第11話 変化とともに変わる、見えるもの

 大宮氏は、コーヒーカップ内の高級品をすべて飲み干し、大槻氏の意見に対する感想を述べ始めた。


 その昭和館の事件、裁判にもなっているようだが、どうなのだろう。

 その女の子を「殺した」という子どもらは、これからの人生、どう歩んでいくのだろうかね。そこがぼくにとっては、一番気にかかるところだ。

 その子たちは、すべて14歳未満で罪には問われない。

 しかし、厳然とした「人殺し」、あえて「殺人罪」とは言わないが、人を一人、殺したという事実は残るじゃないか。


 このよつ葉園でも、大槻君が就職するはるか前の話だが、山上先生や森川のおじさんからお聞きになったと思うけど、昭和23年の夏に、火事が起きて園舎の2階が焼けたことがある。あれは、園児の失火ということにされておいでのようだが、実際は放火だった。その放火した子、と言ってもぼくより3歳ほど年上だったけど、あの岡山太郎君だ。彼、若くして鉄道自殺なんかしてしまってね。その弟の三郎君というのがいて、彼がぼくと同級生だったが、あいつもまた、北方饅頭さんのあんこを作る釜の中でかまゆでになって全身やけどで早くに死んでしまった。

 あの頃は、森川のおじさん、もちろん体罰もいとわなかったし、太郎君も三郎君もどちらも、森川先生に拳骨をやビンタいくつも食らっていたな。ぼく自身は特にゲンコツとかビンタとか、そういうものを戴いたことは一度もないけど、その分、あのおじさんはモノの見方や表現といったものには、ことの他、ぼくには厳しかった。


・・・ ・・・ ・・・・・・・


 中学生の頃一度、おじさんがぼくに、廊下に5分間立って見ろと言われて、廊下に立って、窓の向こうの景色を見た。それが、あのおじさんの指示だった。

 何かの罰として廊下に立っとれ、なんかじゃない。

 ぼくの感性というか、思考力を確かめることが意図だった。

 5分経ったら園長室に戻らされて、その廊下の窓から何が見えたかを、こと細かく聞かれた。それだけじゃなかった。その景色を見て、今後、この地から同じように外を見て、その景色が将来、どう変化していくだろうか。そんな質問も受けたね。


 その時ぼくは、恐らく十数年のうちに家が建ち始め、田んぼは住宅に変わっていくだろうし、大学も近いから、東京の山の手みたいな場所になるかもしれないが、それでも、半田山が見えない程も東京のようにビルが立ち並ぶようなことはないのではないかと、そんなことを言った。

 おじさんは、えらく感心しておられた。

 確かに、あの津島町は、そういう場所に、今、なっているよな。


 ぼくが子どもの頃の津島町と、今のあの津島町。

 同じ地だけど、環境は、全然違ったものになってしまった。

 よつ葉園だって、同じだ。

 あの地からこの丘の上に移って、今年で5年目。

 最初の頃に比べて変わったこともあろうし、変わっていないものもあろう。

 その尾沢さんという児童指導員の方、君がいろいろ手紙で教えて下さったから存じ上げているが、彼には彼の、個人的なものであれこの仕事に携わる者としてのものであれ、大いなる理想に向かって動いている人物であると思われる。


 ところで、大槻園長としては、尾沢さんのお持ちのその「理想」とやらを、どんなふうにお捉えになられているのか。

 それを、お尋ねしたい。

 しつこいけど、折角来たのだから、さ。

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