうとするときりがないので、この後のやり取りはさしあたり省略しよう。
大宮氏は、ここでしばらく大槻園長と吉村保母と話し込んだ後、今度もまた3年前同様、来た道ではなく反対側の道路を降りて、車を走らせた。
3年前にはまだなかった学校が、坂を下りてすぐのところに建っている。この年の4月に藤崎中学校から分離した海吉中学校である。
大槻氏から、今年よりよつ葉園の子どもたちは自転車で7キロも先の藤崎中学校からこの丘の下の中学校に転校扱になったと聞いている。自転車通学はなくなり、徒歩で降りて学校に行き、徒歩で坂を上ってよつ葉園に帰るのが、この地に住む中学生の子どもたちの日課となったそうな。
ただ、この中学校に通うのは、ここから歩いて20分ほど先にある山崎小学校のみ。小学校の人間関係がそのまま中学校でもさらに3年維持されるのは、いかがなものだろうか。複数の小学校から中学校に通うことで得られるリセット感なきままこの地で過ごし続けるというのは、子どもたちにとって本当に良いことなのだろうかと、大宮氏はいささかの疑問を持っている。
今風の鉄筋コンクリートの校舎と体育館、それにプールと運動場。
かつて大宮氏が通っていた練兵場跡の近くにできた北部中学校は、確かにマンモス校ではあったが、こんな立派な建物ではなかった。
自動車学校の横を、彼は右折した。ここからは、県道の西大寺線。
3年前に通った道を、再び同じクルマで走っていく。
東山峠を越え、電車道に。
心なしか、新しい電車が増えたような感じがする。
この日も彼は、3年前同様、原尾島の郵便局隣の喫茶店「習志の」に寄った。
そこでカレーを食べて珈琲を飲み、昼過ぎに自宅へと戻った。
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「さて、あの地は、住んでいる子どもたちにとって、本当に「我が家」と言えるものになりえているのだろうか・・・?」
生家の近くに改めて買った家に戻り、彼は、書斎の中でしばらく考え込んだ。
現在は妻とともに大阪に住んでいるが、近く、岡山に戻る予定である。
昼の15時過ぎ。外はまだ明るい。
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