第22話 吉村保母の意見と感想 7

「それに、何より?」


 その言葉が、応接室内に重苦しく響いたまま、沈黙が続いた。

 時間としては、せいぜい数分程度であったろう。

 しかし、この場に居合わせた者にとっては誰もが、かなりの長時間に感じられたことは間違いないようである。


 吉村保母が、その沈黙を破った。


 あの方は、何よりも目の前の子どもたちを見てその子の今を導いていくことを、生涯の仕事とされていました。

 確かに、保育の場において、また、若い頃でしたら年長の子らに対しても、その部分は徹底されていたように思います。


今、ここで、目の前の子どもをきちんと導く。


 それが、山上先生という保母さんの生涯にわたってのスタイルでした。

 それは確かに、このよつ葉園の子どもたちにとって、大いに役立ったことは間違いありません。特に、終戦直後から経済が復興していくあの時期、だれもが生きていくために精一杯だった時期には、そうだったと思います。

 しかし、世の中は段々豊かになってきましたよね。

 それと同時に、子どもたちは年を追うにつれて成長していきます。

 その子どもたちは、いつか、この地を去っていきます。

 山上さんにとっては、いくら成人して結婚して子どももできたとは言えども、その元入所児童は、いつまでも、子どもの時のあの子のまま、だったのです。

 そのイメージを、あの方は、良くも悪くも引きずり続けていたように思います。


 そうなると、これからの時代をこのよつ葉園の中などではなく、外に出て、社会人として生きていくにあたって、あるいはひょっと、大学生になって学生生活を送るとしてもですよ、そんな目で見られる相手としては、どうでしょうか?


 確か、あのZ君がよく言っておりますでしょう、「くだらない郷愁論」という言葉ですよ。まさに、その言葉こそが、あの山上先生の見方に与えられる、彼女に対する評価ではないでしょうか。

 確かに、冷たく厳しい言葉かもしれません。

 これは私の思うところですけれど、「世の中は厳しい」だの「社会に出て通用しない」などと言って子どもらに指導と称して物を言っている職員さんも何人かおりますけど、そんな言葉も、実は、「くだらない郷愁論」の裏返しから出てくる言葉ではないでしょうかね。

 その言葉でくくられた側が、それに効果的な批判どころか反発さえもできないものですから、言葉に詰まって、そういう言葉で、まだ社会人になっていない、この施設の児童という枠内でこそ「年長」かもしれませんが、社会ではまだ「年少」に過ぎないその子たちに、ただただ年齢をかさに着て、脅しのようなことを述べて自分の身を守っているにすぎません。


 そういう言葉は、私個人としては、許せない言葉ですよ。

 社会とやらで通用しないのは、あんたでしょうがと、そこまで何度言いたくなったことでしょうか。


 もちろん山上先生は、子どもたちが成長し、変化していくことを決して否定していたわけではないでしょう。

 ですが、その子の進む先まで意識が回り切れていなかったことは、良くも悪くもあの方が、よつ葉園の子どもたちの「お母さん」にはなれたとしても、「おばあさん」という役割を果たせるまでに至れなかった最大の理由ではないかと、私は思っています。


 大宮さん、大槻先生、おいかがでしょうか?

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